映画「えんとつ町のプペル」を観るべきか迷っている人たちへ
正直に言って僕は映画を語れるほど映画に詳しいわけではなく、自信を持って言えるほど映画が好きなわけではない。
だから、これから書くことはただの個人的な感想に過ぎない。
偉そうに論評する気などはさらさらなく、そもそも論評を書くだけの文章力も持ち合わせてはいない。
ただ、感じたことや子どもに伝えたい思いを極めて青くさく書こうと思っている。
最初に断っておくと、ネタバレは含んでいない。むしろ中身にはほぼ触れていない。
それをわかってくれる人だけに読んでいただきたい。
本当はわざわざこんな前置きを書くつもりはなかったが、この記事を書く前にある記事を読んだ。
他人のレビューは映画を観るまでは絶対読まないと決めていたが、終わった後でつい読みたくなってしまった。
でも、読まなければよかった。
今は少しだけ後悔している。
人気の高い記事だっただけに、意外な内容に驚いた。
意外というのは決して、自分と異なる感想を指して言っているわけではない。
どんな作品にも肯定的な意見と否定的な意見がある。
それは当然のことだが、作品ではなく、作者の人間性を否定することには違和感を覚える。
途中から書かれていたことは作品に対する論評というよりは作者に対する批判でしかなかった。
キレイごとを言うつもりはないが、否定的な文章は肯定的な文章よりも人を惹きつけやすい。
文才がある人ほど、より魅惑な文章になる。
もちろん、作品から何を感じるかはその人の自由だ。
矛盾するようだが、僕は自分が読んだ記事の批判をしたいわけではない。
しかし、他人の論評をそのまま鵜呑みにして作品の良し悪しを決めつけてしまうのは、デメリットしかないということを言っておきたい。
それが否定的な内容なら尚更だ。
なぜなら否定的なものは自分で判断する機会を奪ってしまう。
せっかく素晴らしい作品に出会えるかもしれない可能性を自ら放棄してしまう行為だからだ。
反対に僕は肯定的な内容を書く。
ただし、あくまで興味を持つきっかけになってもらいたいだけで、信じてほしいわけではない。
自分で判断する機会を与えられればと思っている。
(僕が見た記事に書かれていたことではなく、)
世の中には作者の活動を憶測だけで宗教のように揶揄する人たちがいる。
完全なでっち上げだ。
僕も信者なんかではない。
繰り返すが作品の良し悪しは自分で確かめてほしい。
「えんとつ町のプペル」はそれだけの価値のある作品だからだ。
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映画「えんとつ町のプペル」を観た息子へ。
君はとうとう最後までメロンソーダに口をつけることをしなかった。
劇場に入るまではとても嬉しそうにしていたのに、映画に釘づけで忘れてしまったようだ。
君が途中で何度もすすり泣くなから、その度に隣で座っていた小さな男の子が不思議そうに君を見ていた。
たぶん君はそのことに気づいてはいない。
君はこの映画から何を受け取ってくれたのだろうか。
僕はどうしても君と一緒にこの映画を観たかった。
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正確には覚えていないが、「えんとつ町のプペル」を知ったのはたぶん一年以上前のことだ。
最初に観たのは絵本ではなく、今回と同じようなドーム状シアターでの映像だった。
地元にある某インフラ系企業の見学施設の中にそのドームシアターはあった。
無料で観ることができたので特に迷いもせず、家族みんなで入った。
作品のことを知らないわけではなかった。
作者は昔からテレビで見て知っている西野亮廣。
『話題になるぐらいの作品だから、それなりに面白いのだろう』。
観る前はその程度にしか思っていなかった。
けれども、観終わった後の僕の気持ちはまったく違っていた。
素直に感動し、少し興奮もしていた。
絵が綺麗なのに驚いた。
優しい物語に思わず泣いてしまったが、あれは不意打ちだった。
僕の知っていた西野亮廣はキングコングというお笑いコンビの芸人。
「はねるのトびら」でドランクドラゴンやロバートらを仕切っていた男だ。
芸人だった男が大人たちをも感動させる絵本を書いている⁉︎
どうしてそんなことができるのか、不思議でならなかった。
そのときから僕は西野亮廣という男に興味を持つようになった。
彼の本を読んだし、映画を作っていることを知った。
そして、僕はその映画を必ず息子と一緒に観たいと思うようになった。
しかし、僕が誘うと君はその誘いを断ってきた。
理由を尋ねると、話が悲しいからだと言う。
物語はハッピーエンドを迎えるとわかっていても、それまでの過程を観るのがつらいということらしい。
確かに君は微笑ましいぐらい、感受性が強い。
「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」ならまだしも、妹と一緒に観る「プリキュア」や「しまじろう」の映画でも泣いてしまう。
もう小学生になったというのに。
だから、プペルを観て悲しくなるのがツラいという気持ちはわからないわけでもない。
ただ、それでも僕はこの映画をどうしても君に観て欲しかった。
「ディズニーを超える」と豪語した男の作品から、何かのメッセージを受け取ってくれるのではないかと期待したからだ。
いつも観ている「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」の映画と横並びで観るのではなく、
単に「面白かった」や「感動した」という感想を求めるのではなく、
メッセージを受け取って欲しかった。
それに君はこの映画に対して、何の偏見も先入観も持っていない。
誰が作ったとか、普通の映画とは違う過程を経て作られた作品とか、一切の事情を君は知らない。
僕は作品に関わる事情を知っているから、この映画が伝えたいメッセージが何であるかを知っている。
作品の中に散りばめられた、『CANDY』や『レター』というワードにもつい反応してしまう。
大人の楽しみ方としては、それはそれで楽しいのだが、子どもの君には物語に集中し、自分でメッセージを見つけて欲しかった。
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僕は自分の人生にそれなりに満足している。
ただ、唯一足りないと感じているのは夢中になれるものがないことだ。
他人に否定や反対をされてもがむしゃらになれるものがない。
仕事でも、趣味でも、自分が「これだけは」とハッキリ言えるものがない。
だから、君には夢中になれるものを見つけて欲しい。
それは何だっていい。
まわりに迷惑をかけることはあっても、多少のことは許す。
親というのは、どうしても自分に足りないものを自分の子どもに求めてしまう。
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「えんとつ町のプペル」は大事なことを教えてくれる映画だ。
ブルーノやルビッチがまわりからどんなに否定されても、空に星があることを信じて行動し続けたように、信じ抜いて行動した者しか見れない景色がある。
まわりのみんなと違うことをすれば、石を投げられることもある。
冒頭に書いた作者への批判も同じかもしれない。
どれだけ他人から否定されても、信じて行動し続ける先に、みんなが知らない輝かしい未来がある。
残念ながら僕はそのことをちゃんと君に教えられない。
だから、映画を通じてそのことを君に伝えたかった。
たぶん、まだ幼い君がそのことを理解するのは難しいだろう。
それでもいつか、君がこの映画に秘められたメッセージに気付いてくれる日がくると信じている。
僕は映画を観終わって、とても自信に満ちている。
期待を超えた素晴らしい映画だったからだ。
映画はエンターテイメントなので、面白ければ良いし、感動ができれば良いかもしれない。
しかし、映画のなかには自分にとって大事なメッセージを伝えてくれる作品がある。
今、時代は少しづつ変わろうとしている。
見えない同調圧力の壁に疑問を感じ始めてきている。
余計なお世話かもしれないが、僕は少しでも多くの子どもたちがこの作品に触れてくれることを願っている。
そんなことを考えながら、この記事を書いてみた。
間違いなく、この映画のチケットが今年の僕のベストバイだ。
おわり