はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

遠くなった僕の東京

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「会って話をしよう」この先そんなシーンがどのくらい必要とされるんだろうか?最近はそんなことをたびたび考えている。

お題「#この1年の変化

まだ2月だというのに1年を振り返るというのは不思議な気分だ。ただ、新型コロナウィルスが流行りはじめてから、もう1年が経つんだと気付かされる。

この記事を書く3日前、日本でも医療従事者を対象にワクチンの接種が始まった。アルコールとマスク、時短営業と外出の自粛。これまでの守り一辺倒から、ようやく攻めに転じ始めたんじゃないかと感じる。

すぐに状況が改善されることはない。そんなことはわかっている。けれども、ゴールがぼんやりと見えてきたことは確かで、コロナが収束した後の生活のことを少しずつ意識するようになってきた。

幸いなことに僕はこの1年、コロナによって大きなダメージを受けずに済んでいる。ダメージはゼロではないけど、世の中にはたくさん苦労している人がいることを考えれば間違いなく恵まれている方だ。贅沢を言っちゃいけない。

それに案外悪いことばかりでもない。家でも堂々と仕事ができるようになった。妻に代わって子どもたちのお迎えに行くことができる。PCの勤怠管理画面から「外出」ボタンをポチっと押すだけでいい。それで仕事は一時中断される。帰ってきて、今度は「戻り」ボタンをポチっと押す。そこから仕事は再開される。いつもできることはでないけれど、すごく便利な機能だ。

こんな風にコロナの副作用が、働き方に大きく変化をもたらしたのは事実。しかし、同時にそれが嬉しくないことでもあった。僕にとっては、とりわけ東京が遠くなったことが寂しい。住む場所が変わり、東京から距離が離れたという意味ではない。東京に行く機会が極端に少なくなり、東京の存在が遠くなったという意味だ。

 

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僕の職種は営業。営業はいつも顧客のいるところを回り歩いているイメージが強いけど、僕が顧客を訪問することはあまり多くない。担当している企業が少ないことと、顧客の大半が東京にいるためだ。

僕の職場は静岡にある。したがって、顧客を訪問する、イコール、出張になる。毎日出張するわけにはいかない。それでも平均して週に1日、多いと週に3日ぐらいまでは出張することがある。いや、厳密には"出張していた"が正しい。

この1年の間に2度の緊急事態宣言が発令された。一時はGoToトラベルが盛り上がるなどもしたが、県外をまたぐ移動は現在も自粛ムードが続いている。

去年の3月頃から出張申請は役員決済になった。東京に行くとなると、まわりの同僚や家族もいい顔をしない。それ以前に顧客の大半が出社を控えるようになり、会う相手がいなくなった。

おかげで今はリモートでの商談が代わりの定番になっている。残念なことに、ほぼこれで事足りてしまう。電話と違って、同じ資料を見ながら話せるのは大きい。現物を見せる必要があれば先に送っておくこともできる。

移動が伴わない分、スケジュールを合わせやすくなった。高い交通費も払わずに済む。今までさんざん会って話すことを大事にしてきたのに、リモートで済まされてしまうのは複雑な気分だ。

これがいわゆる日本企業の生産性が低いと言われる所以なのか。僕は仕事をしたつもりになって必要のない時間とお金を移動にかけていただけなのかもしれない。なんだか自責の念に駆られそうになる。

強いて言えば、リモートは実際に会って話すときと違い、その場の空気までは共有できない。相手の微妙な感情の変化やニュアンスを感じ取りにくいのだ。つまり、会話の中で行間を読むことが難しい。

それにリモートの場合は会話が必要最低限の内容に限定されやすく、本題の前後にあそびがない。一見、無駄のように思われる談笑の時間もコミュニケーションとしては大切だ。

問題はそれらが定量化できないことにある。必要なものではあるんだけど、どのくらい必要性があるものなのかをわかりやすく数値で表すことができない。

プライベートの遊びや旅行であれば問題ないんだろう。けれども、ビジネスにおいてはそうもいくまい。リアルをどこまで重視するかは会社によっても、個人によっても考え方が違うはずだ。

正直なところ僕はまだよくわからない。「会って話をしよう」この先そんなシーンがどのくらい必要とされるんだろうか?しばらくの間、そのことを考えなくてはならなそうだ。

 

特に意味もなく、自分で撮影した東京駅丸の内

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僕は田舎者。恥ずかしい考えを持った田舎者。東京には憧れているけど、東京に住みたいとは思わない。まわりの同じ田舎者よりも、少しだけ東京を知っていたいだけの田舎者。

つかず離れずの関係が望ましい。学生の時もそうだった。一人暮らしの場所に選んだのは東京ではなく、横浜。横浜から東京へはよく遊びに行った。渋谷、原宿、代官山。田舎者はそこに行くこと自体がステータスだった。

社会人になると、学生とは違うビジネス街を歩くようになった。品川、新宿、日本橋。おかげで今は複雑な地下鉄も迷うことなく乗れてしまう。

僕は東京と今までと同じ距離感を保ちたいんだけど、この先どのくらいのペースで東京に行けるんだろうか?

コロナが収束したとき、コロナが流行る前と同じように高い対価を払ってまで実際に会って話すことにどこまでの価値を見出せるのか、今はまだよくわからない。

 

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僕の好きなバンドの中にthe band apartというバンドがいます。日本のロックバンドなんですが、楽曲がおしゃれでセンスの塊みたいなバンドです。今日はthe band apartから1曲紹介させてもらいます。

曲名は『明日を知らない』。書いた記事の内容と歌詞が結びついているわけではありません。なんとなくで選びました。

残念ながらこの曲の動画がなかったので他の曲にはなってしまいますが、『the band apart』の名前だけでも覚えてくれたら嬉しいです。ぜひ雰囲気を味わってみてください。

明日を知らない
僕の住む世界に
答えも無く
横たわる未来

永遠なる事など
成し得ない日々の中で
愛しさに泣くのは

-the band apart 「明日を知らない」-
作詞:the band apart

 


the band apart 【作業用BGM】

 

コロナが収束した後の世界がどうなるかを僕は知らない。

でも、これ以上、東京が遠くにならないことを願っている。

 

おわり