はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

大坂なおみの報道で僕らが気付かなくてはならないこと

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少し前の話になる。大坂なおみ選手が全仏オープンで試合後の記者会見を拒否したことが世間で物議を醸した。続けて一回戦を終えた後に大会の棄権を表明すると、理由として2018年以降うつ病に悩まされてきたことを告白し話題になった。

たぶん今この記事を読んでいるあなたも知っていることだろう。僕はこのニュースを朝の報道番組で知ることになった。

「大坂なおみ選手の取った行為についてどう思うか?」

大会現地のフランス。リポーターが街頭インタビューを行う様子が映し出される。プロとしての自覚に欠ける行為と厳しく批判する男性。プロとは言え、メンタルには配慮すべきと擁護する女性。賛成意見と反対意見のどちらが多いかはわからなかった。敢えて均等に紹介しているように思えた。

昼のワイドショーでは司会を務める人気タレントが理路整然と自分の意見を語る。主張の仕方が上手い。人気者の彼女だからこそ全ては否定せず、一部分だけを否定するやり方はもっともらしく聞こえる。意地の悪い僕はついそんな風に見てしまう。

当初は否定的な意見が多かったが、徐々に彼女の行為を容認する雰囲気に変わっていった気がする。今、ネットニュースを見ると彼女を支援する記事が多く目に付いた。こういう問題を感情的に判断してはならないが、彼女のような人間には優しい世論、寛容なメディアであって欲しいと願う。

それに個人的には、記者会見の問題よりも、彼女がうつ病であると告白したことの方がよほど気になった。

栄光と影 

どんなジャンルにおいても成功を収めた有名人がうつ病を患うことは別に珍しい話ではない。良くも悪くも多くの人間から注目される有名人は一般人よりも精神的に苦しむリスクは高いのかもしれない。それはわかる。それでもなぜ、もっと楽に幸せでいられないのか。そう思わずにはいられない。

大坂なおみ選手で言えば、彼女は日本人テニスプレイヤーとして、誰も成し遂げていなかった4大メジャー大会を2度も制覇した。偉業であり、世界でも、歴史上でも、一握りの人しか手に入れることのできない栄冠を手にしたのだ。

何が彼女をうつ病になるまで苦しめたのだろうか。彼女がとてもピュアで繊細であるのは確かだろう。しかし、彼女は近年、テニス以外でも多くのものと戦ってきた。

昨年アメリカで起きたブラック・ライブス・マター(BLM)運動。責任感の強い彼女は自らの意思で積極的に関わった。そして、いつの間にかアイコン的な存在になっていった。人権や政治などの問題に首を突っ込むと必ず強いバッシングを受ける。一部の心無い人間は彼女のような人間を攻撃の的とする。

では、彼女を苦しめるのは少数の批判する人間だけだろうか。僕は多数の応援する人間もまた彼女を苦しめているような気がしてならない。

応援とは、困っている人や頑張っている人を手助けし、励ますことである。自分よりも他人を応援することは時に美徳とされる。僕らは大抵いつも誰かを応援している。しかし、同時に僕らは他人に期待をし過ぎてはいないだろうか。

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『わたしたちの想いをのせて』

先日、読んだ小説の一部に次のようなセリフが出てきた。

「その横断幕みて、最初は4球団渡り歩いて結果出せない自分が恥ずかしくて。でもさ、俺そいつらの夢なんか知らないし頼まれた覚えもないし頼まれるのも嫌だし。腹立ってきてな」

山羊メイルさんの書いた「二塁を廻れ」という作品である。

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このセリフはプロ野球選手になった青年が地元の駅の改札で天井に掲げられた自分の横断幕を見つけたきの話を友人に語ったセリフだ。横断幕には『~県立高校~君、プロではばたけ、私たちの想いをのせて!』の文字が書かれてあり、彼は恥ずかしくなって在来線の改札まで逃げるように走った。

プレイ中におけるただの応援とは少し違う。彼は他人から勝手に押し付けられるだけの期待を煩わしく感じている。

このセリフを読んだときに僕は以前に同じようなセリフを読んだことを思い出した。

『もっと自分に期待してくれ』

僕が敬愛するバンド、Hi-STANDARD(ハイスタ)は人気絶頂の2000年に活動を休止した。今でこそ新曲を作ったり、ツアーに出たりするようになったが、2011年に復活するまでの間、一時は修復不可能と言われるぐらいまで関係は悪化していた。

活動休止後、ボーカルの難波さんは一人東京を去り、沖縄で傷心の日々を送っていた。ファンだった僕はハイスタの復活を待ち遠しく思いながら、たまに更新される彼のブログを読み続けた。おそらく僕と同じようなファンは当時たくさんいた。

当たり前かもしれないが、彼にとってハイスタが休止したとこは本当にショックだったはずだ。言葉を選ぶ余裕ができないほど、心は疲弊していた。ある日のブログに綴られていた文章がファンにとって極めて辛辣な内容だった。そのブログは既に消えてしまっているので正確な内容を書くことはできないが、僕の記憶の限りではこんなことを伝えていたと思う。

「勘弁してくれ。俺にどうしてほしい。いい加減他人にばかり期待せず、もっと自分に期待したらどうだ。」

その通りだった。僕はハイスタを復活させてくれることをひたすら彼に期待し続けていた。ハイスタは日本の規格には収まりきらない、世界でも活躍できる数少ないバンド。日本のプロ野球選手がメジャーで活躍することを期待するようにハイスタにも同じものを期待した。本人の気持ちも考えずに期待だけをすることは本当の意味での応援なんかじゃない。

難波さん本人が誰よりもハイスタで活動し続けたかったことは知っていた。ハイスタの休止にはギターの横山さんがうつ病を発症したことが背景にあった。ハイスタで世界中を駆け回る計画が崩れ落ち、それまでフル回転していた脳のコンピューターが次第に狂い始めていった。彼がそう語っていたのを覚えている。

ファンがアーティストを応援するのは当然の行為だ。だが、さすがにそのときは自分の行為を恥じた。自分の夢を持たず、他人しか期待できない自分がどうしようもなくカッコ悪く思えた。

 僕らが気付くべきこと 

もし自分が大坂なおみ選手を真剣に応援したいのであれば、「がんばれ」と声を掛けるのは彼女がコートの上にいるときだけにした方が良いのかもしれない。彼女の思想や行動に賛同するのであれば、彼女にがんばってもらおうとするのではなく、自分自身が行動を起こし、彼女を周りから支えることではないだろうか。難しいことのように思われるかもしれないが、人種差別問題について勉強することもその一つかもしれない。

僕らは苦しみながらもがんばっている人間から、「もっと自分ががんばれよ」というメッセージを受け取るべきではないだろうか。

 

おわり