慈恵病院が明らかにした内密出産から命の尊さを考える
昨日のニュースで初めて聞いた「内密出産」という言葉が気になったので、備忘録代わりに書きとめておきたいと思います。
内密出産とは
ニュースの内容は、熊本市の慈恵病院が、西日本に住む10代女性の希望で、昨年12月に身元を明かさないまま出産を行ったというものです。
「内密出産」について調べてみると、ネット上でも情報がまだ少なく、昨日のニュースを元に掲載したと思われる情報が大半を占めているようです。その中では、西日本新聞のワードBOXの説明がわかりやすく感じました。
ドイツで2014年に施行された妊産婦支援の制度。性暴力の被害者、経済的事情や宗教的理由などで妊娠を周囲に知られたくない女性が相談機関に実名を明かした上で、医療機関では匿名で出産する。子は16歳になると出自を知る権利を得る。ドイツでは以前から「赤ちゃんポスト」を設置する施設や、匿名での出産を受け入れる病院があったが、子どもの「出自を知る権利」を保障するため、内密出産制度が設けられた。
今回の慈恵病院での事例が日本初とみられます。日本国内ではまだ「内密出産」に関して、法律が整備されておりません。病院が母親の実名を知りながら、空欄または仮名で出生届を提出するのは法律に抵触する可能性があるそうです。
ではなぜ、慈恵病院はリスクを負ってまで内密出産を行ったのでしょうか。理由については、以下のサイトから窺い知ることができました。
内密出産の最大の目的は危険な孤立出産を防ぐことです。法律や倫理の観点から早計に正当化すべきではないかもしれませんが、母子の命が安全に守られたことは事実です。
慈恵病院はこれまで、世間に伝えられることのない母親たちの声に耳を傾けてきました。「母子を守る制度の充実が、平等な出産や子育てにつながる」。
是非の議論は別にして、内密出産に踏み切った慈恵病院の覚悟と思想は素晴らしいと感じます。
今回のニュースで内密出産の存在意義について、多くの人が考えるきっかけになったことは間違いありません。
キャッチボールができない君と歩んだ “9時間16分55秒”
偶然にも同じタイミングで命の尊さを考えさせられるニュースを読みました。
難病を抱える息子のために勤めていた児童相談所を辞めて、主夫になった父親のお話です。親子の名前は父親の土屋義生さんと(42)息子の荘真(8)くん。息子を持つ父親として胸に刺さる内容でした。
詳しくは記事を読んでいただければと思いますが、印象的だった部分を少し紹介します。献身的な介護を続ける土屋さんのブログの元に寄せられたある匿名の投稿です。
「言い方は悪いですが、重い障害を持った方は、一生税金頼みの生活です。一年でどのくらいのお金がかかっているかわかって生活されていますか。一生懸命仕事をして、それでも生活がかつかつであると、とても不公平を感じます」
僕は反射的に怒りのような負の感情に支配されました。同時に投稿した人間を情けなく思いましたが、土屋さんの対応は違っていました。
投稿された時期はコロナ禍で社会が不安と緊張に包まれていた一昨年の年の瀬です。土屋さんは相手の状況を想像し、不公平との指摘を正面から受け止めた上で、次のようにコメントを返していました。
生きにくさを感じている人たちが責め合う社会ではなく、どんな人でも生きることに困らない、生まれてきて良かったと思える社会になって欲しいと思いますと返事を書きました
与えられた環境や境遇だけで、幸せか不幸かは決まりません。厳しい境遇にあっても心豊かに生きられるかどうかが大事だと痛感しました。
しかし、幸せかどうかの前に、まず生まれてくる必要があります。先程の内密出産で生まれてくる子どもは不自由な人生を送ることになるかもしれませんが、生まれてくる権利はあるし、心豊かに生きられる可能性はあります。
僕らはどんな人でも生きることに困らない、生まれてきて良かったと思える社会を目指すべきであり、現行の法律がそぐわないのであれば、法律の方を変えていくべきです。
コロナ禍で辛い境遇に合っている人が多い今だからこそ、積極的に考えるべき問題なのかもしれません。
おわり