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下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

授業参観と子どもの個性(後編)

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今回は前回に続き、小学3年の息子の授業参観に行ったときの話です。

hajimarikokokara.hatenadiary.com

僕を含め後半組みの親たちが教室に入り終えるとすぐに授業は再開された。参観する科目は外国語。内容は普通の英語の授業だったが、科目名は英語ではなく、あくまで"外国語"らしい。

授業で出されたお題は友達同士でお互いに何色が好きかを英語で質問し合い、どの色が人気なのかアンケートをノートに取ること。「時間内にできるだけたくさんの友達と質問し合いましょう」先生は言った。

開始の合図とともに子どもたちは一斉に席を立ち、質問する相手を探し始める。まさに友達とのコミュニケーション力が試されるところ。さてさて。それがすこぶる苦手な息子は、2年前より成長した姿を僕に見せてくれるこだろうか。少しの不安と大きな期待を抱えつつ、彼の様子を観察した。

しかし…。

おいおい…。

マジか…。

僕の目に映ったのは相変わらず友達に上手く話しかけることができずにいる息子の姿。堅い表情を浮かべながら教室の中をウロウロしている。対して、他の子は一番声を掛けやすい仲の良い子から質問を始めた様子だった。おそらく彼には"一番"の相手がいないのだろう。

声を掛けようと頑張っているのはすごくわかった。恥ずかしいのか、相手を立ち止まらせるだけの大きな声が出す勇気がない。ターゲットの子は息子に気付かず前を通り過ぎるか、別の子に取られていった。

なんて歯痒い光景なのだろう。話し掛けようとして失敗したのを何もなかったように誤魔化す素振りが痛い。まるで、モテないヤツの下手なナンパのワンシーンを見ているようだった。若かりし頃の自分を思い出させてくれる。

授業参観というシチュエーションに緊張していたのかもしれない。僕にカッコいいところを見せようと意識し過ぎてしまったのかもしれない。息子の性格上、それはあり得る。ただ、友達に話しかけるのに何をそんなに躊躇う必要があるのだろうか。

昔からそうだった。幼稚園で親同士が仲の良い友達と遊んでいても、いつも気後れしてしまうというか、同じペースで遊べない。他の子が意地悪をしているわけではないのだが、声を掛けられても息子の方がちゃんと反応をしないので遊びにならない。そのうち子どもたちの群から離れ、親たちの中にに混じっていることが多かった。

「今だ行け」「そう、そこだ。話しかけろ」

授業参観中はひたすら心の中で応援していた気がする。一応何人かには話しかけることができた。終盤になると他の子も声を掛ける子が少なくなってきたのか、息子に話しかけてくれる子も増えていった。

結果的に息子が質問した相手は8人。先生が、みんなが何人とアンケートできたかを挙手で確認したところ、8人は平均より少し多い数だった。

ちなみにアンケートの相手を探している最中、例の生意気なガキが息子とすれ違うときに「じゃまだどけ!」的な感じで体を押していた。イラッとしたが、まぁ許してやろう。

なお、僕が前回からその生意気なガキについて悪く書いているのには言い分がある。授業参観のときに息子がなぜか朝付けていたはずのマスクではなく、違うマスクを着けていた。帰ってから理由を尋ねると、給食で外したマスクをそのガキがわざと踏みつけたらしい。嗚呼、ムカつく。代わりに親のマスクにワサビでも塗りこんでやりたい。

話が逸れた。そんなシーンはあったものの、不器用なりに頑張っていた息子の姿を見れたのは良かった。最初は成長していないようにも見えたが、アンケートの人数を客観的に見ても十分な結果だろう。そのうちきっと、上手にコミュニケーションは取れるようになる。

20分という時間はやはり短く、あっという間に過ぎた。終業の気をつけ、礼。ありがとうございました。

ちなみに悲観的な感じにも書いてしまったが、実はそれほど悲観的にはなっていない。最近になってわかったことだが、息子は自己肯定感が高い。これは親として、上手くやったと思っている。一生懸命褒めながら育ててきた甲斐があった。

彼は友達に話しかけるのは苦手だが、大勢の人前で話すのは好きだ。クラス代表の挨拶を喜んで受けたり、1学期の始めには学級委員にも立候補した。人望がないせいで学級委員には多数決で落選したらしいが、また今度も立候補すると話していた。意外にメンタルが強い。僕なら一度落選したら気持ちが萎える。

それに相手が大人になると急にコミュニケーションが得意になる。学校でも塾でも先生にはガンガン話し掛けるし、時に生意気なことを言って注意までされている。さらには歳が少し離れれば平気らしく、妹や妹の友達の面倒を見たりするのもめちゃくちゃ得意だ。

また、流行りに流されるのが好きはでない。友達との会話に困るだろうと、親が『鬼滅の刃』や『ニンテンドースイッチ』を薦めてみても興味がないと答えた。他人と違うことをむしろ望んでいるようにも思える。

つまり、彼自身は友達とのコミュニケーションが苦手なことを親が心配するほど気にはしていないだろう。むしろ、苦手とも捉えていないのかもしれない。乱暴な子と上手く距離が取れるようになれさえすれば、他は問題ないはずである。

人の性格は面白い。僕と息子は性格が比較的似ているところも多いが、やはりまったく同じではない。僕は友達が多い方ではないものの、友達とのコミュニケーションに悩むことはなかった。息子は僕の子供の頃より勉強ができるし、ルックス的にも女子からモテるはず(親バカ)。なのに、なせ友達と自然に遊べないのか、いまいち理解ができなかった。でも、これが個性なのだろう。みんな得意不得意がある。人を性格で陰キャと陽キャに分けたりすることがあるけど、案外どちらの性格も持ち合わせてい人は多い気がする。色がはっきりと分かれるのではなく、マーブル模様のようにできているのだろう。

とにかく願わくは、このまま自己肯定感を高く保ち続けて欲しい。これから先、まわりと上手くコミュニケーションが取れない時期があっても自分を責め過ぎるようなことは絶対にしないでほしい。自分を真に認められる人間は他人も認めることができる。(逆に劣等感のある自己肯定感の低い人間は他人を認められない)そのうちまた自然と仲間はできるはずだ。

たかが授業参観。されど授業参観。子育てについてと改めて考えさせられる良い機会になった。父親として、男して、これからも息子の成長を楽しみにしている。

 

終わり