はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

読みたいことを書けばいい、と知った(書評)

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なんでブログを書いているのか。ブログを書いて何の得があるのか。ブログを書くことにいちいち理由や価値を求め始めると途端に窮屈になる。

なんでだろう。僕は書いているとすぐにつまずく。

ブログは9割の人が1年以内にやめてしまうという事実

最近はネタを考えるのがツラい。書こうと思ったことがあっても、あのネタはあんまりウケなさそうとか、このタイトルは読んで貰えそうにないとか。そんなことを気にしてやめることが増えた。

お金を貰っているわけではない。誰かに期待されているわけでもない。それなのにお前は何を気にしているって話。はは、バカだ(笑)

ブログの継続が難しいことは知っている。9割の人がブログを始めて1年も持たないことも知っている。そんなことはよく知った上で偉そうに"あなたの投稿を待つ"という記事を書いた。

でも、いざ自分の心が折れそうになると『あぁ、このままフェイドアウトしちゃうかも…』って感じになって、今は内心焦っている。

hajimarikokokara.hatenadiary.com

書くネタに乏しいとか、書くスピードが遅いとか、面白いことを書くセンスがないだとか、そんなことは初めからわかっていた。最初はダメでも、そのうちマシになるだろうって思っていた。けれども想像以上に進歩はなくて…。

いつも何を書くか迷うし、言葉は思い通り文字にできないし、最終的にベタな感想ばかり書いている。ブログのために睡眠時間を削って、反対にぼーっと考えている時間は増えて、子どもからは「またスマホを見てる」と注意される始末。  

こんな風に自分を客観視してしまうと『なんで書いているんだろう』と我に返ってしまう。そういえば僕は何のためにブログを始めたのだろうか?

思い出を記録するため?いや違う、お金だ。知識やアイディアを整理するため?いやいや違う、お金だ。ブログで小銭を稼げないかと考えた。

でも、想像以上にそれが難しいことだとわかるとお金から目先を変えた。THE承認欲求。記事を書いた後には「スターをくれや~」、「読者になってくれや~」と心の中でひそかに叫んでいる。マジでダサい。

あ〜、僕はどうすればいいんだ…。どうしたら悩まずに書けるんだろうか。そして、いったい何を書けばいいんだろうか。

書籍「読みたいことを、書けばいい」 

さて、ここまで読んだくれたあなたは恐らく僕と同じような悩みを持っている人ではないだろうか。それとも単に心の広い人。あるいはその両方に当てはまる人かもしれない。

いずれにしてもありがとうと感謝を言わせていただく。ただでさえジメジメした季節に愚痴っぽい文章を読んでくれてありがとう。そんなあなたには朗報を伝えたい。実は今回はある本を紹介するの主題である。

僕は「書くのがしんどい」(竹村俊助 著、PHP出版)という本から「どうしたら書けるか」を学んでブログをはじめた。なのに、いつの間にかまた書くのがしんどくなっていた。(とても有用な本なので興味がある方はぜひ読んでいただきたく)

そして、再び迷える子羊状態になった僕が今度は「読みたいことを、書けがばいい」(ダイヤモンド社)という本を手にした。

著者 

著者は田中泰延さん。広告会社の電通で24年間コピーライターを勤めた後に2016年からフリーに転向。ご本人曰く、独立ではなく、失業であり、自ら青年失業家と名乗る変わった人だ。

twitter.com

プロフィールについては本にも書いてあったので詳しいことは割愛するが、昼間はトラック運転手をしながら夜間の早稲田大学に通っていたらしい。大学時代の友人には名だたる上場企業の経営者たちがおり、若い頃から凡人ではない人たちに囲まれていたようだ。

内容

内容の紹介についてはダイヤモンド社がホームページに載せている文章を借りるのが一番楽だからわかりやすいと思ったので貼っておく。

「バズる記事」「ターゲットに刺さる文章」。そんな「技術」を学ぼうとする人は、出発点から間違っている。あなたが読みたいことを、あなたに向けて書けばいい。電通コピーライターとして24年、自分が読みたいものを書くために退職して「青年失業家」へ。Web記事500万PV超、Twitterフォロワー46000人超。多くの支持を得るwebライター初の著書。全く新しい文章講義、開講です。

ダイヤモンド社

実用書のようなハウツーを主体とした本ではない。どうしたら上手く書けるか、ではなく、書くということはどういうことであるか、を教えてくれる本である。

もちろん実用的なことがまったく書いていないというわけではない。章の節目には文章術コラムもさり気なく差し込まれている。量ではなく質。短くてもコラムの中身は濃厚だった。

手っ取り早くPV数を伸ばすための書き方が知りたいと思っているような人たちにはあまりおオススメしない。小手先の技術など、本書は真っ向否定しているからだ。やめておいた方がいい。

強いて言えば、書くことの心構えや姿勢を学ぶための本、と言ったところではないだろうか。

感想

勘違いのないように言っておくと、決してお堅い本ではない。むしろその逆で面白い。くれぐれも周りに人がいるところでは読まない方がいい。僕は職場の休憩時間に読んで失敗した。笑いを堪えるのに必死で、かなり顔が歪んでいたはず。

ただ面白い。とにかく書いてあることが圧倒的に面白い。いきなりゴリラの話が出てきて面食らってしまうが、単純に読み物として面白い。たとえ想像していた実用書のようなものとはかけ離れていたとしても、それをどうでも良く思わせるぐらいの魅力がある。

これ以上面白い面白いと書くと嘘っぽく聞こえるだろうし、僕の下手な解説を添えるのもかえってつまらなく思われそうなのでやめておく。

紹介しておいて無責任かもしれないが、ぶっちゃけサンプルを読んでもらえればわかる。ダイヤモンド社のページにも、アマゾンのKindleにも、試し読みができるサンプルがある。それを読んでもらえれば理解は早い。

中にはサンプルのページを探すのが面倒だという人もいるだろう。そんな人のために著者が書いた記事のリンクを親切心で貼らせていただく。実際に記事を読んで「田中泰延」が自分の趣味に合うかどうかをテイスティングしてもらえばいい。

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と、いうわけで書評という高尚な記事が書けない僕はこんなところで限界だ。

ブログを続けていると誰もが一度はモチベーションがぐーんと下がる時期を経験するはず。なぜ自分は書いているのか、自分はいったい何を書けばいいのか。自分に問い質したくなるときは必ずくる。

そんなときにこの本があなたを助けてくれるかもしれない。何を書けばいいのか、教えてくれるはずだ。結果、"書くということは何か"を知って書くことが怖くなるかもしれないが、たぶん大丈夫だ。僕が大丈夫だったから、他の人は大丈夫だろう。

なんだか頭の中でモヤモヤした霧のようなものが晴れてきた。これからは自分が読みたいと思うことを素直に書けばいい。

ちなみにこのブログのタイトル「はじまりここから」はWANIMAの『ここから』という曲からインスピレーションを受けて付けたものだ。

はじめよう ここから

旅立ちにいらない 不安なら

まだまだ これから

笑い飛ばせない日がきたら

ダサいのは今だけだから

作詞 松本健太

何かを始めるのにいつもためらってばかりで思い切りの悪い自分に"ダサいのは最初だけなんだ"と、言い聞かせるようにした意味がある。

せっかく始めたブログ。もう少しがんばりたい。きっとできる。自分が読みたいことを書けばいい、と知ったのだから。

 

おわり

 

 

 

顔見えマスクの理由

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マスクを毎日着用するようになってずいぶん久しい。最近ではゴミを捨てに行くのにもマスクを着用するようになった。やり過ぎな気もしなくはないが、妻が以前に近所で注意を受けてしまった。家からわずか数十メートルしか離れていない場所。マスクを着用せぬまま子どもを見送るために外に出たところ、無言で口のあたりを指差すジェスチャーをされたらしい。だいぶ慣れてきたとは言え、窮屈なルールだ…。

それにしても、こんなに長引くとは思ってもいなかった。職場の誰かがマスクを外したところを見て「この人、こんな顔だっけ?」と、なるときがある。昔から知っている社員ならまだしも、昨年入社したばかりの社員はマスクを着用しているときの顔の記憶しかない。

先日知り合いの業者と交わした会話もそんな感じだった。娘さんが通う高校では好きな人とマスクを外して写真を撮るのが流行りらしい。高校生には3年間しか猶予がない。このままマスク生活が続けば、友達の顔をまともに見る機会がほとんどないまま卒業してしまう可能性があるということだ。自分が直接聞いたわけではないのであくまで憶測に過ぎないが、もし本当にそうだとしたら、それは寂しいすぎるだろう。好きな人とマスク無しで写真を撮ることは確かにプレミアムな経験なのかもしれない。

表情が見えないことの弊害

実は今朝、マスクに関するある記事を読んだ。

news.yahoo.co.jp

ユニ・チャームの開発した「顔がみえマスク」が大好評という記事。パッと見た瞬間、顔の途中に境界線が入るみたいで『これは着けたくない』と思ったが、記事を読んだ後に自分の浅はかさを後悔した。

「顔がみえマスク」はユニ・チャームの社長と聴覚障害を持つ女性社員とのやり取りから生まれた。女性社員はマスクで人の口元や表情が見えなくなると業務に支障をきたすようになっていた。そんな彼女を見かねた母親が作ったのは市販のマスクと透明フィルムで作った口元が見えるマスク。彼女はそのマスクを周りの人に配り、使ってもらうようにしていた。

聴覚障害がある人にとって、マスクが弊害になることをまったく気付けずにいた。それどころか表情が隠せるマスクを便利にすら感じていた。あわよくばコロナが終息した後も都合良くマスクを利用しよう。そんな風にもなんて考えていた。この記事を読んだ後では情けなく思うばかりだ。

✳︎

コロナ禍では色々と不便なことがある。窮屈に感じることも多い。けれども自分より苦労している人がいることを想像できるようになりたい。そして、その人たちの声に耳を傾けられるようになりたい。今日は真面目にそんなことを思ってみた。

 

サッカーのPK戦のシステムって変わりませんか?

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時にあなたに尋ねます。「プレッシャーには強い方?それとも弱い方?」

ここで堂々「YES」と答えられるあなたはがメンタルが強い人です。メンタルが強くなるための秘訣をぜひ今度教えてください。

僕は無論弱いです。プレッシャーをかけられるのは大の苦手です。もし強い人間ならわざわざ他人に強いかどうかを聞いたりしません。

勝負に勝てる人と負ける人 

少し前に著述家の北野唯我さんが"僕は絶対に勝たなければならない場面ではほぼ全勝してきましたし、「勝負強さに」は自信があります。"とインタビューに答えている記事(※)を読みました。

※NewsPicks 「シゴテツ-仕事の鉄人-」より。ビジネス書や自己啓発本に詳しい方はご存知かもしれません。北野さんは博報堂や外資系の名門コンサルティング会社を経て、現在は就活サイトの運営等を行うスタートアップ企業ワンキャリアで取締役を務めます。著書は『転職の思考法』や『天才を殺す凡人』が有名。はてなブログ(『週報』北野唯我のブログ)もあります。

残念ながら僕はその逆で、ここぞという場面でほぼ全敗してきました。多少盛って言いましたが、学生時代は特にひどかったです。

例えば、小学生で所属していた地元のソフトボールチーム。大事な試合の最終回ツーアウト満塁で僕に打席が回ってきました。打てなければ負ける大事な場面です。打順が一つ前の友人が打席に立った時、僕はちゃんと祈ったはずでした。『頼むから打順をつながないでくれ』最低ですが、僕は子どものくせに保身に走りました。ヒーローになれるチャンスよりも自分のせいでチームが負けるのが怖かったんです。打席に立つ前からプレッシャーに負けていた僕は見事に三振に打ち取られました。

他にも学生にとって大きな勝負事と言えばやはり受験でしょう。最初は第一志望の公立高校に受験しますが失敗。泣きました。三年後、親になるべく負担は掛けまいと国立大学を受験しますが今度も失敗。また泣きました。

「本番に強い」とか、「本番に実力以上のものを発揮できる」とか、本当に意味が分かりません。「運も実力のうち」って本当ですか?僕が本番で発揮できるのはせいぜい実力の80%ぐらいです。プレッシャーのかからない勝負でしか、100%の実力を発揮できた気がしません。

北野唯我さん曰く、勝つためには徹底的に準備するらしいです。90%では不十分で、99.99%の準備をすることでやっと勝ちを確信して挑めるそうです。大事な勝負の前には準備を徹底するからこそ実力が存分に発揮できるのですね。いや、そうではなく、80%のパフォーマンスでも勝てるぐらい実力をつけておかなくてはならないのでしょう。たぶん、勝つ人はやることをちゃんとやっているんです。すいません、知りませんでした…。

ただ、それでもですね、個人的な勝負であればともかく、団体競技のようなチームで勝負するときのプレッシャーはなかなか厳しいと思うんですよ。

PK戦とプレッシャー 

6月6日(日)。僕の地元静岡で高校サッカーのインターハイ最終予選(県大会決勝)が行われました。29年ぶりの全国出場を目指す古豪清水東と2017年度大会以来4年ぶりのインターハイ出場を狙う静岡学園の対決です。

若者はピンとこないかもしれませんが、静岡は昔からサッカー王国で知られる街です。サッカー人口は多く、静岡が生んだサッカーのスター選手は数知れずです。今回のニ校では清水東のOBの一人に内田篤人さんがいて、静岡学園はキング・カズこと三浦知良さんの母校です。

漫画だってそうでした。サッカー漫画の金字塔『キャプテン翼』の舞台は静岡ですし、同じく人気漫画の『シュート』も静岡に実在する高校をモデルにしています。

あのスーパースターメッシも読んだと聞く『キャプテン翼』
あのスーパーアイドルSMAPが映画で実写化した『シュート!』
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話が逸れましたが、今回の清水東VS静岡学園はPK戦までもつれ込む激闘となりました。前評判では個人技で勝る静岡学園が優勢でしたが、一時は清水東が3-1とリードします。後半28分に静岡学園が同点に追いついてからは一進一退の攻防が続き、遂に延長戦でも勝負はつきませんでした。

僕は普段からスポーツ観戦をしないくせに、高校生の試合を観るのはわりと好きです。高校サッカーに限らず高校野球も好きです。トーナメント戦で争う高校生の試合は、長いシーズンをリーグ戦で競うプロの試合よりもドラマ性があって応援する側もより熱が入ります。

そんな負けたら終わりのトーナメント戦にあって、サッカーのPK戦はあまりに酷なルールです。問題はPK戦が失敗で勝敗を決めるところにあります。PKは基本的にゴールを決める、つまり成功するのを前提にしていて、誰かが失敗するのを待つものです。戦犯が特定されやすいシステムでできているのです。それってどうですか?厳しい勝負の世界に対して戯言に聞こえるかもしれません。でも、今更ながらいかがなものかと疑問を呈したくなるんです。

元イタリア代表でファンタジスタと呼ばれたロベルト・バッジョ。彼のような超一流選手ですら1994年のワールドカップ決勝でPKを外してしまい、苦悩した話は有名です。バッジョは「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」という名言を残していますが、深く刻まれた傷は生涯忘れられない記憶となったようです。

レジェンドも外すPKのプレッシャーがいかに重いか、選手も、観客も、みんなわかっています。なので、外した選手を責める人はいないと思しますし、そうであると願いたいです。が、躊躇いもなく唯一責めることができてしまう人間がいるとすれば当の本人じゃないでしょうか。本人が自分を責めるのは誰も止めることができません。仕方ないと開き直ってくれればいいんですが…。

ぶっちゃけPKのルールは変えられないものでしょうか?同じことを考えた人間はたくさんいると思います。調べたわけではないですが、たぶんいるはずです。今僕が書いているようなことも既に誰かが書いているかもしれません。パクりでないことは断言しておきます。

じゃあ、どうしましょう?今のシステムとは反対に5人に1人ぐらいの割合で成功するルールを考えればいいですよね。ゴールを狭くするとか、キーパーを2人にしちゃうとか、たぶん蹴る位置を遠くするのが手っ取り早いかもしれません。チームみんなでキックターゲットするのもアリかもです。

「そんなルールにしたらつまらねぇよ」と叱責されるかもしれませんが、プレッシャーに弱い僕はそんなことを考えてしまいます。

PKは観ていている方もハラハラドキドキ興奮します。でも、失敗が勝負を決めるよりは成功が勝負を決めるルールの方が良くないでしょうか?PKのシステムは永久にこのまま変わらないのでしょうか?ゆとり教育みたいなゆるいルールだとしても試しに検討してみてはどうでしょうか?こんな風に考えるのは僕だけでしょうか?

✳︎

ちなみに先程の決勝戦はサドンデスで静岡学園が6-5で勝利し、4年ぶりの優勝を決めました。ただ、勝負を決めたのはボールを蹴った清水東の選手ではなく、ファインプレーをした静岡学園のゴールキーパーでした。

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今週のお題「575」。

なつしばや せんしゅどもが ゆめのあと

(わかってます めちゃくちゃ強引です)

 

おわり

 

大坂なおみの報道で僕らが気付かなくてはならないこと

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少し前の話になる。大坂なおみ選手が全仏オープンで試合後の記者会見を拒否したことが世間で物議を醸した。続けて一回戦を終えた後に大会の棄権を表明すると、理由として2018年以降うつ病に悩まされてきたことを告白し話題になった。

たぶん今この記事を読んでいるあなたも知っていることだろう。僕はこのニュースを朝の報道番組で知ることになった。

「大坂なおみ選手の取った行為についてどう思うか?」

大会現地のフランス。リポーターが街頭インタビューを行う様子が映し出される。プロとしての自覚に欠ける行為と厳しく批判する男性。プロとは言え、メンタルには配慮すべきと擁護する女性。賛成意見と反対意見のどちらが多いかはわからなかった。敢えて均等に紹介しているように思えた。

昼のワイドショーでは司会を務める人気タレントが理路整然と自分の意見を語る。主張の仕方が上手い。人気者の彼女だからこそ全ては否定せず、一部分だけを否定するやり方はもっともらしく聞こえる。意地の悪い僕はついそんな風に見てしまう。

当初は否定的な意見が多かったが、徐々に彼女の行為を容認する雰囲気に変わっていった気がする。今、ネットニュースを見ると彼女を支援する記事が多く目に付いた。こういう問題を感情的に判断してはならないが、彼女のような人間には優しい世論、寛容なメディアであって欲しいと願う。

それに個人的には、記者会見の問題よりも、彼女がうつ病であると告白したことの方がよほど気になった。

栄光と影 

どんなジャンルにおいても成功を収めた有名人がうつ病を患うことは別に珍しい話ではない。良くも悪くも多くの人間から注目される有名人は一般人よりも精神的に苦しむリスクは高いのかもしれない。それはわかる。それでもなぜ、もっと楽に幸せでいられないのか。そう思わずにはいられない。

大坂なおみ選手で言えば、彼女は日本人テニスプレイヤーとして、誰も成し遂げていなかった4大メジャー大会を2度も制覇した。偉業であり、世界でも、歴史上でも、一握りの人しか手に入れることのできない栄冠を手にしたのだ。

何が彼女をうつ病になるまで苦しめたのだろうか。彼女がとてもピュアで繊細であるのは確かだろう。しかし、彼女は近年、テニス以外でも多くのものと戦ってきた。

昨年アメリカで起きたブラック・ライブス・マター(BLM)運動。責任感の強い彼女は自らの意思で積極的に関わった。そして、いつの間にかアイコン的な存在になっていった。人権や政治などの問題に首を突っ込むと必ず強いバッシングを受ける。一部の心無い人間は彼女のような人間を攻撃の的とする。

では、彼女を苦しめるのは少数の批判する人間だけだろうか。僕は多数の応援する人間もまた彼女を苦しめているような気がしてならない。

応援とは、困っている人や頑張っている人を手助けし、励ますことである。自分よりも他人を応援することは時に美徳とされる。僕らは大抵いつも誰かを応援している。しかし、同時に僕らは他人に期待をし過ぎてはいないだろうか。

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『わたしたちの想いをのせて』

先日、読んだ小説の一部に次のようなセリフが出てきた。

「その横断幕みて、最初は4球団渡り歩いて結果出せない自分が恥ずかしくて。でもさ、俺そいつらの夢なんか知らないし頼まれた覚えもないし頼まれるのも嫌だし。腹立ってきてな」

山羊メイルさんの書いた「二塁を廻れ」という作品である。

note.com

このセリフはプロ野球選手になった青年が地元の駅の改札で天井に掲げられた自分の横断幕を見つけたきの話を友人に語ったセリフだ。横断幕には『~県立高校~君、プロではばたけ、私たちの想いをのせて!』の文字が書かれてあり、彼は恥ずかしくなって在来線の改札まで逃げるように走った。

プレイ中におけるただの応援とは少し違う。彼は他人から勝手に押し付けられるだけの期待を煩わしく感じている。

このセリフを読んだときに僕は以前に同じようなセリフを読んだことを思い出した。

『もっと自分に期待してくれ』

僕が敬愛するバンド、Hi-STANDARD(ハイスタ)は人気絶頂の2000年に活動を休止した。今でこそ新曲を作ったり、ツアーに出たりするようになったが、2011年に復活するまでの間、一時は修復不可能と言われるぐらいまで関係は悪化していた。

活動休止後、ボーカルの難波さんは一人東京を去り、沖縄で傷心の日々を送っていた。ファンだった僕はハイスタの復活を待ち遠しく思いながら、たまに更新される彼のブログを読み続けた。おそらく僕と同じようなファンは当時たくさんいた。

当たり前かもしれないが、彼にとってハイスタが休止したとこは本当にショックだったはずだ。言葉を選ぶ余裕ができないほど、心は疲弊していた。ある日のブログに綴られていた文章がファンにとって極めて辛辣な内容だった。そのブログは既に消えてしまっているので正確な内容を書くことはできないが、僕の記憶の限りではこんなことを伝えていたと思う。

「勘弁してくれ。俺にどうしてほしい。いい加減他人にばかり期待せず、もっと自分に期待したらどうだ。」

その通りだった。僕はハイスタを復活させてくれることをひたすら彼に期待し続けていた。ハイスタは日本の規格には収まりきらない、世界でも活躍できる数少ないバンド。日本のプロ野球選手がメジャーで活躍することを期待するようにハイスタにも同じものを期待した。本人の気持ちも考えずに期待だけをすることは本当の意味での応援なんかじゃない。

難波さん本人が誰よりもハイスタで活動し続けたかったことは知っていた。ハイスタの休止にはギターの横山さんがうつ病を発症したことが背景にあった。ハイスタで世界中を駆け回る計画が崩れ落ち、それまでフル回転していた脳のコンピューターが次第に狂い始めていった。彼がそう語っていたのを覚えている。

ファンがアーティストを応援するのは当然の行為だ。だが、さすがにそのときは自分の行為を恥じた。自分の夢を持たず、他人しか期待できない自分がどうしようもなくカッコ悪く思えた。

 僕らが気付くべきこと 

もし自分が大坂なおみ選手を真剣に応援したいのであれば、「がんばれ」と声を掛けるのは彼女がコートの上にいるときだけにした方が良いのかもしれない。彼女の思想や行動に賛同するのであれば、彼女にがんばってもらおうとするのではなく、自分自身が行動を起こし、彼女を周りから支えることではないだろうか。難しいことのように思われるかもしれないが、人種差別問題について勉強することもその一つかもしれない。

僕らは苦しみながらもがんばっている人間から、「もっと自分ががんばれよ」というメッセージを受け取るべきではないだろうか。

 

おわり

 

 

 

 

そうめんにまつわるエトセトラ

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「そうめんをナメルな!」もし誰かに咎められたら、僕は言い返すことができない。ぐうの音も出ない。

麺は舐めるものではなく、すするものである。当然「そうめんを見くびるな」という意味だ。そうめんのことで怒ってくる奴などいないだろうが、今週のお題を前にして僕は思った。僕はそうめんのことを見くびっている。

「そうめんのことで大袈裟だろう」そう思ったあなたもそうめんを見くびっている。

ご馳走にはなれないそうめん 

なぜ、そうめんのことを見くびってしまうのか?それはそうめんにご馳走の要素が乏しいことに他ならない。では、なぜ、そうめんにはご馳走の要素が乏しいのだろうか?その理由には思い当たる節がある。

①腹が減ったときには食べない

「あ〜、ハラ減った。今日はガッツリそうめんを食べよう」そんなヤツはいない。自分はそうだ!というヤツがいたら少し黙っててほしい。そうめんは一般的に夏場の暑くて、食欲が減退しているときに食べたいものだ。サッパリしているからおいしいのである。食べたい欲求が強いときに選んで食べるものではない。

②バリエーションが少ない

月見うどんに天ぷらそば。だが、そうめんには卵も天ぷらものらない。味噌ラーメンに塩ラーメン。だが、そうめんにはしょうゆベースのつゆしかない。つまり、そうめんには豊富なトッピングがなければ、色んな味のつゆもない。だしの種類や薬味で微妙な味の違いを楽しむシンプルな食べ物なのだ。

③お店で食べない

うどん屋は知っている。蕎麦屋も知っている。ラーメン屋も知っている。洒落たパスタ屋だって知っている。だが、そうめん屋だけは知らない。家庭で食べるそうめんの味しか知らない。そうめんが食べたくてお店を探した記憶がないのだ。星が付いたそうめん屋を僕は聞いたことがない。

④とりあえずの料理

他の人の記事にも書いてあったが、夏になるとだいたいの家庭で、とりあえずそうめん出しておけば良い的なノリがある。シーズンのはじまりは良いが、徐々に「また、そうめんかよ」的なマンネリ化が起き始める。それが家族の雰囲気を悪くさせるきっかけになることもしばしば。

⑤アクティビティにされる

誰が始めたかわからない流しそうめん。流しそうめんは確かに風情がある。だが、最近は家庭でも楽しめるそーめんスライダーも見かけるようになった。冷静に考えると、そうめん以外に遊びながら食べる食べ物を僕は知らない。小さな子どもが食べ物でふざけていたら普通は親に怒られる。そうめんは遊ばれながら食べられる希有な食べ物である。

こんな具合にそうめんはご馳走になりにくい要素を多分に含んでいる。しかし、断っておくと僕はそうめんが嫌いではない。手の平を返すようだが、そうめんは好きだ。歳を取って若かった頃よりも好きになった。ただ、それでもそうめんのことは詳しく知らないのが事実だ。

そうめんやっぱり揖保乃糸 

僕の中では、おいしいそうめんと言えば「揖保乃糸」だと、昔から相場が決まっている。そう聞くと「いやいや、そうめんと言えば〇〇そうめんだろ!」と怒る人がいるかもしれない。でも、今はスルーしてくれ。「揖保乃糸」以外のそうめんのことはよく知らないんだ。

そもそも、どのそうめんが一番おいしいとかいう話をしたいわけじゃない。僕は今まで「揖保乃糸」について大きな勘違いをしていた。きっと僕と同じように勘違いしている人が世の中には一定層いるんじゃないかと思って、その勘違いについて話をしたい。いわゆる親切心ってやつだ。

さっきからしつこいぐらいに連呼している「揖保乃糸」。僕は「揖保乃糸」とは、ある食品メーカーが販売している固有の商品名だと思っていた。「えっ、違うの?」って思う人がいたら、僕の読み通りだ(ニヤリ)。実は「揖保乃糸」の商標は個のメーカーではなく、生産者から成る協同組合が持っている。

兵庫県手延素麺協同組合が有する手延素麺の商標。清流播磨五川のうち、揖保川、千種川、夢前川、市川流域のたつの市、揖保郡太子町、宍粟市、佐用郡佐用町、姫路市で生産される。

出典:Wikipedia

兵庫県たつの市を中心に姫路市・宍粟市・揖保郡・佐用郡にある400軒ほどの生産者によってつくられるそうめん。そのそうめんは「揖保乃糸」と名乗っていいそうだ。つまり複数のメーカーが「揖保乃糸」を販売している。

地元の人や普段からスーパーでそうめんの棚を見ている主婦からは「そんなことも知らなかったのか」とお𠮟りを受けるかもしれない。でも、リアルに知らなかったんだ。曲がりなりにも食品会社に勤める人間のくせに。実に恥ずかしい。恥を知れ、恥を。

✳︎

思い付くままに書いていたら、オチのない話と奇妙な文調になっていた。ネタが思いつかないからといって無理矢理書くのは良くないな。とは言え、せっかく書いたから投稿するけど、不評だったら躊躇なく下書きに戻そう。ユーモアで書いているので本気でツッコミを入れてくるのだけはやめていただきたい。

なんだかそうめんに申し訳ない。やっぱり僕はそうめんを見くびっている。

 

人生のプレイリストにBUMP OF CHIKENの「なないろ」を

今週のお題「わたしのプレイリスト」。

僕は自信を持って言える。僕の人生はシンプルかつ地味で平凡だ。人に聞かせるような波瀾万丈な物語などは持ち合わせていない。

別に自虐的に言っているわけではない。大した苦労もせず、人並みの幸せを手にすることができている。"人並みの幸せ"の正しい定義はよくわからないけど、たぶん手にしている。だから神様には感謝しかない。「退屈だ」とか言ったらバチが当たる。言いたいことは「これからもどうかよろしくお願いします!」。それだけだ。もちろんこれから先はどうなるかわからない。でも、少なくとも今までは恵まれてきたのだと思っている。

いくら地味で平凡な人生とは言え、毎日のように色んなことは起きる。小さなことから大きなことまで。何かある度に感情は浮き沈みする。楽しいことがあれば嬉しいし、哀しいことがあれば凹む。他人に聞かせるような話はなくたって自分の中では毎日がドラマなのだ。僕だけじゃない。たぶん基本的にみんなそうなんだろう。

自分しか知らない名もなき人生のドラマ。盛り上げてくれるものがあるとすれば、僕にとってそれは音楽だ。ドラマでは毎回、話の盛り上がるところで挿入歌が流れ、結末には必ずエンディングが流れる。同じように僕らは頭の中でならいつでも好きなように曲をかけることができるのだ。

気分がハイのときには元気な曲を。気分が沈んでいるときには静かな曲を。例えば、這い上がりたいとき。昔の若者ならロッキーのテーマが流れるかもしれないし、最近の若者なら紅蓮華が流れるみたいな…。(例えが下手)

その日の気分やシーンにに合わせて選ぶ曲は変わり、曲を流すことによって感情は増幅されていく。気分が落ち着いている日だって、何気なく聴いた曲に突然感情を揺さぶられることもある。音楽の力は絶大だ。

今年は久しぶりにバンプの曲をよく聴いている。新曲を2曲聴いたけどどちらもすごく好きな曲だった。1曲はバンド結成25周年目にリリースされた「Flare」。もう1曲はNHK連続テレビ小説の主題歌「なないろ」

好きなミュージシャンはたくさんいて、好きな曲は数えきれないほどある。それでも、もし自分の人生を本当にドラマ化するときが来るのなら、そのときはバンプの曲を流したい。

上手く説明できるないけど、バンプの曲には人の心を裸にさせるような何か不思議な力がある。曲を聴いている間、まるで本当に自分が何かの物語の主人公になったような気分にもなれるんだ。わかっている。いい歳の大人がかなり恥ずかしいことを言っているのはわかっている。でも、中二病とかバカにするなよ。この気持ちをきっとわかってくれる人はいると思う。


www.youtube.com

先程の「なないろ」の動画には実際に感情を揺さぶれたファンのコメントがいくつも寄せられていた。その中から気になったコメントを少し紹介したい。

19年前に「何回ころんだっていいいさ」という曲をリュックにつめてここまで歩いてきたけど、まさかここにきて「転んだ時の起き方を知っていること」も教えられるとはなぁ。 

臆病者の一撃さん

「歯磨きして顔洗って着替えたら、いつもと同じ足で出かけようぜ」って何の変哲もないことを歌ってるんだけど、ここがどうしもようもなくBUMPだし、藤くんだし、尊いんだが。 

もとぅぅさん

うつ病なのかなと思ってついに精神科に行く決意を今日したんだけど、こんな日にちょうどBUMPの新曲が来るとは思わなかった。なんか運命を感じた。僕の生活をどこかで見てるのかってくらい歌詞が沁みてきてもうダメだった…

「躓いて転んだ時は教えるよ 起き方を知っている事」で涙腺がバカになりました これだからBUMPは。

ひとさん

どれも言いたことはすごく伝わる。ちなみに歌詞はツイッターでも公開されている。

僕も以前にバンプの曲で揺さぶられた感情を記事に書いた。自分の大事な人との思い出をバンプの曲と一緒に振り返っている。

あなたは忙しい人かもしれなくて、読むのは面倒に感じるかもしれない。でもね。もしもちょっとだけでも興味が湧くのなら読んでもらえると嬉しい。

hajimarikokokara.hatenadiary.com

「なないろ」は僕の人生のプレイリストに間違いなく加わった。自信を持ってそう断言しておく。

なないろ

なないろ

  • Toy's Factory
Amazon

 

おわり

スゲェと感じる若手男性ボーカル5+2

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"言いたいことも言えないこんな世の中じゃ POISON”

果たして今の若者はこの曲を知っているだろうかー。

歌っていたのは俳優の反町隆史。作詞も反町が担当し、人気ドラマ「GTO」の主題歌として1998年にリリースされた曲だ。それなりにヒットした曲だと認識しているが、歌唱力もそれなりだった。決して下手ではないが、俳優が歌っていると聞いて納得するレベル。ただ、それは当たり前の話で反町が悪いわけではない。役者としての才能に優れているのだから、歌手のような歌唱力を求めるつもりはない。

その点で菅田将暉のような若者は凄すぎる。俳優でありながら、音楽活動のクオリティが高い。別にディスるつもりはないが、反町隆史と菅田将暉の歌を比較するのは気の毒に思えてしまう。(※あくまで個人的な感想です)

歳を取ると若者の音楽を否定するようになると思っていた。子どもの頃、演歌しか興味がない父親が流行りの曲に文句ばかり言っていたのを聞いて育ったせいかもしれない。しかし、実際に歳を取ってみると想像していた以上に若者の曲を受け入れられる自分がいた。流行りのスピードには付いていけないが、素晴らしさを理解できないわけではない。若い歌手を見ても素直にカッコイイと思える。先程の菅田将暉も然り。

今週のお題は「わたしのプレイリスト」。

好きな曲をブログに貼ることはよくある。けれども、振り返ってみると最近の曲は少ない。思い出の曲ばかりだ。たまにはオジさんたちではなく、若い男性ボーカルをプレイリストに並べてみようと思う。今さらかも知れないが、偏見かつ自由な感想ともに紹介したい。

北村匠海(DISH//)

菅田将暉と同じく俳優でありながら、歌が上手すぎる。北村匠海のことはJTが作ったテレビCMで知った。北村が演じる主人公を中心とした物語のバックにモンゴル800の清作が歌う「想うた」が流れる。お気に入りの曲なんだけど、北村ほどの歌唱力があるならいつかカバーしてもらいたい。


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藤井風

ルックスに恵まれているし、名前を聞いた時はジャニーズか何かのアイドルと思ったけど全然違った。以前にはてなブログでも才能がヤバすぎると盛り上がっていたので試しに聴いてみたら、本当にヤバかった。まさかのユーチューバーだったし。

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なんかもう好きとか嫌いとかじゃなくて、曲を聴けばとりあえず才能に圧倒される。規格外なところが、まるで音楽界の大谷翔平のようだ。


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秋山黄色

映画「えんとつ町のプペル」の挿入曲を歌っていたことから知った。アニメーションと曲が見事にマッチしていてついドはまりする。秋山はなんとなく鼻っ柱が強そう。Mステを見ていたら、演奏が終了した瞬間に勢いよくティッシュで鼻をかんでいたのがロックに思えた。


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熊谷和海(BURNOUT SYNDROMES)

アニメ「Dr.STONE」第1期オープニングテーマ曲を聞いて知った。曲の最初に流れる「おはよう世界 Good Morning World!」の太い声が強烈で、アニメを見た翌日はいつも頭の中をグルグルと曲が流れていた。"日本の3人組青春文學ロックバンド"という肩書きが興味深い。


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末武 竜之介(KUZIRA)

個人的に好きなPIZZA OF DEATH RECORDSの中で、今勢いのある若手バンド。英語の歌詞とスピード感のある王道のメロディックパンク。第2のWANIMAを目指してがんばって欲しい。


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既に若手とは言えないが、せっかくなのであと2人(プラス・ツー)だけ紹介させてほしい。

川上洋平([Alexandros])

東京スカパラともコラボし、「仮面ライダーセイバー」の主題歌を歌う川上洋平。まるでモデルのような体型で声がめちゃくちゃ高い。子どもたちが大好きで、我が家では今年、この曲とアレキの「ワタリドリ」がヘビロテ状態。


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K(Pay money To my Pain)

Pay money To my Pain というバンドを知っている人は多くないと思う。ボーカルのKは既に亡くなられていて、バンドも既に活動していない。新しい曲を聞くことはできないが、もしロックが好きで、特に洋楽が好きな人はぜひ試しに聞いて欲しい。日本人離れした楽曲に圧倒されるはず。このバンドは後世に語り継ぎたいバンドだ。


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今回はいつもと違うノリで勢いのまま書き連ねてしまったが、とにかく言いたいことは今の時代も若者たちは凄いということ。「最近の曲には付いていけない」とか言ってるおじさんがいたら、たまには若者の音楽に触れることをおススメしたい。

 

おわり