子どもの頃によく遊んでいたファミコン。本体にはカセットを取り外すためのレバーと電源のスイッチの他にリセット用のボタンが付いていた。
赤く四角いボタンで、押すとそれまでのデータが消去される。名前の通り、軽くポチッと押すだけで、それまでの過程が綺麗さっぱりリセットされた。
子どもながらにチートなボタンだとは思ったが、それ以上に魅惑的なボタンに感じた。
もちろん間違って押してしまえば、それまでの苦労は台無しになってしまう。実際、何度かそれで泣きを見た。それでも僕にとってリセットボタンが魅惑的だったのは、状況が悪くなればいつでも簡単にやり直しができたからだ。
操作しているキャラが死にそうになったり、勝負で負けそうになったり、リセットボタンを使えば、ゲームオーバーを宣告される前にいくらでも回避できる。
「さぁ、押せ」「さぁ、押せ」。リセットボタンは子どもの僕を誘惑してきたが、リセットボタンは決して、ズルをするためのものではない。ファミコンが開発された当時は「トップメニューに戻る」みたいな機能をソフトに入れることが難しかったんだと思う。
結果的にハードに備え付けられたことで、リセットボタンは存在感を増したようにも思える。
ファミコンで遊ばなくなった後も「もし現実世界にリセットボタンがあったら」なんて馬鹿げたことを想像してみた。しかも、一度だけでなく、何度も。
試験に落ちたらポチッ、告白してフラれたらポチッ、就職に失敗したらポチッ。少しでも気に食わないことがあったらポチ。リセットボタンを押すだけで良い。
ドラえもんの道具みたいなリセットボタンがあれば自分の人生に失敗はない。何のスリルもない、やり直しがきく人生。いつかどんな選択をしても失敗するときがきたら、そこから先に進めなくなっちゃうかもしれない人生。まるで世にも奇妙な物語。
それでも、僕はリセットボタンがあれば誘惑に負けて使ってしまうかもしれない。
ファミコンのリセットボタンとは関係ないかもしれないが、何となく僕にはリセットしたがる癖がある。
一番典型的なのがノートや手帳で、綺麗に書けている間は使い続けられるけど、綺麗に書けない日があるとその次の日から一気に使う気がなくなってしまう。
だから、ノートにしても手帳にしても、最後まで使い切った記憶がない。
潔癖症ではないが、几帳面な性格のせいか、変なこだわりがある。この面倒な性格は自分でも嫌になる。
ゲームと違い、ノートや手帳を買い替えたところで、何も変わらないだろう。また同じことを繰り返すだけだ。
それがわかってるから、最近はメモも予定もスマホに入れるようにしている。デジタルなら汚くならないし、気に入らなければデータを消去すれば良い。データは簡単に消せる。
でも、ノートや手帳の他にも、ついリセットをしたくなるような、一からやり直してみたくなるような日記帳のようなデータを、今の自分は持っていることに気付いた。
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ここ最近、何だかブログのモチベーションが急降下している気がする。「している気がする」と言うのは、今こうして書いているのだから本当はモチベーションがあるのかもしれない。でも、以前よりブログを続けていくことに対して疑問を感じるようになっている。
せっかく始めたばかりのサブブログも今は投稿がストップした。何より申し訳ないことに、他の方のブログを最近はぜんぜん読みに行っていない。
「ケッ、アイツ読みにこねぇぞ!」
そんな風に思っている方はいないかもしれないが、思っている方がいたらその通り。ごめんなさい。もう少ししたら、また読みに行きます。
前回と書いていることが真逆になってしまったけど、しばらくはゆっくり書いていこうかと思う。
読みに行く頻度もかなり減るかもしれないけど、このブログはリセットの誘惑に負けないよう、ギリギリでも続けていけたらと思います。それでは。