はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

東京五輪の意義と多様性

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「誰のための東京五輪なのか?」

「なぜ東京五輪なのか?」

コロナの終息が見えぬまま、オリンピックの開催予定日はじりじりと近づいてきている。

 

「(五輪は)もちろんやれた方が良いけど、今の状況ならやらない方がいいんじゃいない…。」

たぶん、日本国民にはそう答える人が一番多いんじゃないかと思う。

 

僕もそのうちの1人。

"やれるならやれた方が良いけど、やるべきではない"

と思う以前にやれるイメージが全然湧いてこない。

 

けれども、そんな僕の意見は無視されるかのように、先日IOCは開幕100日を前に「大会は確実に開催される」と断言した。

 

まぁ、IOCが、そして政府がやると判断するならわざわざ反対まではしないのだけど、多少強引に進める以上、東京五輪開催の意義について考えてしまうのは仕方がないことだ。

 

今週のお題「下書き供養」×東京五輪

 

元陸上選手で現在はスポーツコメンテーターとしても活躍されている為末大さんが話していたことのメモ

ブログの下書きに残していたことを思い出した。

 

「何のために東京五輪をやるのか?」

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スポーツ界以外から見たときの東京五輪と国際的な目で見たときの東京五輪。

為末さんは2つの視点から見た東京五輪の開催の意義について『多様性』というキーワードを挙げながら自身の考えを説明していた。

 

※話を要約しながらメモしたので、ご本人のコメントを正確に記したものではありません。

 

日本には色んな社会的課題があるのだけど、構造の部分を変えるのには個人が頑張るだけでは難しい。

「これをきっかけに一気に打ち破っていこう!」みたいな、五輪のような大きなイベントには社会の構造を大きく変えられる可能性がある。

 

「一人ひとりの人間はそれぞれ違う人間だけど、それを尊重しながらみんなでやっていこう」相手が何を思っているかは、人は外から想像できないという前提に立つのが多様性。

 

「本当はどう感じていますか?」とか、「本当はどうなるといいと思っていますか?」形式的なヒアリングじゃなくて、"本当に話を聞きに行く対話の文化"ができることが望まれる。

 

現代社会における『多様性』とは何か。

ダイバーシティやLGBT、ブラック・ライヴス・マター。多様性を意味する言葉や紐づく言葉をたびたび聞くようになった。

 

僕は差別をするような人間にはなりたくないし、差別は無くなればいいと思っている。

 

けれども、実感を伴わぬまま、何となくファッションでそれらの言葉を使ってしまっているような気がしてならない。

 

日本のような島国の、しかも都市部ではない田舎に住んでいると多様性のある社会に生きているという実感がいまいち弱い。

 

近所のコンビニに行けば店員さんはいつの間にか外人さんが当たり前になっているし、コロナの前までは観光地へ行くと海外から来る旅行客で溢れていた。

ごく稀にセクシャルマイノリティの人とだって会うこともある。

 

しかし、マイノリティの存在にはまだまだ慣れることができずにいる。

 

以前、某ファストファッションのお店で女性の服を着て接客する男性に会った。

こんな言い方が良くないのはわかっているが、オカマバーのような夜のお店ではなく、オープンな昼間のお店でだ。

(オカマバーを否定するつもりはありません)

 

正直、見た瞬間に戸惑った。決して嫌悪感を抱いたわけではなく、自然な反応ができないだけだった。

"差別の目で見るな"どうしても頭で考える一瞬の間が必要になる。

 

大事なことは相手を理解することであって、一瞬の間ができることが悪いわけではない。

 

だけど、その必要ない間は無い方がいい。

頭で理解しようとするうちは自分が偽善者になろうとしている風に思えてしまう。

 

その間を無くすためには慣れていくしかない。

だから、逆説的になってしまうんだけど、マイノリティの人たちが当たり前に存在できる社会にしていかなくてはいけないんだと思う。

 

自分の子どもの頃と比べれば、日本も少しはマイノリティへの理解が進んだ気がする。

(それだけ昔は酷かったということだが)

 

でも、まだまだなんだ。

 

少し調べてみたら、東京五輪には3つの基本コンセプトがあり、3つの内の1つが『多様性と調和』だった。

 

人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。

東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする。

 

本当は五輪があろうとなかろうと日本を多様性のある社会に変えていかなくてはいけない。

ただ、為末さんが話したように、個人ではなく、国全体が一気に変わろうとするのには五輪のような大きなきっかけが必要なのかもしれない。そう感じた。

 

今日1日1日を区切ってやっていく 

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話す言葉や肌の色。ここまで書いできたように、文化や宗教の異なる国の人が集まる東京五輪は世界の多様性を認め合う大きなきっかけになる。

 

しかし、東京五輪を延期に追いやったコロナは同じ日本人の、しかも同じ会社の仲間や家族の間でも対立を生じさせた。

 

外出や外食、マスクの着用。行動の自粛に対する考え方は人によって細かく違う。

自粛警察のような行き過ぎたものでなくても、人によって温度差が微妙に異なるだ。

 

価値観と言うほどの大袈裟なものではないが、意見のくい違いにより、自分も含め、今まで衝突してこないところで衝突が起き始めた。

そんなことが多くの職場や家庭で起きているのだと思う。

 

幸いにも僕は一時的に雰囲気が悪くなっただけで、傷ついたり、関係が壊れたりするようなことにはならなかった。

 

けれども、世の中には深いダメージを負ってしまった人たちも多くいるはずだ。

 

先程に続き、為末さんが良いことを話していたので紹介したい。

 

1番大事だと思うことは、大きな幸せじゃなくていいから、美味しいものを食べるとか、好きなことをやるとか、とにかく毎日必ず一定時間、自分が幸せを感じるような時間を保つこと。

加えて、人と会話するのは大事なことなので極力制限をかけながらも人と会話をする。

 

そして、未来のことを考えて心配しすぎない。過去のことを悔やんで後悔しすぎないで、今日1日1日を区切ってやっていくのが大事。

今日1日を毎日見ながらやっていくやり方は選手がスランプの時にやるやり方である。

 

結局、どうなるかはわからないけど

IOCがやると断言したとは言え、本当にやるのかはまだわからない。

現状の医療体制を考えてもやるべきではないのが妥当な気がしてしまう。

 

一方で池江里佳子選手のような、人に勇気や感動を与えてくれるような選手の活躍を見たいという気持ちもある。

 

「今、自分は何をすべきか?」

五輪の開催はいまだ不透明だが、『多様性』については開催の有無に限らず、自分なりに考えて行動していくべきだと思う。

 

少なからずまずは、コロナで生じた意見の食い違いなんかでいちいち大切な人と衝突なんかせず、相手のことを理解できるようになっていきたい。

 

そんなところだろうか。

 

おわり