はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

ポケモンGOと夫婦の愛

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ピカチュー。「ピカー!」

ピカチューしか知らない。

 

そこまで言うと嘘になるけど、大体そんなところだ。

他に知っているのはせいぜいサトシと呼ばれる赤いキャップを被った少年ぐらい。

 

CMやニュースでは何度も見ているのにポケモンのアニメを一度もちゃんと観たことがない。任天堂スイッチなどで遊ぶゲームも然りだ。

 

う〜ん、あとどれぐらいだろう。

あと10年ぐらい遅く生まれていればポケモンのネイティブ世代として育っていたかもしれない。

 

ただ、そんな僕からすれば不思議なくらい同世代や自分より上の世代もポケモンGOにはハマっている。

ポケモンGOが世に出てからはや4年が過ぎ、やっている人はもうほとんどいないのかと思っていたが、決してそういうわけではなさそうだ。

 

意外なところにポケモントレーナーは隠れていたりする。

 

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ポケモン×ある夫婦

 

妻が職場で仲良くしているAさんは、僕の娘と同じ幼稚園に通う息子がいる。

住まいは息子と旦那さんの3人暮らし。

 

夫婦付き合いをしているわけではないが、妻がよく話をしてくるので、Aさんや旦那さんの性格、それに夫婦仲はなんとなく知っている。

 

先日も妻がある話をしてきた。

 

誕生日の夜に

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その旦那さんの誕生日。Aさんがご馳走様を作って旦那さんの帰りを待っていた夜のこと。仕事の都合で旦那さんの帰りが予定よりも遅くなってしまったそうだ。

 

帰る時間が遅くなれば当然おなかは空いてくる。いつもなら旦那さんを待たずに先に食べてしまうところだけど、その日は家族にとって特別な夜。

早く食べたいとせがむ息子をなんとか言い聞かせてAさんは旦那さんの帰りを待っていたそうだ。

 

すると、ようやく聞き慣れたエンジン音が遠くの方から聞こえてくる。いつものようにエンジン音は家の前でプスっと消えた。

 

「帰ってきた!」

 

Aさんは喜んで食事をテーブルに並べ始める。

空腹の息子もいい加減我慢の限界だ。

 

・・・

 

・・・

 

しかし、旦那さんは一向に部屋に入ってこない。

 

勘違い?

 

それとも電話がかってきた?

 

どうして家に入ってこないの?

 

・・・

 

・・・

 

まさか!!

 

そのときAさんの脳裏にはある疑いがよぎったそうだ。

 

Aさんが急いで玄関の扉を開ける。

外に出ると、ある場所で立ち止まったままスマホをいじる旦那さんの姿が見えた。

 

「テメェ〜💢」

 

・・・

 

・・・

  

勘の良い人はもう気付いているだろう。

旦那さんが立っていたのはポケモンの出現スポット

 Aさんの住む家のすぐ前にはポケモンGOの出現スポットがあるらしい。Aさんも同じポケモンGOの愛好者だったので、見た瞬間に確信したそうだ。

 

しばらくA さんの怒りは治まらなかった。

でも、安心してほしい。その後に別れたという話は聞いていない。

 

いや〜、ポケモンGOって面白いな〜。

 

 

"WABI"とは時として謝罪の意味を表す

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 Aさんの旦那さんは何て言って謝ったんだろうか?

ちょっと気になるところだ。

 

ところで僕はモンスターよりオオカミが好き。

最近、僕がハマっている曲がある。

 

『ワビ・サビ・ワサビ』

 

MAN WITH A MISSION の曲で2012年にシングルのカップリングとして収録されていた曲なんだけど、時を経て今年の2月にミュージックビデオが公開された。

 

 

この曲は映像も面白いんだけど、歌詞がすごく良いんだ。

 日本人の大好きな"わびさび""ワサビ"をかけて歌っている。

 

そして僕らはこの素晴らしい人生を 噛み締めながら生き続ける

未完成のまま 不完全のまま

自分自身の中にその美しさを持ち合わせて

『WABI・SABI・WASABI』という この言葉をあなたに贈ろう

 

作詞:Kamikaze Boy/Jean-Ken Johnny 作曲:Kamikaze Boy

 

夫婦の関係なんて不完全だ。

しょっちゅう喧嘩もして、完璧な関係ができることはない。

ただ、転がり続ける石もカッコいいけど、コケの生えた石もそれはそれで美しい。

一度きりの人生。たくさんの人と恋愛してみたいけど、一人の人と長くずっと一緒にいられることは、やっぱり美しいことなのかもしれない。

 

ポケモンとあんまり関係なくなっちゃったけど、まぁ、いいや。

今日は晴れたし、朝のジョギングにでも出かけよう。

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

東京五輪の意義と多様性

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「誰のための東京五輪なのか?」

「なぜ東京五輪なのか?」

コロナの終息が見えぬまま、オリンピックの開催予定日はじりじりと近づいてきている。

 

「(五輪は)もちろんやれた方が良いけど、今の状況ならやらない方がいいんじゃいない…。」

たぶん、日本国民にはそう答える人が一番多いんじゃないかと思う。

 

僕もそのうちの1人。

"やれるならやれた方が良いけど、やるべきではない"

と思う以前にやれるイメージが全然湧いてこない。

 

けれども、そんな僕の意見は無視されるかのように、先日IOCは開幕100日を前に「大会は確実に開催される」と断言した。

 

まぁ、IOCが、そして政府がやると判断するならわざわざ反対まではしないのだけど、多少強引に進める以上、東京五輪開催の意義について考えてしまうのは仕方がないことだ。

 

今週のお題「下書き供養」×東京五輪

 

元陸上選手で現在はスポーツコメンテーターとしても活躍されている為末大さんが話していたことのメモ

ブログの下書きに残していたことを思い出した。

 

「何のために東京五輪をやるのか?」

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スポーツ界以外から見たときの東京五輪と国際的な目で見たときの東京五輪。

為末さんは2つの視点から見た東京五輪の開催の意義について『多様性』というキーワードを挙げながら自身の考えを説明していた。

 

※話を要約しながらメモしたので、ご本人のコメントを正確に記したものではありません。

 

日本には色んな社会的課題があるのだけど、構造の部分を変えるのには個人が頑張るだけでは難しい。

「これをきっかけに一気に打ち破っていこう!」みたいな、五輪のような大きなイベントには社会の構造を大きく変えられる可能性がある。

 

「一人ひとりの人間はそれぞれ違う人間だけど、それを尊重しながらみんなでやっていこう」相手が何を思っているかは、人は外から想像できないという前提に立つのが多様性。

 

「本当はどう感じていますか?」とか、「本当はどうなるといいと思っていますか?」形式的なヒアリングじゃなくて、"本当に話を聞きに行く対話の文化"ができることが望まれる。

 

現代社会における『多様性』とは何か。

ダイバーシティやLGBT、ブラック・ライヴス・マター。多様性を意味する言葉や紐づく言葉をたびたび聞くようになった。

 

僕は差別をするような人間にはなりたくないし、差別は無くなればいいと思っている。

 

けれども、実感を伴わぬまま、何となくファッションでそれらの言葉を使ってしまっているような気がしてならない。

 

日本のような島国の、しかも都市部ではない田舎に住んでいると多様性のある社会に生きているという実感がいまいち弱い。

 

近所のコンビニに行けば店員さんはいつの間にか外人さんが当たり前になっているし、コロナの前までは観光地へ行くと海外から来る旅行客で溢れていた。

ごく稀にセクシャルマイノリティの人とだって会うこともある。

 

しかし、マイノリティの存在にはまだまだ慣れることができずにいる。

 

以前、某ファストファッションのお店で女性の服を着て接客する男性に会った。

こんな言い方が良くないのはわかっているが、オカマバーのような夜のお店ではなく、オープンな昼間のお店でだ。

(オカマバーを否定するつもりはありません)

 

正直、見た瞬間に戸惑った。決して嫌悪感を抱いたわけではなく、自然な反応ができないだけだった。

"差別の目で見るな"どうしても頭で考える一瞬の間が必要になる。

 

大事なことは相手を理解することであって、一瞬の間ができることが悪いわけではない。

 

だけど、その必要ない間は無い方がいい。

頭で理解しようとするうちは自分が偽善者になろうとしている風に思えてしまう。

 

その間を無くすためには慣れていくしかない。

だから、逆説的になってしまうんだけど、マイノリティの人たちが当たり前に存在できる社会にしていかなくてはいけないんだと思う。

 

自分の子どもの頃と比べれば、日本も少しはマイノリティへの理解が進んだ気がする。

(それだけ昔は酷かったということだが)

 

でも、まだまだなんだ。

 

少し調べてみたら、東京五輪には3つの基本コンセプトがあり、3つの内の1つが『多様性と調和』だった。

 

人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。

東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする。

 

本当は五輪があろうとなかろうと日本を多様性のある社会に変えていかなくてはいけない。

ただ、為末さんが話したように、個人ではなく、国全体が一気に変わろうとするのには五輪のような大きなきっかけが必要なのかもしれない。そう感じた。

 

今日1日1日を区切ってやっていく 

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話す言葉や肌の色。ここまで書いできたように、文化や宗教の異なる国の人が集まる東京五輪は世界の多様性を認め合う大きなきっかけになる。

 

しかし、東京五輪を延期に追いやったコロナは同じ日本人の、しかも同じ会社の仲間や家族の間でも対立を生じさせた。

 

外出や外食、マスクの着用。行動の自粛に対する考え方は人によって細かく違う。

自粛警察のような行き過ぎたものでなくても、人によって温度差が微妙に異なるだ。

 

価値観と言うほどの大袈裟なものではないが、意見のくい違いにより、自分も含め、今まで衝突してこないところで衝突が起き始めた。

そんなことが多くの職場や家庭で起きているのだと思う。

 

幸いにも僕は一時的に雰囲気が悪くなっただけで、傷ついたり、関係が壊れたりするようなことにはならなかった。

 

けれども、世の中には深いダメージを負ってしまった人たちも多くいるはずだ。

 

先程に続き、為末さんが良いことを話していたので紹介したい。

 

1番大事だと思うことは、大きな幸せじゃなくていいから、美味しいものを食べるとか、好きなことをやるとか、とにかく毎日必ず一定時間、自分が幸せを感じるような時間を保つこと。

加えて、人と会話するのは大事なことなので極力制限をかけながらも人と会話をする。

 

そして、未来のことを考えて心配しすぎない。過去のことを悔やんで後悔しすぎないで、今日1日1日を区切ってやっていくのが大事。

今日1日を毎日見ながらやっていくやり方は選手がスランプの時にやるやり方である。

 

結局、どうなるかはわからないけど

IOCがやると断言したとは言え、本当にやるのかはまだわからない。

現状の医療体制を考えてもやるべきではないのが妥当な気がしてしまう。

 

一方で池江里佳子選手のような、人に勇気や感動を与えてくれるような選手の活躍を見たいという気持ちもある。

 

「今、自分は何をすべきか?」

五輪の開催はいまだ不透明だが、『多様性』については開催の有無に限らず、自分なりに考えて行動していくべきだと思う。

 

少なからずまずは、コロナで生じた意見の食い違いなんかでいちいち大切な人と衝突なんかせず、相手のことを理解できるようになっていきたい。

 

そんなところだろうか。

 

おわり

太陽の人と月の人

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トラブルは突然やってくる。

仕事で久しぶりに大きなトラブルにハマってしまった。おかげでここ数日はブログに割く時間も気力もなく、ようやく今朝書き始めた。

 

トラブルが起きるのは仕方がない

自分で起こすよりも他人からもうらうことの方が圧倒的に多いからだ。自分の力が及ばないところで起きてしまうものについては嘆いたってしょうがない。

致命的なダメージさえ負わずに済めば良しとする。

 

長い目で見ればプラスの変換になるかもしれないし、困難を乗り越えたときに人は成長する。

トラブルが起きたときは空元気でも気丈に振る舞うことが大切だ。

"何とかなるさ"の気持ちで取り組めばきっと道は開けてくる。

しんどいときこそお通夜みたいな顔をしててはいけない。

顔を上げて無理にでも笑う。

そういう心持ちが大事なのだと思う。

 

少なくとも僕は今までそういう風に教わってきた。

言葉でちゃんと教わったわけではない。

上司の背中を見て、自分なりに学んできた。

 

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辞令は突然にやってくる。

サラリーマンである以上、辞令には従わなくてはならない。

 

わかってはいるが、最近は納得のいかない辞令が多い。

「ウチの人事は馬鹿なのか?」

そう思ってしまうことが少なくない。

 

ありがたいことにここ10年ぐらいの間に会社の業績は大きく伸びた。

業績が上がれば自然と社員は増え、外からもいろんな人間が入ってくる。

 

親会社からの出向組や大企業からの転職組。

気付けばプロパー中心の会社から外部出身のキャリア達が支配する会社になっていた。

 

人事は馬鹿ではない。強か(したたか)なのだ。

本来考慮すべき個人の適正よりも、体裁の良い組織改革を断行する。

会社のためではなく、人事が評価を得るための人事を愚直に実行しているのだ。

下は納得できるわけがない。

だが、上からは評価される。

 

✳︎

 

まるで自分が異動するかのように書いているが、僕の異動はない。

僕の上司が異動する。

先程のトラブルに臨む姿勢も彼から教わった。

 

優秀な人間はどんな環境であれ、自ら成長し、いつかは必ず活躍するようにできている。

けれども優秀でない人間は違う。優秀でない人間が活躍できるか否かは上司の影響が大きいと僕は考えている。

どんな上司の下につくかは働く上でとても重要だ。

 

その点僕は運が良かった。

今いる自分のポジションは上司の彼の功績によるところが大きい。

何かあると僕はすぐに彼に相談してきた。望ましいことではないかもしれないが、長く彼に甘えてきた。

 

ただ、辞令が出てしまった以上は仕方ががない。

今度は僕が部下のために彼のような存在にならなくてはいけない。

けれども、それはたぶん無理だと思っている。

 

無責任に言っているつもりはない。できる限りの努力はする。

でも、僕と彼では違うのだ。

 

彼は太陽の人で、僕は月の人。

 

僕は自ら光を発することができない。誰かに光を照らしてもらってはじめて輝くことができる。

 

太陽の人はどんなグループにいても、どんな状況に置かれても周りに元気を与えてくれる。

 

僕は昔から太陽の人に憧れていた。その人がいるだけで場が明るくようなムードメーカー。

学生時代もクラスにはそんな奴が一人は必ずいた。

 

でも僕はずっとなれなかった。

だからわかる。

生まれ持った性格は簡単に変えることができない。

きっと努力しても根っから明るい太陽の人にはなれないのだ。

 

✳︎

 

さて、どうしたものか。

今はここまで書いておいて、取り止めもない、このオチのない文章をどうしようかで迷っている。

 

やっぱりまだトラブルの疲れが残っているみたいだ。

今後のことはゆっくり休んで考えよう。

 

ところであなたは太陽の人?

それとも月の人?

 

ブログの中ではせめて太陽の人でいれたらいいのにと思う。

 

おわり

未完の大作「ベルセルク」を時々思い出して

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下手なブログも記事数を重ねていくと、認知度がどの程度高いネタを書くかでときどき迷ったりするんですね。

みんなが知らないようなネタを選ぶとインパクトを与えやすい反面、まったく興味が惹かれずに空振りする可能性があります。

一方、みんなが知っているようなネタを選ぶと共感を得られやすい反面、当たり前のことを書くだけでは心に刺さりにくくなります。

その点に関して、今回のネタはどちらに転ぶかが正直わかりません。

おそらく前者寄りではないかと思うんですが、後者だったとしても違和感はありません。

 

さて、あなたは漫画「ベルセルク」を知っていますか?

 

ベルセルク 1 (ヤングアニマルコミックス)

ベルセルク 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

ベルセルク(BERSERK) × おすすめ漫画

作者は三浦建太郎。ヤングアニマルで30年以上に渡り長期連載されている漫画です。

コミックスは現在までに40巻。シリーズ累計発行部数は4000万部を超える輝かしい実績を誇ります。

テレビアニメやゲームにもなっている人気漫画ではありますが、物語の性格上、幅広い層から支持されているというよりは特定の層から強い支持を受けている作品ではないかと思います。

 

未完の名作

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物語を紹介する前に、なぜ急にベルセルクの話を持ち出しのか、理由を説明させてください。

ベルセルクは長期連載なんですが、不定期連載でもあるんです。

しかも、一年以上休載することも珍しくない。

作者の三浦先生までが「死ぬまでに頭の中の全てを出せるのか」と語っているほどで、ファンの間では未完のまま終わってしまうのではないかと囁かれています。

なので、読む側としてはたまに思い出して、コミックスの最新刊をチェックするんですが、たいていの場合は更新されておらず、現時点(2021年4月)で最新の40巻も発売されてから2年半近く過ぎているような状況です。

今回も久々にチェックしたところ、相変わらず新刊は発売されておらず、気まぐれでそのことをブログに書こうと思った次第です。

 

ダークファンタジー

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そろそろ物語の中身について紹介しましょう。

中世のヨーロッパを彷彿させる世界観で描かれており、ジャンルはダークファンタジーになるそうです。

Wikipediaの力を借りて最初のあらすじを紹介したいと思います。

 

黒い剣士(1 - 3巻)

身の丈を超える巨大な剣や大砲を仕込んだ義手など様々な武器を手に、ひとりゴッド・ハンドを探し出す旅を続ける「黒い剣士」ガッツ。行き掛かり上共に旅をすることになった妖精パックと共に、各地で人々を脅かしている使徒を追い、狂戦士のような戦いを繰り広げる。本作の序章。

 

黄金時代(3 - 14巻)
序章から時を遡り、ガッツの生い立ちから鷹の団での青春時代、「蝕」、復讐の旅に出るまでを描く。

死んだ母親の骸から泥の中に産み落とされたガッツは、偶然通りかかった傭兵団に拾われ、過酷な環境の中で育ての親から剣術を教えられ、幼いころから戦士として戦場で生きていく。ある日、育ての父を殺害してしまったガッツは傭兵団を脱走、流れの傭兵として各地の戦場を転々とする生活を送るようになる。そんなある時、ある城での攻防戦において凄腕の騎士を倒したガッツに、傭兵団「鷹の団」団長グリフィスが目を留める。

グリフィスとの決闘に敗れ、鷹の団に入団して3年。ガッツは切り込み隊隊長として、ミッドランド正規軍となった鷹の団の百年戦争での武勲の数々を支えていた。グリフィスを始め、かけがえのない仲間を得、剣士としても百人斬りを成し遂げるほどに成長したガッツだったが、やがてただ闇雲に剣を振るいグリフィスの言うままに人を殺めてきただけの自分の人生に疑問を持つようになる。そしてグリフィスがシャルロット王女に投げかけたある言葉をきっかけに、自分の生きる道を自らの手で見出す決意を固める。

百年戦争終結後、グリフィスと真に対等な友になるため、ガッツはグリフィスとの決闘を制し鷹の団を抜けた。ガッツの退団で心の支えを失い、自暴自棄になったグリフィスは王女と姦通、そのことが国王の逆鱗に触れて地下に監禁され、鷹の団は逆賊としてミッドランドから追われることとなった。1年後、武者修行に区切りをつけたガッツは鷹の団の受難を知り、流浪する鷹の団に戻り、王女の手助けを得てグリフィスを牢獄から救出。しかしグリフィスは、度重なる拷問の末に廃人同然となっており、最早鷹の団には存在意義すらなくなってしまった。自ら命を絶つことすらできず、絶望に苛まれるグリフィス。その時、真紅のベヘリットがゴッド・ハンドを現世に召喚した

 

出典:Wikipedia

 

主人公ガッツの友であったグリフィスは己の復活のために天使を呼ぶアイテム・ベヘリットを使い、仲間の団員を生け贄に捧げてしまいます。

しかも、ゴッド・ハンドとして生まれ変わったグリフィスはガッツの愛した女性キャスカを犯し、心を壊してしまいます。

奇跡的に生き延びたガッツは復讐の旅に出るのでした。

 

ガッツがボロボロになりがならも人間のまま狂ったように戦う姿や人間として堕ちたグリフィスが神々しい存在へと変わっていく様子はまさにダークファンタジーです。

 

PENPALSの「TELL ME WHY」

僕がベルセルクを最初に読んだのはかれこれ20年ぐらい前の話です。

同じバイト先の友人が先程書いたようなあらすじをさぞ面白そうに話してくれたのがきっかけでした。

ただ、僕がベルセルクに興味を持ったのには他にも理由がありまして、当時好きだったPENPALSというバンドの曲がアニメ版の主題歌に使われていたんです。

曲名は「TELL ME WHY」

 

PENPALSは男3人組のロックバンド。現在は新バンドAFOKを結成し、PENPALSの楽曲を引き継いでいるようです。

PENPALSには申し訳ないけど、たぶんこの記事を読んでくれる人たちの中にPENPALSを知っている人は皆無なんだと思います。

ムキになって弁明するようなことではありませんが、20年ぐらい前は人気絶頂のDragon Ashと一緒にライブをするなど、当時の若者からは一定の評価を得ているバンドでした。

中でも「I Wanna Know」という曲が大好きで、僕にとっては最高のロックンロールでした。

 

これ以上の解説は差し控えますが、もしPENPALSを知っている人がいらっしゃったらぜひ勇気を出してコメントをいただきたいです🙇‍♂️

 

余談ですが

前回の記事でエレカシの宮本浩次さんについて記事を書きました。

 

hajimarikokokara.hatenadiary.com

 

見てくださった方、ありがとうございます😌

僕の記事にしては、はてなブログからも多くの方に読んでいただけたのですが、珍しくTwitterにあげたところ、意外なほど多くの方に見ていただけました。

 

1回のツイートでまさかの241PV!!)

 

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別に小さな自慢をしたいのではなく、こんなのは完全に宮本浩次パワーなわけで、僕の記事の質はさほど重要ではないわけです。

何を言いたいかというと、記事を見てもらう上では冒頭に書いた「どんなネタを選ぶか」がいかに重要か、改めて思い知らされたというお話です。

 

さて、今回のベルセルクはどうでしょうか?

 

調子に乗って試してみたいと思います。

 

おわり

 

 

エレカシの宮本浩次のことが気になってしょうがない

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今さらながら何かが気になったり、今さらながら何かを好きになったり。

 

誰にでもある経験だと思う。

 

「今さらながら」は時期が遅れたことを意味する。

 

僕はその「今さらながら」が多い。

 

興味を持ってからの動き出しが遅いのだ。

 

僕はこれから、僕が今さらながら気になっているエレカシ宮本浩次について話をしたい。

 

エレファントカシマシと宮本浩次

 

"くだらねぇとつぶやいて 醒めたしたつらして歩く"

 

初めて聴いたのはいつか覚えていない。

 

それでも、この曲の歌い出しとサビの部分は鮮明に記憶されていて、いつでも頭の中で再生することができる。

 

僕は2ヶ月近く前に投稿されたある記事が気になっていた。

 

18年間エレカシと宮本浩次を偏愛し続けるファンのブログ

 

blog.hatenablog.com

 

はてなブログは次のように紹介していた。

 

今回は、ブログ「エレカシブログ 俺の道」サクさん (id:mpdstyle) に「エレカシの魅力とおすすめの曲」について寄稿いただきました。エレカシのライブレポートをはじめ、数々のエレカシ情報をブログに書き始めてから2021年で19年目に突入したサクさん。19年間ブログを更新し続ける原動力であるバンドと曲の魅力などを紹介します。

 

なんと、エレカシと宮本浩次について19年もの間ブログを更新し続けている!!!

 

雑記を半年書いただけで息が上がっている僕からすれば、「どれだけ一途で愛が深いんだ」と思わされる。

自分のブログとは対極的で純粋なブログに興味を強く惹かれた。

 

ただ、この記事が気になったのにはそもそもの理由がある。

 

時は更に遡ること半年前。

僕はあるブログを読んだときから、既に宮本浩次の存在が気になっていた。

 

横山健の語る宮本浩次

 

www.pizzaofdeath.com

 

書いているのは横山健

横山健について説明しておくと、Ken Yokoyama(ケン バンド)のボーカル&ギターであり、PIZZA OF DEATH (インディーズレーベル)の社長でもある。

 

言わずと知れた日本パンクロック界のカリスマギタリストであり、Hi-STANDARD(ハイスタ)のギタリストと聞けば知っている人も多いだろう。

 

わかりやすいように敢えて野暮な説明をするのであれば、WANIMAをメジャーに押し上げたのは彼の存在が大きいし、16年振りにリリースされたHi-STANDARDのシングルは同日にリリースされた星野源の「恋」を押さえ、ビルボードのシングル・セールス・チャートで1位を獲得したほどだ。

 

上記のブログではそんな大物アーティストの横山健が並々ならぬ想いで宮本浩次を熱く語っている。

 

僕にとって横山健のブログは10年以上前から読んでいる唯一のブログ。

更新頻度は少なく、新しい記事が投稿されれば、たいていはすぐに読む。

 

しかし、この回は横山健本人のことでなかったことに加えて、約2万の文字数に圧倒され、つい飛ばし読みをしてしまった。

 

横山健がチバユウスケや谷中敦、SIONなどの特定のアーティストについて語ることは過去にもあったが、ここまで長く書いていた記憶はない。

 

僕は中途半端な飛ばし読みをしてしまったことを後悔していた。

 

横山健が宮本浩次の何を語ろうとしていたのか?

 

消化不良のままにしたことで、そのときから僕の頭の片隅には宮本浩次がこびり付いて離れずにいたのだ。

 

気付けば半年近く過ぎた頃、無意識に再生した動画がブログに貼られていたものであることを思い出した。

 

Do you remeber?

 

 

衝撃的だった。

新鋭の若手ミュージシャンから受ける新鮮さとは違うが、スピード感のある曲を歌う宮本浩次にとても新鮮さを感じた。

 

音楽の素人は曲の素晴らしさを言葉で表現ができないのが悔しい。

とにかく、熱く、激しく、けれども男臭い優しさを感じるカッコイイ曲だった。

 

主題歌に使われた映画「宮本から君へ」のイメージと曲をピッタリ合わせるところにプロの実力を感じる。

 

この曲のおかげで今度は宮本浩次の声が鼓膜にこびり付いて離れない。

  

二人のブログの共通点

僕は先日、二人の記事を出張帰りの新幹線の中で読んだ。

いつもなら移動中もパソコンのキーボードを必死に叩くのだが、その日は朝5時から12時間以上働いた後でグッタリしていた。

パソコンを開く気力など残っておらず、もう仕事はしないと決め、好きな時間に費やすことに決めた。

 

まずは横山健のブログを読み、立て続けにサクさんのブログも読む。

同じミュージシャン目線から書いた横山健のブログとファンの目線から書かれたサクさんのブログ。

 

宮本浩次への熱烈な愛は同じであれど、異なる距離感で書かれたブログはそれぞれの面白さがあった。

最後に二人のブログで共通して触れていたことを紹介したい。

 

それはエレカシが期待されてデビューした後にレコード会社から契約を解消されていた過去を持つこと。

そして、契約を解消されるまでのエレカシの音楽性(曲やライブ)が攻撃的であったことと、「悲しみの果て」「今宵の月のように」などの代表曲は再始動後に生まれたこと。

 

僕の知っているエレカシは「悲しみの果て」や「今宵の月のように」のときのエレカシでしかない。

 

まさか宮本浩次が声援を送るファンに向けて「うるせぇ、バカ野郎!」と怒鳴っていたとは想像しなかったし、下北沢のバンドマンたちの間で"ブルーハーツの次のバンド"として崇められていたは意外だった。

 

僕がテレビで見る宮本浩次の印象はいつも髪を掻きむしっていて、なんとなく挙動が怪しく、でも眼光は鋭い、だ(決して悪口ではなく)。

 

宮本浩次が凡人とは明らかに違うことはわかっていた。

例えが適切かはわからないが、それこそ甲本ヒロトや忌野清志郎のような唯一無二のロックンローラーが持つ特別な雰囲気(オーラ)を感じていたのも間違いない。

 

ただ、音楽的な凄さをちゃんと理解したことはなかった。

きっと一度でもライブを見ていれば、その凄さを実感できただろうが、あいにくその機会はこれまでなかった。 

 

だからこそ、2人のブログから宮本浩次の凄さを知った今の僕は宮本浩次のことが気になって仕方がない。

 

今度の日曜はエレカシの曲を聴きまくってみようかと思っている。

 

All Time Best Album THE FIGHTING MAN(通常盤)

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風に吹かれて -エレファントカシマシの軌跡

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半分ぐらい僕の横山健への偏愛を書いていた気がしなくもないが、それは良しとしよう。

 

僕ごときの紹介で2万字のブログは読めないかもしれないが、もし宮本浩次に興味があるのなら騙されたと思って先程の横山健のブログも読んで欲しい。

 

プロの音楽ライターが書く記事と比べても遜色ないレベルの内容だ。

 

横山健 随感随筆編

横山健 随感随筆編

  • 作者:横山 健
  • 発売日: 2014/05/15
  • メディア: 単行本
 

 

「今さらながら」かもしれないが、いい歳のおっさんになった僕は、デビューしてから40年以上も過ぎたエレカシを、そして、今も精力的に活動する宮本浩次を、 これからじっくり堪能していこうじゃないか。

 

おわり

 

100回目の投稿でもバズらない僕と、はてなブログの心得

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こんにちはAKIです。珍しく挨拶から書き始めてみました。

おかげさまで今回100回目の投稿です。

 

相変わらず変なタイトルを付けていますが、目立とうと奇をてらったわけではありません。

質はさて置き、書くのが苦手な僕が100記事まで続けられたことは素直に嬉しいですし、いつも見にきてくれる読者さんには心から感謝しています。

 

ありがとうございます😌

 

当たり前の話ですが、100回目は100回に1回にしかありません。

大きな節目なので、これまでを振り返っていけたらと思います。

少し長くなりますが、お付き合いください。

 

 

100回目の投稿に書きたいこと 

実を言うと、100回目にはみなさんがよくやるアレをやりたかったんですよ。

 

「ブログ開設〇ヶ月、〇PV達成」

・・・みたいな。

 

今までの成果のレビューです。

前回これぐらいだったのが、今回はこれぐらいになったとか・・・。

数字の変化が面白いんですよね。

 

普段は他人に見せない成績表を特別に見せてくれているみたいでワクワクしませんか⁉︎

 

たいていの場合、僕なんかよりずっと成績の良いので、かなりの確率で凹んでしまうんですが、気になるからつい見ちゃうんですよね。

 

アレ、僕は大好きです。

 

だから同じようにやりたかったんですが、今まで書くのに必死になりすぎて、途中経過をメモしている余裕がありませんでした。

今の結果を並べるだけではレビューとしていまいち面白みに欠けるので、潔くやめておこう思います。

 

(数字だけ白状しておくと、やっと5000超えたぐらいです😢)

 

まぁ、しょぼい数字は置いといて、ブログを継続するために僕はとにかく必死で書いてきました。

 

公開する以上、ブログは読まれてなんぼだと思っています。

 

多くの人がそうであるように、僕も最初の頃はまったく読まれませんでした。

書いたらすぐに次を投稿しないと、訪問者がゼロになる日も珍しくなかったです。

 

ゼロの日が続けばモチベーションはガタガタに落ちていきました。

 

いつか面白い記事でドカンと一発バズったらゆっくりしよう。

 

もちろんそんな日がやってくることはなく、ただひたすらに書き続けるしかありませんでした。

 

そんなわけでレビューの記事はあきらめ、代わりと言ってはなんですが、ブログを始めた経緯や学んだことなどを書いてみたいと思います。

 

もし僕と同じように必死にもがいているブロガーさんの役に立てるのなら、きっと意味のある100回目になるのではないでしょうか。

 

はてなブログを始めたワケ

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僕がブログを始めた動機は他の人とそんなに変わらないと思います。

 

ブログで簡単にお金を稼ぎたい。

 

甘く考えていました。

 

それだけではなかったんですが、わかりやすく理由を挙げるとこんな感じです。

 

①アフィリエイトで副収入を得たい

②SNSにチャレンジしてみたい

③ブログで自分の世界を広げてみたい

 

文字の大きさで割合を表してみました。

しかし、続けていくうちに状況は変わっていくものでして、今はこんな感じです。

 

①いつかはアフィリエイトに挑戦したい

②SNSで自分の考えをもっと発信したい

③ブログで色んな人とつながりたい

 

順番に説明していきます。

 

①アフィリエイトと副収入

先に断っておくと、今でもアフィリエイトで稼げるのなら、すぐにでも稼ぎたいと思っています。

 

でも、いざブログを始めてみると、やっぱりそれは難しいことだとわかりました。

 

始める前に気合いを入れて解説書を何冊も買いました。

解説書はブログを始める人が遠回りをしなくても済むようにノウハウを紹介してくれています。

 

きっと本で教えている通りに書ければ上手くいくんだと思うんです。

でも、教え通りに書くのはやってみると想像以上に難しいものでした。

 

結局のところ、一部のセンスのある人を除けば、遠回りは必要になる気がします。

 

むしろ、僕のようなセンスのない人間には、その遠回りに耐えられるかどうかが重要でした。

 

思い返せば、僕がブログを書き始めたのは2020年の秋です。

ですが、ブログを立ち上げたのはそれよりも1年以上前のことでした。

 

1年の間に何をしていたかと言いますと、ずっとブログのデザインをイジっていました。

ブログのデザインをイジってイジって、イジり倒していました。

 

こちらの本に載っていたCSSのカスタイマイズが面白くて、ハマってしまったんです。

 

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 プロっぽいデザインに仕上げたら、それだけで人気が出る。

 そんな勘違いをしていました。

 

大事なのは外見ではなく中身。

それすらわからぬまま、1年が過ぎていきます。

 

唯一良かったのは、デザインに費やした1年が無駄にならないよう、簡単にはやめられないという決意が生まれたことです。

 

これはブログを継続する上では効果的でした。

 

ただ、素人が無理矢理書いたコードはSEO的には問題な部分が多く、最近はバッサリ切り捨ててしまおうかと密かに考えています。

 

こちらががんばってカスタマイズしたトップ画面。

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ちなみにもし僕がいきなり広告を貼り始めたら、「コイツ始めたな」と思って、大目に見てください。

 

②SNSとの関わり方

気付けば僕はTwitterもInstagramもFacebookも、SNSの類は何もやっていませんでした。

 

「歳を取ると、こうして時代に置いておかれるんだろう」

 

そんな風に投げやりになりながらも気になることが一つありました。

 

子どもたちはどうする?

 

子どもたちがSNSと関わらずに生きていくことなどあり得ません。

一方、SNSがきっかけで未成年がトラブルや事件に巻き込まれるニュースは後を絶ちません。

 

親として、SNSとの関わり方を身を自ら示す必要がある。

そんな思いもブログを始めようとしたときにはありました。

 

 

が、初めてみるとSNSは思いのほか楽しい。

自ら発信することがこんなに快感だと知りませんでした。

 

最近の若者はすぐに"いいね"を欲しがる。

 

いやいや、若者だけではありません。

やってみれば若者じゃなくたって欲しくなる。

 

SNSのことを理解していないおじさんはたくさんいます。

どうしたらトラブルに巻き込まれずに自分を発信し続ることができるか?

 

それが僕のブログの裏テーマなのです。

 

③ブログでつながる世界

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40歳にもなると、新しい出会いはずいぶんと減りました。

短い期間で否応なしに環境が変わってきた若い頃に比べて、関わる人も固定されがちです。

 

ブログを始めることで新しい出会いがほしい。

 

ブログを始めた頃、著名なブロガーさんが初心者ブロガー向けに書いた記事を読みました。

 

その中には2つの教えが書かれていました。

ひとつは「最初は全然読まれない」で、もう一つは「色んな人との出会いが楽しい」です。

 

ほんまかいな~。

心の中でツッコんでました。

 

そのブロガーさんはブログで生計を立てれるぐらいたくさんのお金を稼いでいる人です。

きれいごとを言っているようにしか思えませんでした。

 

でも今はその意味が少しわかります。

 

人気のない僕のブログですが、少しずつ読者さんが増えてくれました。

僕自身も多くの人の読者になっています。

 

読者さんの中には色んな人がいて、年齢も違えば住んでいる場所も違います。

リアルの生活ではつながれないような人たちとつながることができました。

 

バンドをやっている人、本に詳しい人、キャンプが得意な人、絵が上手な人、お店を経営している人。

 

ブログで知り合った人から情報や意見をもらえることは本当に新鮮です。

 

だから、もっと出会いを広げていきたいのですが、気をつけたいのはコミュニティーの中に"残念な人"を入れないことです。

 

どうしても世の中には残念な人たちがいます。

"残念な人"とは他人に誹謗中傷を繰り返す人たちのことです。

 

関わり合いをまったく持たないようにするのは無理かもしれませんが、絡まれる確率を下げる方法はあります。

 

それは自分が誹謗中傷をしないこと。

 

わかりやすい誹謗中傷を書く人はあまりいないと思いますが、それに近いネガティブな書き方はたまに目にします。

 

ブログ的にはネガティブな書き方をした方が面白い記事になりやすいとは思うんです。

 

でも、それをしてしまうと同じような人たちが集まってきます。

だから、僕はできる限りネガティブな書き方はしません。

 

トップブロガーのような特別な文才のある人たちなら話は別ですが、凡人がネガティブな書き方をするのは危険な行為だと思っています。

 

まぁ、何を書くかは個人の自由です。

でも、ブログで誹謗中傷するのは自分の家に悪口を貼り出すようなものではないでしょうか。

 

はてなブログのおすすめ機能

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読者さんが増えたことで嬉しいのは、やっぱり誰かがスターを付けたり、コメントをくれることです。

 

今週のお題

最近は、今週のお題に参加しなくてもようやくスターをもらえるようになりました。

今週のお題を書かなくても見にきてくれる人ができたという意味です。

 

始めた頃は今週のお題からもらえるスターのおかげでなんとか書き続けられたと言っても過言ではありません。

 

指定されたお題から書き始めることは、書くことに慣れるための良い練習にもなりました。

ですから雑記ブログの初心者には今週のお題に参加することをおすすめしたいと思います。

 

はてなスター

僕は記事の下に、はてなスターを設置しています。

スターを設置しておくとページの表示速度が遅くなったり、他人の評価が気になったりするので、スターを外されている人もいます。

 

確かにその通りだと思いますが、僕は今のところ外すつもりはありません。

 

僕はスターを付けてくれた人のブログを優先的に見るようにしています。

 

別に要求しているわけじゃないですよ🤭

 

これは俗に言う「スター返し」なので、あまり良い印象を持たない人も多いかもしれません。

 

でも僕はこれは合理的な行為だと考えています。

世の中には面白いブログがごまんとありますが、その全てを見ることはできません。

 

だからこそ、忙しい時間を削って自分のブログを見にきてくれる人は貴重です。

たとえ見返りを求めるものであっても、見にきてくれた事実に変わりはありません。

 

僕は自分を応援してくれる人を素直に応援したいです。

 

むやみやたらにスターを付ける行為は望ましくありませんが、変に「スター返し」を意識し過ぎて躊躇するよりは、素直な気持ちでスターを付けることを僕はおすすめします。

 

ちなにみスターを付ける数の考え方は人それぞれです。

同じ1個でも付ける人によって評価の重みは異なります。

正解はありません。

自分の好きなように付ければ良いと思っています。

 

コメント

スターは素晴らしい機能です。

でも僕はコメントの機能がもっと好きです。

 

別に要求しているわけじゃないですよ🤭

(2回目)

 

先程の話と矛盾するようですが、僕はスターが多い記事よりもコメントの多い記事に憧れます。

スターは見に来たことを伝えられますが、中身を読んだことまでは伝えられません。

 

ブログなので本来は「見る」イコール「読む」で良いはずですが、ここに先程の「スター返し」のジレンマが潜んでいるようにも思えます。

 

その点、コメントは中身を読まない限り、書くことはできません。

だからこそ、僕はできるだけコメントするよう心掛けています。

 

たまにスルーされますが、あまり気にしていません。ほとんどの方はコメントを返してくれます。

 

はてなブロガーさんたちは優しい人が多いです☺️

 

それに、共感されて悪い気がする人はいないはずです。

僕は共感しない限りコメントはしません。

そのルールを守らないとおかしなことになるからです。

 

僕は共感のコメントをいただくときがブログをやっていて1番楽しいと感じる時です。

 

読んだことと共感したことを伝えられるのがコメントの魅力です。

 

 

ブックマーク

少し前まではここぞの時にだけ使う機能だと勝手に勘違いして、あまり使わないようにしていました。

でも、最近はこの機能をなるべく使うようにしています。

 

この機能の素晴らしいところは自分だけではなく、記事を書いた人にもメリットがあるところです。

 

ブックマークされた記事は自分以外のユーザーに読まれる機会が増えます。

 

別に要求してなくはないですよ😏

 

先程、スターのところで僕は応援してくれる人を応援したいと書きました。

ブックマーク機能はまさに応援に適した機能です。

 

だから、他の人にも見てもらいたいと感じた記事はブックマークを使用します。

 

もし自分の推している読者が有名になったら嬉しくないですか⁉︎

 

有名になったときに万が一僕のブログを紹介してくれるかもしれないし、反対にもし僕が有名になるようなことがあれば誰かの記事を紹介するかもしれない。

 

先に人気の出た方がまだ人気の出てない方を引っ張るっ関係ってカッコいいと思うんですよね。

 

バックナンバー

読者やスターの多いブログには当然面白い記事が多いですが、少ない人が面白くないかと言えば決してそんなことはありません。

 

読まれるきっかけが大事なんだと思います。

 

僕自身なかなか読まれなくても書き続けられるのは何かのきっかけで人気が出たら、今まで書いてきた過去の記事もまた読まれるようになると信じているからです。

 

まだ今は100回目ですが、気持ちとしては1000回まで書き続けるつもりでいます。

 

1000回までには奇跡でも1回ぐらいバズりたいですね。

 

ずいぶんと長くなってしまいすいません。

最後に過去に書いた記事を紹介させてください。

 

hajimarikokokara.hatenadiary.com

 

執念でトップに固定し続けた結果、スターを100以上に伸ばしました。(笑)

 

 

hajimarikokokara.hatenadiary.com

 

読者さんの中にもバンプのファンが多くて嬉しかった記事です。

 

 

hajimarikokokara.hatenadiary.com

 

この記事はなぜか1日で500PVを達成しました。下手なゴルフがはじめて役に立ちました。

 

 

hajimarikokokara.hatenadiary.com

 

複数の人に「見てみたい」というコメントをもらえたのが嬉しかったです。 

 

 

それでは、最後まで読んでくれてありがとうごさいました。

いつも読んでくださっている読者さん、本当にありがとうございます。

 

そして、これからは週2回ぐらいのペースで書いていきたいと思います。

 

僕は書くのが人より遅いです。

睡眠時間などを削ってなんとか書いてきましたが、さすがにこのまま続けていくのはしんどいので、そろそろペースを落とした方が良さそうです。

 

それに読者の登録数も増えてきたので、他の人の記事を読む時間も多く必要になってきました。

 

おそらくですが、人気のあるブロガーさんたちは他の人の記事をたくさん読んでいます。

僕もその姿勢は学ばなくてはなりません。

 

あなたのブログがをこれからも応援していきます。

 

おわり

受験に2度失敗した僕が学びについて思うこと

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昨日は家で仕事をした。ここ最近は週2回ぐらいの在宅勤務が当たり前になってきている。

ただ、昨日がいつもと違ったのはパソコン越しに息子が勉強していたことだ。

 

僕は家で仕事をするときはダイニングテーブルですることが多い。

自分の書斎がない僕にとって、広くて椅子もあるダイニングテーブルはパソコンや書類を広げるのに一番使いやすい。

 

その息子は昼に簡単なオムライスを作ってくれた。

小2のくせに料理に興味があるらしく、ときどき妻がごはんを作るのを手伝っている。

まったく料理をしない男を夫に持ったせいか、そんな息子を妻はよく褒めている。

 

殻を割り卵をボウルの中に落とす。生卵を溶くときは箸を3本使うと良いらしい。

1枚目をフライパンからひっくり返すのは失敗した。皿の上にはケチャップライスのはみ出したオムライスがのっかる。

あまりに悲しそうな顔をしたので、それは僕が食べる分にした。

気を取り直して2枚目。今度は成功。

1回目の失敗がまるで無かったかのように得意げな顔をしていた。

 

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ちなみに息子が朝から家にいるのは春休みに入ったからだ。本来なら学童保育に行くはずだったが、退屈過ぎるという理由で行くのを拒んだ。

 

この春休みか終わると息子は小学3年になる。

息子は進級だが、新たに高校や大学に通い始める学生もいる。

そして、彼らの中には自分が一番に志望した学校に行けなかった学生もいるだろう。

 

#今年、学んでみたいことは? × 受験

 

僕は学生のときに2度大きな受験に失敗している。

1度目は高校受験で2度目は大学受験。

どちらも第一志望から落ちてしまった。

滑り止めの学校には受かっていたので、浪人はしていない。

それでも3年間の学校生活で唯一泣いたのは受験に失敗したときだけで、涙が出るほど悲しかった。

 

なぜそれほどまでに悲しかったのか?

 

今思えば泣く必要などなかった。

決して強がりで言っているわけではない。

滑り止めで行った学校が思ったより楽しかったからでもない。

 

よくよく考えてみると僕には第一志望の学校にどうしても行かなくてはならない理由がなかった。

その学校で何かしたいことがあったわけではなく、その学校でしか学べないことなどなかった。

 

僕が志望校を決めたの理由は単純だ。

自分の頭で入れそうな1番偏差値の高い学校を選んだ。

高校のときも大学のときも同じ。

ギリギリを狙い過ぎた結果、本番に弱い僕は受験戦争に敗れた。

 

少しでも偏差値の高い高校に行って、少しでも偏差値の高い大学に入り、少しでも優良な企業に就職する。

ぼんやりしたつまらない理由。

 

他の理由も強いて挙げれば、親の望んだ学校とか、学費の安い公立の学校とか、都会にある学校だとか。

どれも大した理由じゃない。

 

自分の人生だ。親の人生ではない。

親に経済的な負担をかけるのが嫌なら遊ぶ代わりにバイトして仕送りをやめてもらえばいい。

けれどもそれはしなかった。その程度だ。

 

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大人になり、学生のうちにもっとたくさんのことを学んでおけば良かったと思う。

奇しくも、今週のお題が「あなたの今年、学びたいことは何ですか?」であるように、大人になって自由に使える時間が少なくなると、「あれも学びたい、これも学びたい」と学びに貪欲になる。

 

僕は学校に行って何を学ぶかよりも、その学校に入ることしか考えていなかった。

今年、希望が叶わず涙した学生の中にも、僕のように目的が逆転し、入学することしか考えていなかった学生もいるだろう。

 

もちろんちゃんとした目的を持っている学生もいるだろうけど、日本の教育なんて、まだそんなもんじゃないかと勝手に思っている。

 

そんな彼らには言ってあげたい。

第一志望校じゃなきゃダメだった理由は本当にあったのか?

それよりも今から行く学校で何を学ぶかを真剣に考える方が大事なのではないかと。

だから、必要以上に悲しむことはない。

 

息子の受験はもうしばらく先だが、自分の得た教訓から息子には何を学びたいかで学校を選んで欲しいと思う。

特に今の時代は情報が溢れていて、スマホさえあれば大抵のことは学ぶことができる。

極端な話、やろうと思えば学校に行かなくても、ある程度の知識や教養は見つけることができるだろう。

 

僕らの時代では決してできなかったことだ。

まったく環境が変わってきているのに、僕の時代と同じ価値観で学校を選ぶようなことは絶対にしてほしくない。

 

僕が学校で学びたかったのは何だろうか?

学んで良かったことは何だったのだろうか?

息子に少しだけでもヒントを与えられるよう、受験までに考えておこうと思う。

 

 

ちなみに今日僕がこんなことを書いたのは、昨日、日テレで放送していた『Premium Music 2021』を見たからだ。

 

アンジェラ・アキスピッツのせい。

 

『手紙~拝啓 十五の君へ~』

 

『空も飛べるはず』

 

ドラマ「白線流し」を思い出すな~。

 

終わり