心を読み違えたメンタリストの失言に思うこと
ここ数日は特に書きたいことが思い浮かばないので、「何ならすぐに投稿を取り下げてもいいや 」ぐらいの気持ちで他愛ないことを書いてみようかと思う。
今に始まったことではないが、誰かの失言や失態を糾弾するニュースが、ここ最近はまた増えているような気がする。
某市長のメダルかじり&セクハラ発言や某野球解説者による女子ボクシングへの軽蔑発言。他にも某メンタリストによる生活困窮者らへの差別発言など、似たような話を挙げていくとキリがない。
本人達も好き好んで騒ぎを起こしたわけではないだろう。けれども今の時代、有名人の粗探しをしているのはメディアだけではない。隙さえあれば一般人だってSNSから仕掛けてくるのだ。
よって「もう少し用心すればいいのに」と余計な世話も焼きたくなる。
決して彼らに同情はしない。ただ僕としては、他人に不快な思いをさせただけのニュースにまったく興味がないので、そもそもそんなニュースを起こさないようにして欲しいのだ。行動や言動はもう少し慎んでいただきたい、と言いたいのである。
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しかし、腑に落ちない。K市長やH氏がやらかしてしまうのはなんとなくわかる。解せないのはD氏だ。彼に至っては、なぜあんな発言をしたのだろう。
「本当の彼はあんなことを言うような人じゃないよ」
そんな風に彼を擁護したいのではない。かと言って、今さら彼の人格を否定するつもりもない。
発言の内容が本心だったとして、なぜ口を滑らしてしまったのか?という意味だ。
仮にも彼はメンタリストである。人の心を読むプロなのだ。普通に考えれば、発言による世間の反応を読めないなんてことはあり得ない。
人の心を読むことが誰よりも得意な彼がつまらないミスを犯した。その理由を知りたい。
世間の批判なんて簡単にかわせると高を括っていたのだろうか。結果は集中砲火を浴びて撃沈した。
もしかすると、今までに彼が手にした数々の成功体験こそが彼の目を曇らせてしまったのかもしれない。彼の失敗に学ぶことがあるとすれば"過信はいつか自分の身を滅ぼす"と言うことである。
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では、自分は大丈夫か?もちろん有名人でもない僕に同じような悲劇が起こる心配はない。だが、「自分だったらそんなヘマはしない」果たしてそう言い切れるだろうか。
以前、妻の口から不意に出た一言に思い掛けず動揺した。
30歳を過ぎた頃から脇腹の贅肉が気になり始めた僕は40歳でいよいよ中年太りに危機感を覚え、以後、食生活や運動には気を付けるようにしている。紛れもないな事実であり、僕は真剣だ。
そして、世の中には体型やダイエットの話題が溢れている。少し前に子どもが仲良くさせてもらっている親同士で食事をしたときも体型のことが話題になり、僕としてはごく自然に自分のダイエット話を切り出したつもりだった。
別にその場の雰囲気が悪くなるようなことはなかったと思う。だが帰宅後、妻から「あの話はマウントを取りに行っている」と注意された。
妻が言うには、僕は脇腹にこそ贅肉が付いているが、背が高いこともあり、全体的には十分痩せて見える。まわりからすれば気にする必要があるレベルではない。そんな僕が自ら体型のことを自虐的に話すのはかえっていやらしく聞こえる。そういうことらしい。
他の親に太った人はいなかったが、少しぐらい肉付きのいい旦那さんはいた。華奢な僕からすれば、がたいが良くて羨ましいぐらいに見ていたが、腹は僕より出ていたかもしれない。
「あれぐらい大丈夫じゃね…?」とも思ったが、よく考えれば確かに少し調子に乗っていた。なぜなら僕は本当に気にしている自分の欠点をネタにできる性格ではない。
「え〜、全然太ってないですよ」
そんなセリフをもらうのは予想していた。
欠点を見せるようなフリをして、実は反対に自分の体型をアピールしたい気持ちがなかったかと言われれば嘘になる。
僕は太っている人のことを意図せず、下に見ていたのかもしれない。人よりは恵まれた体型をしている。そんな過信で、ついつい口を滑らしていたのだ。
とは言え、妻から教えてもらった動画を見て運動するぐらい気にはしているんだけどね。
過信にはくれぐれも注意しよう。
(ね、他愛のない話だったでしょ⁉︎)
おわり
スーパースターがピッチで天を仰いだ日の記憶
今週のお題「好きなスポーツ」。
数少ない自分のスポーツ観戦歴の中でひときわ強く記憶に残った試合がある。
ありがちな感動や歓喜した試合の記憶ではなく、むしろ儚さや寂しさを感じさせられた試合の記憶。
2006年にドイツで開催されたワールドカップ・グループリーグの最終戦。日本代表はブラジル代表に1ー4で敗れた。
その試合終了後、センターサークルで仰向けに倒れ込む選手がいた。中田英寿。
絶対的エースとしてチームの中心にいた選手である。
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当時は日本で最も有名なスポーツ選手の一人だったであろう。
1998年、イタリア。セリエA・ペルージャでの鮮烈なデビューと、その後に移籍したASローマやパルマといった名門クラブでの活躍。
初のワールドカップ出場を果たし、少しづつ高まっていた日本人のサッカー熱は、彼が海外クラブで輝かしい功績を上げることにより、更に熱い熱を帯びていったように思える。79年組とも呼ばれる黄金世代と同じ歳だった僕のまわりでは、とりわけ大きな盛り上がりを見せていた。
バイト帰りにコンビニでサッカー雑誌を立ち読み、家に帰れば深夜のサッカー番組をつける。暇さえあれば実名が入ったサッカーゲームで友人達と遊んだ。
雑誌の『 WORLD SOCCER DIGEST』、プレステの『ウイニングイレブン』、フジテレビの『セリエAダイジェスト』。
この記事を読んでくれている人の中にも知っている方はいるんじゃないだろうか。素人の僕でもサッカーが生活に溶け込んでいる時代だった。
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閑話休題。
中田がセンターサークルに倒れ込んだまま動こうとしない様子にすぐに違和感を覚えたが、理由は色々と想像できた。
試合に敗れ、グループリーグ敗退が確定したこと。近づいたかのように見えた世界との距離が実はまだ遠かったという現実を突き付けられたこと。
しかし、それだけでは理由が足りないようにも感じていた。放心状態のまま天を仰ぐ姿が気にならずにはいられなかった。
結果として、この試合は中田英寿が現役サッカー選手としてプレイした最後の試合となった。中田がワールドカップを以って現役を引退することを発表したのは試合から10日が過ぎた日のこと。かねてから意志は固まっていたようであったが、試合の放映中は世間にまだ公表されていなかった。
引退を決めた中田の年齢は29歳。選手としてピークは過ぎていたのかもしれないが、現役を継続するに問題はないはずだった。
自分に厳しい彼は自身のプレーがプロとして許せなくなったのかもしれない。多才な彼には次にやるべきことができてしまったからかもしれない。
どんな理由があるにせよ、あまりに早すぎる彼の決断に、ファンはもちろんのこと、同じサッカー選手たちからも引退を惜しむコメントがたくさん寄せられていた。
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現役引退というのはスポーツ選手特有のものである。スポーツをひとつの職業と捉えれば単なる転職に過ぎないかもしれないが、プロスポーツ選手の多くは、引退するまでの人生の大半をそのスポーツに捧ぐ。幼少の頃から人生を捧げるぐらいの努力がなくして、プロで活躍することは難しい。
そう考えるとスポーツ選手が現役を引退して次に進もうとする行為は、まさに"第二の人生を歩む"という表現が相応しい。
中田の引退試合から与えられたものは歓喜や感動でははなく、儚さや寂しさのような感情だった。
それでも今も記憶に強く残っているのは、スーパースターが第一の人生の最後を賭けて戦ったことの重みを感じ取ったからかもしれない。
オリンピック然り。一流選手の活躍を見たいと思うのは、単にスポーツとしての面白みだけではなく、そこに人生を賭けて戦う選手の姿があるからなのかもしれない。
そんな風に思うのは僕だけだろうか。
おわり
※記憶違いや認識違いがありましたら、悪しからず。
宿題代行と文部科学省の対応
今週のお題「自由研究」。
自分の子ども時代を振り返ってみても自由研究には苦い思い出しかない。読者感想文も苦手だったけど、自由研究も同じくらい苦手だった。
本を読んでただ感想を書く。興味のあることをただ研究してみる。
大人になった今、なぜそれらの行為がそれほどまでに苦手だったのかは不思議に思えるのだが、子どもにとって宿題は内容を問わず苦手なものだということなのだろう。
「自由」という言葉の響きは良い。が、自由が故に難しい場合もある。そのあたりはお題があると書きやすいブログと一緒なのかもしれない。
宿題代行
「宿題代行」というサービスについて知っているだろうか。読んで字の如く、宿題を代行してくれるサービスだ。
漢字ドリルや計算ドリルをはじめ、読者感想文や自由研究、ポスターの作成までも請け負っている。
完成度はもちろん、バレないように子どもがやったテイで仕上げてくれる。筆跡までも似せてくれたりするらしいが、代わりに料金設定は1ページで500円や一冊で5000円など、決して安くはないようだ。
数年前から存在しているサービスで、夏休みの時期になるとたびたび賛否を巻き起こしてきた。法律的に違反するのではないかとか、倫理的に問題があるのではないかとか。
様子を窺う限り否定的な意見の方が多い。常識的に考えて当然かもしれない。けれども、一定層には確かな需要があって、「学校が出す宿題には効果がない」、「他にもっとやるべきことがある」などの理由は一応あるらしい。
学校の中には生徒や親が本気で困るような宿題を出してくるところもあるようなので、運悪くおかしな学校に子どもを入学させてしまうと致し方ない場合もあるのかもしれない。
しかし、たとえそれを加味しても自分が子どものために利用するかと言えば、絶対に利用はしないと思う。
文部科学省の対応
ちなみに宿題代行に違法性はないらしい。とは言え、ルール違反であることには変わりないので、もし利用するのであればペナルティを受ける覚悟は必要だろう。
こういう問題で気になるのが、国や政府などの対応だ。調べてみると、文部科学省が宿題代行への対応としてメルカリやヤフー、楽天と合意した文書を公表していた。
内容はいずれも同じで、各社が展開している「メルカリ」、「ヤフオク」、「ラクマ」の事業において宿題代行とみなす出品は削除するという趣旨だった。
◯◯◯は会社名、△△△は事業名が入る。
1. 〇〇〇は、「△△△」において、宿題代行に関する役務を提供することはこれまでも禁止としていましたが、宿題の完成品の売買についても禁止するとともに、宿題代行に関する出品を発見した場合には、速やかに商品削除等の対応を行います。
2.文部科学省は、各学校が家庭と連携し、子供たち一人一人にとっての宿題の意義やその適切な在り方を改めて考えることを促すなど、自分で宿題に取り組むことの大切さを周知してまいります。
3.〇〇〇と文部科学省は、宿題代行への対応について、今後とも相互の連携・協力の下、子供たちの未来を第一に考えて取り組んでまいります。
そして、文部科学省としてはやはり宿題代行の存在意義は否定している。宿題を出している側として当然の見解だろう。
問題はどこにあるか
この先は個人的な見解になるが、問題点を一つ指摘させてもらうとすれば、自由研究などの特殊な宿題に対して、学校側も生徒にもう少し慣れさせておくような配慮をすべきじゃないだろうか。
優秀な生徒を除き、いきなり自由研究のような普段とやり方の違う宿題を与えられても、子どもは戸惑ってしまう。一人で調べ、一人で紙にまとめ、一人で発表するという経験を十分に積ませておかないで、突然やりなさいというのは無理がある。
先程、宿題代行について偉そうなことを書いたが、かくいう僕も自力ではなく、夏休みの終わりにヒーヒー言いながら母親に手伝ってもらっていた。ズルではあるが、本当にどうしてやったら良いのかわからなかったのだ。
今の時代、子どもの宿題を手伝いたくない親やそもそも教えることができない親たちが宿題代行に頼るのも、ある意味で必然なのもしれない。
小3の自由研究から
結局のところ、自分も親と同じように息子の自由研究を手伝ってしまっている。何をテーマにするかウダウダ決めかねていたので、良くないと思いつつ口を出してしまった。しかも、薦めたテーマは塾で習っていたことの応用でオリジナルのテーマとは言い難い。
子どもに甘過ぎるかもしれないが、自由研究は初めてだったので、まずはやり方に慣れてくれればという気持ちがあった。
参考までにどんなテーマかと言うと、車のギヤの取り付け方を変えることで、どの組み合わせが一番速く走るかを調べるというもの。
テキトーに車を作って、前方向に走るプログラムを書くぐらいならものの数分もしないうちに仕上げていた。
せっかくなのでクイズを出してみようと思う。
Q.モーターからタイヤまでのギヤの取り付け方で一番早い組み合わせはどれでしょう?
- モーター→大・中・小→タイヤ
- モーター→大・小・中→タイヤ
- モーター→中・小・大→タイヤ
- モーター→中・大・小→タイヤ
- モーター→小・大・中→タイヤ
- モーター→小・中・大→タイヤ
答えは ①の大・中・小 の組み合わせ。
↑ 答えを見たい人はぼかし部分に指(マウスカーソル)を合わせてみてください。
以前、カメさん (id:tn198403s)が紹介してくれていたぼかし字文。いつか試してみたいと思っていて無理矢理使ってみた。
カメさん、面白いものを紹介してくれてありがとうございます。
さて、長々書いてしまったが、来年は宿題代行にも、親にも頼るまでもなく、全て自力で自由研究をやってくれることに期待したい。
おわり
この家で一番自由な奴が
「この海で一番自由な奴が、海賊王だ!!」by モンキー・D・ルフィ
僕は知っている。彼女こそ、この家で一番自由な奴だ。
✳︎
天真爛漫。辞書で意味を調べると"飾らず純粋に喜怒哀楽を表現し、心に思うことをそのまま表している様子"と書いてある。
子どもに対して「天真爛漫な子どもだね」と言われれば、それは褒め言葉だ。やはり子どもは純粋で素直な性格であるほど可愛い。
残念ながら自分の幼少期の性格を説明するのに天真爛漫という言葉は適当でない。心に思ったことをそのまま出せるタイプではなく、フィルターに通して出すタイプの子どもだった。
しかし、あまりに天真爛漫すぎるのもそれはそれでなかなか厄介なものである。我が娘の性格はまさに天真爛漫という言葉が相応しい。少なくとも僕が知る限り、親族の中で彼女がもっとも天真爛漫な性格と言える。今日は彼女がいかに自由で、天真爛漫であるかを紹介してみたい。
ごめんくさい、足くさ~い
少し前まで彼女が乱用していたギャグである。「え、なんで吉本新喜劇?」と思ったら、元ネタはクレヨンしんちゃんだった。
足が臭いしんちゃんの父親、野原ひろしに因んでいる。ちなみに僕の足が臭いわけではない。彼女が単にそう言いたいだけ。
この手のギャグはとにかく無視するのが一番効果的だ。ウケたら最後。永遠と繰り返してくる。安直に「やめろ」と注意するのも禁物だ。嫌がる反応を面白がって倍返しされるリスクを否定できない。
ママがいい(怒)
定番のフレーズである。このフレーズを聞かない日はない。「お風呂に入ろう」とか「歯磨きしよう」とか。彼女にとってやりたくないことに誘うと、まるで僕が悪いからやる気がしないのだと言わんばかりにこのフレーズを吐き捨ててくる。
稀に妻に怒られたときだけは「パパがいい」に変化する。まったく調子が良くて困る。
コーンフレークで朝食を
我が家は基本的に朝食をしっかり取る。平日はご飯、休日はパンを食べるパターンが多い。
だが、彼女が平日にご飯を食べることは少ない。ご飯は食べたくないと言い放ち、一人だけコーンフレークやフルーツを食べている。
「そんなわがまま許すの?」
そんなお叱りの声が聞こえてきそうだが、娘のわがままを許しているのは他でもないご飯を準備してくれる妻なのだ。
彼女はなかなかの頑固者で気も強い。ちょっと怒った程度で怯むことはない。息子だったらちょっと威嚇するだけですぐにしゅんとなるのだが。
怒りで彼女に言うことを聞かせるのにはこちらも相当なパワーと時間を要する。忙しい平日の朝にそんなことをしている暇などあるわけがない。だから、平日は彼女のペースに合わせるしかないのだ。
さらに最近はコーンフレークに飽きたらしく、チョコフレークをリクエストするようになった。
猪突猛進
スーパーへ行くとまずはお菓子売り場にダッシュ。欲しい獲物をゲットしたら、今度は妻の元へとダッシュで戻っていく。戻るときにデカい声で「ママ〜」と叫ぶのはやめてほしい。まわりの人が迷子と勘違いしてこっちを振り向く。(みなさん、父親がちゃんと付き添っていますよ)心の中で言い訳をするのが精一杯だ。
しかも近頃はスーパーに限らず、どこへ出掛けても自分の行きたい場所に勝手に突っ走ってしまうから困ったもんだ。いつか迷子になるのではないかとヒヤヒヤしている。
オナラしちゃった(笑)
子どもはみんな好きかもしれないが、彼女もとにかくオナラが好き。まぁ、「オナラ、オナラ」言う程度のことは気にもしないのだが、わざわざ人の顔の前でするのは勘弁してほしい。こちとら、そんな下品な子に育てたつもりはない。
ちなみにオナラはまだかわいい方で「チ◯チ◯」なんかも平然と言う。幼稚園で教わってきたらしいが、誰だ教えた奴は。他にも下ネタワードはあるが、これ以上はやめておこう。
兄をアゴで使う
ツンデレとはよく言ったものだ。甘えたいときは甘え、気分が乗らないときは容赦なく突き放す。
「にぃに、好き。おんぶして」「にぃに、キライ。どっか行って」
兄弟喧嘩はしょっちゅうだが、兄の優しい性格を巧みに利用する彼女は逞しい。
✳︎
まぁ、こうして書いていくと、とんでもなく下品でわがままな娘でしかないのだが、大事な娘であることに変わりはない。結局のところ可愛いのだ。
気付くと猫のようにスッと膝の上に乗ってきて、お願いがあるときは小悪魔のように耳元で囁いてく。それをされるとこちらは言いなりになるしかない。
さっきはわがままで朝食のご飯を食べないと書いたが、実は好き嫌いがほとんどない。幼稚園の給食は時間内に必ず完食してくる。外では良い子をちゃんと演じてくるのだ。
子どもと遊ぶのが下手で今まで孫が懐くことがなかった僕の父親にも彼女はガンガン絡んでいく。おじいちゃんはそんな孫が可愛いくて仕方がないようだ。明らかに格別に可愛がっている。
とにかく、無垢でコミカルな様子は見ている人を飽きさせない。毎日みんなを楽しませてくれる。
彼女が笑顔を絶やさないように見守るのが父親としての僕の役目だ。もちろん必要なところは厳しく厳しく躾けていく。
そして、その役目は誰かが引き継いでくれるまで続く。結婚はまだまだ先だがこれからも僕を楽しませておくれ、我が娘よ。君がこの家で一番自由な奴だ。
おわり
好きにならずにいられない
「心(ハート)」なんて言葉は普段から軽々しく使える言葉じゃない。でも、世の中で一番大事なのは、やっぱり心なんだと思うんだ。今回はそんな話をしてみたい。
(口に出すのは恥ずかしいのになぜ書くのは平気なんだろう)
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
インターネットと心
青森県弘前市にある藤田アイス店というお店を知っているだろか。屋根つきの青いリヤカーで売る昔なつかしのアイスクリームの名前は「カランカランアイス」。2代目女性社長の藤本レイコさんが経営している。
もともと全国的に有名なお店ではないので、知っている人は少ないだろう。
じゃあ、なぜ地元民でもない僕が知っているかと言うと、あるツイートがきっかけで話題になったからだ。テレビで特集されていたのを僕はたまたま見ていた。
すいません...母ちゃん張り切り過ぎました...
— 藤田アイス店 (@fujitaaisuten) May 10, 2021
母「だって今年さくらまつりあるって言ったからぁあああ!!!」
気合入れて作ったけれど、一斗缶アイスが430缶余ってるそうです...
え?一斗缶ってどのくらいかって?
100〜120人前でーす\(^o^)/ pic.twitter.com/lUHkZZq0yS
(読んだ瞬間、グッとくるものがあるな)
経緯を説明しよう。
藤田アイス店さんは弘前市で開かれるさくらまつりで毎年アイスを売っている。去年はコロナの影響でまつりが中止になってしまったんだけど、今年は2年ぶりに開催されるとあって、藤本さんも張り切って準備をしていたようだ。
けれども、感染防止のため、会場の弘前公園内では食べ歩きが禁止になってしまう。そのうえ、悪天候が重なり、雨は降るし、気温は下がるし、さくらの花は散っていく。おかげでアイスはまったく売れない。大量の在庫を抱えてしまったそうだ。
藤本さんには東京に離れて暮らす娘さんがいる。娘さんはそんなお店のピンチを知るや否や冷蔵庫に余った大量のアイスの写真を送るよう母に伝えた。それが先程のツイートにあった写真だ。
ツイートは瞬く間に拡散され、付いた「いいね」は3.6万回以上。そして、ツイッターを見た人からアイスの注目が殺到する。注文した人の中には藤本さんと同じようにコロナで苦境に立たされた人もいた。だからこそ、他人事ではないとの思いで注文に至ったようだ。
で、僕はこの心温まる話には2つの大きな意味があると思っている。
一つ目はインターネットがあったからこそ起こり得た奇跡みたいな話であること。インターネットがあり、ツイッターというサービスがあったからこそ、藤本さんの(娘さん)の想いが出会ったこともない大勢の人に届いた。
二つ目はインターネットは使う人の心次第で色んな側面が見えるということ。ネットに関わる事件やニュースにはネガティブなものばかりが目に付く。だけど、「世の中捨てたもんじゃない」と思わせてくれるニュースもいっぱいあるんだ。
インターネットを使った誹謗中傷はいくら法律を厳しくしてもなくなりはしないだろう。誹謗中傷を減らしていくには社会全体で健全な人の心を育んでいくしかないのかもしれない。
わたしとインターネット
このお題を書くにあたって、初めて自分がインターネットを使ったときのことを思い返してみた。インターネットの誕生は人類にとってちょっとした事件である。六畳一間のアパートから初めて世界と繋がった瞬間のことを忘れるはずもない。
そう思ったけど、全く記憶には残っていなかった。
でも、インターネットを使い始めた理由はしっかり覚えている。就職活動にインターネットが必要になったからだ。その頃はリクルートなどの就職サイトを通じてエントリーするシステムがちょうどでき始めた時期。使う目的があまりに堅実過ぎて記憶に残らなかったのかもしれない。当時はパソコンの知識なんて皆無だったし、パソコンがたびたびフリーズを起こした。使いこなすのもやっとだったんだと思う。
ましてや自分のホームページを作ろうなんて大それたことは考えたことがなかった。2chなどの掲示板に自らコメントを発信することもなかった。
それからもずっと僕はインターネット上で何かを発信することはなかったんだけど、不思議なもので突如として1年ぐらい前からブログサービスを使い始めている。
ブログと心
ブログをこれまで続けてみて良かったと思うことは素敵な人たちと繋がれたことだ。正直言って、ブログを始めるまではSNSにネガティブなイメージしかなく、ネット上だけでまともな人付き合いなんてできないと思っていた。
でも、違った。もちろんリアルな付き合いほど深く関わりあっているわけではないけど、至極真っ当なやり取りができていると僕は思っている。いま繋がっている人たちは本当に優しい人ばかりだ。
仲良くさせて頂いている りと (id:rito-jh) さんの記事に以前書いてあったけど、"相手がブログやってるかどうか確認しましょう。やっている場合はそのブログの記事を遡って熟読して、信用に足る人物かどうかしっかり検証しましょう"というのは間違いないと思う。
ブログはツイッターなどの短文とは違い、長い文章を読み込んでいけることで相手の人柄が見える。記事を読んでいて、好感が持てない人と繋がなりたい人はいないだろう。
人気が出れは、価値観が真逆の人間から絡まれることもあるだろうが、僕の場合はたぶん要らぬ心配だ。
結局のところ、ブログもやっぱり「心」なのだ。書いている人の心が文章に乗り移る。優しい人と出会いたいのなら、自分の心を優しくするしかない。そんな風に思った。
(りとさん、ごめん。勝手に紹介させてもらいます)
Can't Help Falling In Love
今回は久しぶりに曲も紹介してみたい。インターネットを始めた頃に購入したCDシングルでハイスタの「Love is a Battlefield」から1曲。4曲入りシングルの最後にはエルビス・プレスリーの「Can't Help Falling In Love」のカバーが収録されていた。
Wise men say
Only fools rush in
But I can't help falling in love with you
Shall I stay? Would it be a sin?
If I can’t help falling in love with you
Can't Help Falling In Love / Elvis Presley
賢い人たちは、感情に走るのは愚かだと言うけど、愛さずにはいなれい、という曲だ。
ブログもあれこれ打算的なことを考えながら書くべきじゃなくて、ストレートな心で書くのが一番かもしれないな。
週刊はてなブログ
最後に手前味噌になりますが、昨日、週刊はてなブログで以前書いた記事を紹介いただきました。
「いや~、めでたい」
過去に一度だけ「はてブ」のトップページに掲載されて以来の快挙。
紹介いただいた記事は自分の中ではちょっと意外な記事でした。自分の評価と他人の評価はやはり違うものだとあらためて思いましたね。だからこそ、面白いのかもしれませんが。
誰かに評価してもらえるとモチベーションはグーンと上がります。いつも読みにきてくれている皆さん、本当にありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
あなたのことが好きにならずにいられません。
おわり
ほろ苦いアイスの思い出
今週のお題「好きなアイス」。アイスにはずっと昔にほろ苦い思い出がある
僕は小学1年から3年にかけてスイミングスクールに通っていた。近所の幼馴染と一緒に通っていて、ある日、その幼馴染の母親が見学に来ていることがあった。
練習が終わり、更衣室から出てくると幼馴染の母親はアイスをご馳走してくれると言う。スイミングスクールの入口にはアイスの自販機が置かれていて、幼馴染と僕に100円玉を渡してくれた。
アイスが好きな僕は飛び跳ねるぐらい嬉しかったんだけど、問題はアイスの自販機がちょっとわかりにい自販機だった。正確には、普通の子には十分わかりやすくて、頭の悪い子どもにはわかりにくい自販機。
一般的にジュースの自販機などは見本の下にボタンがある。そのときのアイスの自販機は見本のそばに番号が振ってあって、欲しい番号が付いたボタンを選んで押すタイプだった。
僕より先に幼馴染が、表面をチョコでコーティングされたアイスクリームを買う。僕が食べたかったのも同じアイスクリーム。
しかし、買い方がよくわからない。今も決して賢くはないが、小さい頃の僕は、それはそれは頭の悪い子どもだった。その上、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋。買い方がわからなければ幼馴染に聞けばいいのに、それすらもできないダメな子だった。
買い方がわからない僕が取った方法は、食べたいアイスの見本に一番近いボタンを押すこと。明らかに違うだろとは思いつもも、一般的な自販機の買い方以外思いつかなかった。他のやり方など想像もできなかったんだと思う。
はたして、出てきたものは…。
自販機の取り出し口に手を入れて確認してみる。出てきたものはグレープフルーツのシャーベット。すると、幼馴染の母親から「〇〇ちゃん、これが欲しかったの?」と声を掛けられた。明らかに僕の様子がおかしかったのだろう。
でも、「違う」とは言えなかった。恥ずかしかったのもあるが、そう答えてしまったら、もう一度新しいのを買い直してくれそうな気がしたから。頭は悪かったけど、気を遣うことはできて良かったと思う。
せっかくなので買ってもらったグレープフルーツアイスを食べてみる。味はちょっと苦い。まぁ、グレープフルーツだから苦くて当然。でも、苦く感じたのはグレープフルーツのせいだけじゃなかったはず。
今、僕はシャーベットよりもアイスクリームの方が好きだ。もしかするとこのときの苦い思い出がトラウマになっているかもしれない。
・・・そんなわけないか。
そういえば、アイスには紹介したい心温まる話あるけど、長くなりそうなのでその話は次回にしよう。では、次回をお楽しみに。
おわり
バナナマン日村さんの食レポが最高!!
バナナマンの日村さんはスゲェな。最近マジでそう思うんです。もちろん相方の設楽さんもスゴいですよ。朝の報道番組の司会をこなしたり、マルチな才能を遺憾なく発揮されています。
ただ、日村さんってやっぱり見た目がだいぶ個性的じゃないですか。芸人として、あえてエッジを効かせている部分はあると思うんですが、それを差し引いても、あのインパクトは狙って出せるものじゃないと思うんですよね。
それにいくら見た目が個性的でも、単純に面白いや好感度には繋がりません。個性的過ぎる見た目はある意味"諸刃の剣"で、「生理的に苦手」と言われてしまうリスクもあるわけです。
だからこそ、日村さんの人気の高さは今までバナナマンさんが積み重ねてきた努力の賜物というか、証なのではないでしょうか。
ご本人がどう思われているかどうかは別として、一般人として人生を過ごしていたら、あの個性的な見た目を活かすことは難しかったはずです。
(失礼ながら敬愛を込めて書かせていただくと)芸人さんになることで、まさに"弱みを強みに変えた"や"ピンチをチャンスに変えた"とか、それを成し遂げた人なんだと勝手に思っています。
さて、なぜ僕が突然、日村さんについて語っているかというと、最近、バナナマンさんのグルメ番組をよく見かけるようになったからです。
知っていますか?「バナナマンのせっかくグルメ‼︎」
知らない方のために説明しますと、日村さんが訪問した土地で、地元の人に有名なお店やメニューの聞き込みを行い、それを食べに行くという企画の番組です。
口コミよりも確かな情報だけに紹介されるお店のメニューはどれもおいしそうなんですが、日村さんの食べっぷりが本当に素晴らしく、よりおいしそうに見えるんですよ。
グルメ番組って星の数ほどあるイメージですけど、僕の中ではもうピカイチ。やっぱりあの食いしん坊そうな見た目がおいしそうに見せてくれますし、ガツガツ食べても、食べ方に品があります。リポーターとしても新鮮さがあって良いと思うんです。
と言うのも、食レポだけは体型がちょっと崩れているぐらい人の方が様になるじゃないですか。むさぼるように食べる大食い系は見ていて逆に食欲が減退するときがありますし、長いことグルメリポーターをやられている人の「うまい」はどこまで本気の「うまい」なのか?つい疑いたくなってしまうんですよね。
まぁ、完全な僕の主観なんですけど。
もしあなたが「地元メシを紹介して欲しい」と言われたら迷わず紹介したくなるようなお店ってありますか?意外に「これぞ地元料理」ってお店を一店舗だけ選ぶのは難しい気がします。万が一に備えて、考えておかねば(*´ω`*)
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話は変わりますが、日村さんと言えば、漫画『BECK』に登場するキャラクターのモデルになっていたのを思い出します。伝馬 薫(でんば かおる)という名のバンドマンでした。
残念ながら、転載できる画像は見つけられなかったのですが、そのキャラクターを検索しているときに、他の漫画のキャラクターのモデルにもなっていることを知りました。
一つには、かの浦沢直樹先生も「DAMiYAN!」の主人公・ダミヤンで日村さんをモデルにしておりました。こちらの短編集に掲載されているようです。
そして、その繋がりからバナナマンさんにはこんな素敵なサイン色紙をプレゼントされていたらしいです。
ちなみにバナナマンのお二人に差し上げた色紙はこちら! #bananamoon pic.twitter.com/LvqXkBw3Om
— 浦沢直樹_Naoki Urasawa公式情報 (@urasawa_naoki) April 29, 2019
日村さんより多く漫画のキャラクターのモデルになっているタレントさんっていないかもしれませんね。唯一無二の個性的な見た目を持つ日村さんだからこそ成し得ていることなのでしょう。
やっぱり、バナナマンの日村さんはスゲェな。そう思わずにはいられません。
おわり