突然のフェス中止が、用意したご馳走を捨てるようでツラい
本来なら一昨日、昨日と開催されるはずだった京都大作戦の2週目が急遽中止(延期)になった。
その少し前には茨城で開催されるROCK IN JAPAN FESTIVALの中止も決まっていた。
中止の理由は地元住民や医師会から開催への懸念の声が上がったからだ。
春には東北で開催されるはずだったARABAKI ROCK FESTも医師会からの要請を受け中止になっていた。
相次ぐ大型フェスの中止を受け、日本音楽事業者協会とコンサートプロモーターズ協会を含む4団体は「コロナ禍におけるライブ活動に関する共同声明」を発表。
ライブエンタメ業界のコロナ禍における窮状とライブ活動を行う権利について辛辣に訴えた。
僕らは今、目の前で起きている事態をどんな風に受け止めたらいいのだろう。
参加を楽しみにしていた人はもちろん、関係者や主催者のことを考えるとやり切れない気持ちになる。
そして、どれだけ多くの人が中止になったイベントに関わり、どれだけの多くの準備が無に帰すのだろうか。
突然の中止は丹精込めて作られたご馳走が食べずに捨てられるのを見るようでツラい…。
仕方がない。本当に仕方がないかわからないが、たぶん仕方がない。そう思うしかない。
何が正しい行動で、何が正しい判断なのか?みんなその答えを知らないのだ。
興味のない人からすれば大型イベントは不安でしかない。懸念の声は理解されるものである。
実際、僕自身も特別な思い入れがないオリンピックは無観客で開催するのが当然ぐらいに思っていた。
好きな音楽のイベントが中止になったときだけあれこれ言うのはエゴでしかないことをわかっている。
が、それでもオリンピックと音楽のイベントを全て同じように見るのはフェアじゃない。
オリンピックを開催するにしても中止にするとしても、その代償を払うのは国民だ。否応なく日本人全員に負担が振り分けられる。開催を判断する政治家やオリンピック委員にだけ負担が強いられるものではない。
対して、音楽イベントなどの場合は一部のアーティストや一部の企業が代償の多くを負担しなくてはならない。それ故に開催を決めるときも、中止を決めるときも、その決断がいかに重く、大変な作業であるかは想像に容易い。
ROCK IN JAPAN FESTIVAL の渋谷総合プロデューサーの言葉を借りれば"音楽を止めるな、フェスを止めるな"そういう思いでみんな頑張ってきた。
コロナ禍において、音楽のフェスは規模を縮小しながらも、きちんと各自治体と協議を重ね、政府や専門家の指導にも従い、できるだけ安全な形を目指してフェスを行ってきた。だからこそ地元住民や医療従事者の理解なくして、フェスは成立できないのである。
ただ、僕らが勘違いしてはならないのは、フェスの開催を反対した人たちを憎んではいけない。主催者たちはどんなに悔しくても、憎むのではなく、自分たちがやろうとしていることへの理解を求めている。強行開催ではなく、中止という苦渋の選択を取ったのはそういうことだ。外野の人間が面白半分でコロナ論争の材料にしては決してならないのだ。
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京都大作戦1週目の10-FEETのライブの様子を書いたBARKS(ジャパンミュージックネットワーク株式会社)のレポートがある。
タイトルにはライブ中にボーカルTAKUMAの放った言葉が使われていた。
「イジメ、ネットの噂とか誹謗中傷。その対義語の意味を持つ言葉が、ロックのライブだと思います。よっしゃ、いっしょにやろうぜ!」──TAKUMA
アア…早くフェスに行って一緒にロックがしたい。
僕らは誹謗中傷をするではなく、その対義語の意味を求めていこう。
10-FEET「Gose On」
作詞:TAKUMA 作曲:TAKUMA
人が海のように大きくなれたら 人が波のように優しくなれたら
この悲しい記憶で照らせる 幸せにいつかは会えるかな
ごまかして偽って笑って いい訳とプライドにまみれて
いくら泣いても時は流れて 意地張っては置いて行かれて
Goes on...
おわり