はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

穴があったら入りたかったあの夏の日の思い出

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向かえの家に新しいバイクが停めてあるようになった。バイクと言っても90ccオーバーの少し大きめな原付。ナンバープレートはピンクに染まっている。

持ち主は山登りが趣味の旦那さん。いつもは三菱のデリカに乗っていて、たしかバイクには乗っていなかったはず。ゴミ出しをしている旦那さんを見つけてバイクの理由を聞いてみた。なんでも職場の駐車場に車を停めていたら、カラスにつつかれるようになったらしい。

「見てよ、これ」指で差したフロントガラスのフレーム部分には遠くからはわからないが、近くで見ると細かな点状の傷がいくつも付いている。大事な車が傷だらけになっては困ると、屋根の下に停められるバイクに変えたんだと。ずいぶん変わった理由だ。

朝6時を過ぎると原付の音が聞こえてくるようになった。エンジンをふかす音ではなく、原付特有のエンジンをかけるときのキュルキュルした音が鳴り響く。原付で颯爽と出かけていく姿を見て、その昔は自分も原付に乗っていたことを思い出した。

暑い夏の日。初めて買った原付を引き取るため、家から最寄りの駅に向かって歩く。大学時代を過ごした街は坂が多いところだった。高校生までバリバリ活躍してくれた自転車もあまり役に立たない。その街では高校生が原付に乗るのも珍しくなかった。ヤンキーでもない普通の高校生が制服のまま原付に乗っている姿を見て、カルチャーショックを受けたのを覚えている。

はじめの頃は我慢していた。けれどもバイクを買う友人が増えるに連れ、少しずつ不便さに耐えられなくなる。バイクのジャンルで言えば、まわりはネイキッドタイプの割合が高かった。中にはホンダのジョーカーやモンキーなどの個性的な原付に乗る友人もいた。

中型免許を持たず、大して貯金もない僕に選択肢は多くない。悩んだ末、ホンダのリード を買った。ボディのサイズが他の50ccよりひと回り大きいところだけ気に入った。

それにしても、なぜ家から遠く離れたバイク屋でわざわざ買ったのだろうか。店へは最寄駅から電車を乗り継いで行く必要がある。近所にもバイク屋はあった。理由は思い出せないが、原因があるとすれば当時はまだインターネットを使えなかった

1999年。一人暮らしの部屋にパソコンとネット環境が揃うのはまだ一年以上先のことだった。おおかたフリー雑誌の広告でも見て選んだのだろう。インターネットが普及していない時代は店の情報が限られた。

✳︎

汗だくになりながら最寄駅にたどり着く。体調は悪くなかった。いつもと同じように階段を降りてホームに立つ。お決まりの場所で電車を待ち、電車が到着する。扉が開く。降りてくる人を避ける。降りる人がいなくなったのを確認し、電車に乗り込もうとする。

ここまでは完璧なほどいつもと同じルーティン。しかし、一歩前に踏み出すと視界が突然大きくズレた。何が起きたのかわからない。一瞬の出来事だったが、長く時間が止まったように感じた。

『俺はたしか電車に乗ろうとしていたはず…』

ようやく自分の状況を理解する。ホームと車両の隙間に落ちたのだ。綺麗なほど真っ直ぐに細い穴に落ちた。芸人がドッキリの番組で落とし穴にハマったときは、まさにこんな気分なのかもしれない。

たびたび車掌が、車両とホームの隙間に気をつけるようアナウンスをしていた。まさか落ちるバカはいないと思っていた。そのときに初めて落ちるバカはやはりいるのだとわかった。

誰かが自分を助けようとしてくれる気配がする。慌ててホームの地面に手を突き、腕の力だけで這い上がる。身長は高くて良かった。そのまま誰にも迷惑をかけることなく、車両に乗り移る。何食わぬ顔で空いたシートに腰を掛けた。

顔は俯いたまま、上げることができない。恐らくまわりにいた人は僕の方に注目していたはず。平常心を最大限装ってみるも嫌な汗が止まらなかった。穴があったら入りたい。穴に落ちたのに、穴があったら入りたかった。

駅を2つ過ぎたところで、乗り継ぎのために降りようとする。ようやく恥ずかしい場所から解放される。そう思いながら席を立ったが、悲劇には続きがあった。

ホームに下りた瞬間、今度は急に視界が変わる。真っ白な世界。まるでホワイトアウトのように目の前が真っ白になっていく。

『どうしたんだ俺…⁉︎』

目が見えない恐怖。万が一、線路にでも落ちたら大変なことになる。下手すれば電車に轢かれてしまうかもしれない。誰かに助けを求めたくても、意識が朦朧として声が出ない。とにかく必死でベンチを探した。どうやってベンチにたどり着いたかはわからないが、なんとかベンチには辿り着いた。

そのまま気を失うではないかと思ったが、時間が少し経つと徐々に視界は戻り始めた。見たことのある景色が広がっていく。先程の落ちた時のショックで貧血にでもなったのだろう。

中学生の頃、クラスで"落とす"のが流行ったことがあった。僕も一度だけ柔道部の友人に落とされたことがある。(良い子のみんなは真似しないように)あのときの状態は"落ちた"ときに似ていた。

僕はどんな様子だったのだろう。白目をむいて、失神しかかっていたわけだけだから相当気持ち悪かったと思う。恥ずかしい。違う意味でまた落ちるなんて。穴があったら入りたい。

そのあとは意外に平気だった。よくそんなことがあった後で無事に家まで帰れたものだ。公道で走ったことも全然なかったのに20km程の道のりを買ったばかりの原付で乗って帰ってきた。

✳︎

かくして僕の大学生活にもようやく原付というアシができた。卒業までの間、ずっと同じ原付を乗り続けた。快適とまでは言い難いものだったが、原付にまつわる思い出は意外に多い。

斜め前を走っていたおじいさんの自転車がフラフラ前に出てきたのを避けようとして派手にこけた。倒れた原付がおじいさんの自転車の後輪に当たる。おじいさんはゆっくり転んだが怪我はなかった。事故のきっかけを作ったのはおじいさんで、怪我をしたのも僕。なのに、謝ったのは僕の方。ハーフパンツを履いていてせいで膝から下が血だらけになった。近所の人が絆創膏を貼ってくれる。その優しさが救いだった。

友達の家に行こうとして、バイパスを走っていたら、デカい暴走族の集団に巻き込まれそうになった。

バイト帰りにエンジンがかからなくなったので仕方なく引いて歩いていたらお巡りさんに職質された。

長い長い下り坂を君を原付の後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていったら、坂の下ではパトカーが待っていた。

原付での思い出は失敗が多い。なのに、なぜか楽しい思い出として記憶されている。

失敗した過去やツラい経験はそのまま苦い思い出のままの場合もあれば、楽しい思い出に変わる場合もある。僕の原付は後者の方だ。

もうかれこれ原付には20年以上乗っていない。社会人になってからは車ばかり乗るようになった。誰かが原付に乗っているをみると、無性にまた原付に乗りたくなるときがある。

けれども、20年前の大学生だったから良かったのだろう。今だったら、ただの事故にしかならないことばかりだ。だから、たぶんもう乗らない方がいい。思い出は思い出のまま。

子どもたちにが原付を乗る歳になったらくれぐれも注意するように言っておきたい。

 

#はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

夏色

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おわり