はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

写真と捨てにくいオモチャの捨て方

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少し前にブログ仲間のユゥヨ (id:byte0304)さんがはてなブログに新しいグループを作りました。

その名も『スマホ写真部』。活動内容は毎月発表されるテーマに沿ってスマホで写真を撮り、記事を書くこと。

書くネタに困った経験やブログ仲間を増やしたいとの思いから、ユゥヨさんが悩み抜いた末にたどり着いた答えの一つが部活動だったようです。

正直なところ、僕はまめに写真を撮るタイプではありません。ただ、普段からダラダラ長めの文章を書いてしまう癖があるので、写真がメインの文字が少なめな記事をたまに書きたいと思うことがあります。

グループを自ら立ち上げるというユゥヨさんの男気に敬意を評し、僭越ながら入部させていただくことを決意しました。部員は募集中とのことですので、興味がある方はぜひ一緒にご参加ください。

teawase-brog430.hatenablog.com

近況

そんなわけで今日は写真を少し貼ってみるんですが、子どもの写真ばかりですね。

別に"子煩悩な優しいお父さん"をアピールしたいわけじゃないんですよ。スマホに保存されていたのがほぼ子どもの写真ばかりで、他に自慢したくなるような感動的で魅力的な写真を持っていなかっただけなんです。

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ちなみに全て今年の夏に撮った写真です。写真を見返してみると、人混みを避けつつ必死で外出しようとしていたのがよくわかりますね。

最近は仕事でも家にいることが増えて、休みの日まで家から出れないかと思うと息が詰まりそうになります。もともとアウトドア派でもないんですが、気付けば自然を求めている自分がいます。(おそらく似たような方はたくさんいますよね)

いつになったら気兼ねなく遠くへ出かけられるようになるんでしょうか。あゝ、早く旅に出たい。そしたらきっと、素敵な写真もいっぱい撮れるはずなんです。

思い出の切り取り

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そう言えば先日、子どもたちのオモチャを整理しました。上の子が小さい頃に遊んでいたオモチャもずっと取っておいたんですが、子どものオモチャって年々増えていく一方です。

いい加減しまっておく場所もなくなってきたので、誰かにあげられるものはあげて、それ以外のものは思い切って捨てることにしました。

ですが、思い出が詰まっているオモチャを捨てるのはつい躊躇しがちです。人形とか生き物のカタチをしたものを捨てるのは特に気乗りしません。オモチャ以外にも子どもが描いた絵や工作なんかもそうですが、捨てにくいけど、いつまでも取っておくわけにはいかないですよね。

そんな時に気休めになるのが写真です。写真にして思い出を切り取っておきます。記憶を記録に変えておけば、目の前からは消えてしまっても、完全には無くなることはありません。

そんな風に考えていると、写真は外だけではなく、家の中にも撮るべきものが案外多くあるかもしれませんね。(我ながら上手いこと言ったな)

✳︎

そろそろ文字が多くなってきたので、今回はここまでにしておきます。では、幽霊部員にならないよう、せいぜいガンバリマス!よろしくね、部長。

 

おわり

 

映画『水曜日が消えた』がブロガーを風刺しているようでゾクッとした

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暇つぶしにAmazonプライムで見た映画が何気に面白かった。

タイトルは『水曜日が消えた』。2020年6月に公開され、主演は中村倫也。

概要

まず、タイトルが意味不明で惹かれる。何年も前にバカリズムが『週刊SPA!』で"タイトルから勝手に話を想像して、見るかどうかを判断する"みたいなコラムを連載していたのを思い出した。真似して脳をフル回転させてみたけどまったく想像がつかない。

あきらめてあらすじを読むと、どうやら多重人格(解離性同一性障害)の話らしい。多重人格と言えば、ジキルとハイドのような表と裏の二重人格を描いた物語が多いけど、そのありがちなパターンとは少し違うようだ。

(以下ネタバレを含みます)

あらすじ

主人公は幼いころの事故の後遺症によって、7人の人格が日替わりで現れるようになっていた。朝に起きると人格が切り替わっており、記憶は人格に合わせて再生と停止を繰り返す。

途切れる記憶を繋ぐため、7人の人格は一つのルールを守っていた。それはその日にあった出来事をノートに残し、伝言を付箋にメモすること。記憶のリレーにより、主人公は何とか生活を送っていた。

1人の体を7人の人格が順番にシェアしていると考えてもらえればわかりやすいかもしれない。1人の人格が生きられる曜日は決まっていて、1人の人格は1年の間に僅か52日しか生きられないのである。

性格や趣味は人格ごとにまったくのバラバラだった。月曜は俺様なバンドマン、火曜は几帳面な青年、水曜はスポーツマン、木曜はイラストレーター、金曜は植物の愛好家、土曜はゲームマニア、日曜は釣りバカ。

1人で暮らすには広すぎるはずの一軒家には人格の数だけ椅子が並べられ、それぞれの趣味のモノで家中埋め尽くされていた。

見どころ

物語は火曜の人格から始まる。好き勝手に趣味に生きる他の曜日の人格と比べ、真面目な火曜の人格の役目は主治医から脳の診察を受けること。火曜は週に一度の通院日であり、行きたい図書館はいつも定休日。退屈な火曜日に、火曜の人格である僕(ボク)はうんざりしていた。

ある朝、火曜の僕が目を覚ますとその日はいつもの火曜ではなく、水曜の朝だった。動揺しつつも喜ぶ火曜の僕。今まで行けなかった図書館に行き、女性司書との恋を楽しむ。

しかし、その頃からたびたび脳に異変を感じるようになる。火曜の僕はようやく手にした火曜日以外の生活を続けるため、まわりに異変のことを隠そうとするが、彼の障害を知る女性、一ノ瀬もそんな火曜の僕のことを心配していた。

最初の頃は楽しんでいた火曜の僕だが、やがて、それぞれの人格にはそれぞれに歩んできた人生があり、同じ1人の人間であっても、自分以外の人格の代わりにはなり得ないことに気づく。

そして、ある曜日の人格が自分と同じように他の曜日を生きていると知り、恐怖する。もしかして、次は自分(の人格)が消えるかもしれない。

はたして7人の人格は1人の人格を残して他は全て消えてしまうのか?そのときに残る人格は?そもそも事故が起きる前のオリジナルの人格はどの曜日の人格なのか?物語は急展開していく。

多重人格とブログ

この映画はフィクションであり、多重人格(解離性同一性障害)を患っている人は現実世界にきっと僅かしかいない。ほとんどの人が自分と多重人格は無縁と考えるはずだが、必ずしもブロガーはそうとは言い切れない可能性がある。

なぜならブログを書くという行為自体が、本来の自分とは違う別人格を意図的に作り上げようとしている風に思えてならない。

理由の一つが、匿名性だ。匿名にすることで、本来の自分を隠しながら、別に作った自分を他人に見せることができる。僕自身、普段は恥ずかしくて言えないようなこと、言いにくいこともブログでは平然と書いている。つまり、それは現実の世界では叶えられない欲求を満たすために、ブログの中では別人格を通じてそれを可能にしているのだ。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、本来の自分とブログの中の自分がまったく同じ人格と言い切れる人はどれだけいるのだろうか。恐らくそれが言えるのは匿名ではなく、実名で投稿している人だけである。最たる例が裏垢で、本垢と裏垢はまさに現代版のジキルとハイドなのだろう。

ブログをやっている人の中には複数のブログを掛け持ちしている人もいる。ブログごとに別々の趣味やテーマが設定されており、対象となる読者も基本的には異なる。仮に自分にそのつもりはなくても、読者からは別人格に見えているかもしれない。

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問題は、上手くコントロールできている間は良いが、別人格に熱中し過ぎるのはリスクがあるように思えた。本来の自分は別人格からも影響を受ける。いつか別人格がトラブルを起こせば、本来の自分の生活を脅かしかねない。本来の自分と別人格のギャップが大きい人ほど反動は大きいだろう。

そんなことを想像していたら、背筋がゾクっした。もう1人の別人格に飲まれないよう、皆さんも気をつけていただきたい。

 

おわり

輝きを忘れるな!2011年 AIR JAMから10年

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もしかしたら俺は将来スターになって輝かしい人生を歩むかもしれない。それは夢と呼べるようなものではなく、子供の頃に抱いた根拠のない幻想に過ぎなかった。生まれつき何かの才能があるわけではなく、人並み外れた努力をする根性もない。そんな男に特別な未来が訪れることはなく、待っていたのは平凡な日々。

My life is a normal life
オレの暮らしは何の変哲もなくて

Working day to day
毎日働きづくめで余裕なんてない

No one knows my broken dream
俺にも叶わぬ夢があったなんて誰も知らない

I forgot it long ago
もうずっと昔に置き忘れてきたけど

 

Hi-STANDARD「STAY GOLD」より
作詞:横山健・難波章浩

この曲を聴くと心がハイになる。まるで自分が無敵になったような気分だ。頭がおかしいと思われるかもしれないが、案外そうした経験は誰にでもあるんじゃないだろうか。

音楽に限らず、スポーツもそうだし、絵を描いているときや本を読んでいるときもそうかもしれない。大好きなことに熱中していると、一瞬でも現実から切り離され、別世界に入ったような感覚になるときがある。

2011年9月18日。東北にエールを届けるため、ハイスタが開催したAIRJAM2011。

今年でちょうど10年が過ぎた。平凡なりに色んなことがあった10年だったが、あのときほど無敵感を味わった日はない。

✳︎

当日は9月中旬だというのに真夏のような暑さだった。でも、ノープロブレム。なにせ11年振りに復活するハイスタが見られる。朝からテンションはMAXだ。

会場の横浜スタジアムに着くと、自分と同じような格好をした若者たちで溢れている。短パンにバンドTシャツ、そしてスケボーシューズ。野球のスタジアムとはおよそ似つかわしくない。

「KYONO(THE MAD CAPSULE MARKETS)はWAGDUG FUTURISTIC UNITYで出るんだろ?」

「オイオイ、あいつ(シャカゾンビの)オオスミじゃね?KGDR(キングギドラ)のTシャツ着てるし 笑」

すれ違った4人組が大柄な男を指して茶化していた。一般人はわからないマニアックなネタが共通言語のように飛び交う。同じ世代に生まれ、偶然にも同じような価値観を持った名前も知らない仲間たち。まるで同窓会に来たような懐かしさがそこにはあった。

オークションで手に入れた一枚二万円のプレミアムチケット。ポケットの中で軽く握りしめ、入場の列に向かった。

✳︎

AIRJAMの開催が発表されたのは震災から僅か1ヶ月後の4月。もはや関係は修復不能に思われたハイスタの3人が一緒に写った写真をTwitterに投稿した。

話題になるのは当然のこと。しかも、復活に用意されたステージは活動休止前の最後のライブとなった2000年と同じAIRJAM。チケットの事前予約には3万人分の席に対して20万件以上の申し込みが殺到したらしい。

当時はまだチケットの不正転売に関して法律が整備されておらず、システム的にも十分な対策が施されていなかった。(翌年からはすぐに不正転売を防止するための措置が取られることになる)

オークションにチケットが出回るのは自然な流れで、出品者の「行けなくなったのでお譲りします」という言葉を信じ、友人の分と合わせて2枚のチケットを購入した。

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開演間近になりステージの上に難波さんが登場する。

"俺はこのフェスが、ラウド・ロック/ラウド・ミュージックで日本最高峰のイベントだと思ってます。"

マジで「ウォー!!!」だった。興奮で腹の底から雄叫びを上げる。

ウグイス嬢のアナウンスに合わせてスタジアムの電光掲示板に当日のアクトが表示された。すると会場は再び歓喜の雄叫びを上げる。

スタジアムのマウンドに目をやれば、巨大なバンクか設置されていた。スケーターやBMXライダーとのコラボもAIRJAMの魅力の一つだ。

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トップバッターはHUSKING BEEのイッソンとNUMBER GIRLの田淵ひさ子の磯部正文BAND。過去にも出演経験があるメンツではLOW IQ 01 & MASTER LOW、WAGDUG FUTURISTIC UNITY、SCAFULL KING、BRAHMAN。

他には2000年以降に頭角を現してきた10-FEET、the HIATUS、マキシマム ザ ホルモン。

参加したバンドの中ではルーキー的位置にいたFACT、Pay money To My Pain。

ラウドロック以外からはKGDR、TURTLE ISLAND。

海外からもMurphy's Law、NOFXのファット・マイク弾きいるMe First and the Gimme Gimmesが参加した。

ラインナップが豪華過ぎて、休んでいる暇がない。それぞれのバンドが被災地へのエールとハイスタへの思いを込めて最高のパフォーマンスを見せてくれた。中でもBRAHMANのTOSHI-LOWさんのMCは印象深い。彼が話している間、スタジアムは静まり返り、観客全員が彼の一言一言を聞き入っていた。

「諦めなくて良かった。おれ、諦めねえよ。被災地に笑顔が戻ってくることも、放射能の街に家族の団らんが戻ってくることも、諦めねえ」

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ついにハイスタの出番。観客のボルテージは上がり、スタンド席ではウェーブが巻き起こる。司会のブライアンが名前を叫ぶとついに3人がステージ上に現れた。

MY HEART FEELS SO FREE
SUMMER OF LOVE
CLOSE TO ME

etc …

何度も聞いた名曲がスタジアムに鳴り響く。言うまでもなく、ハイスタのライブは最高だった。飢えに飢えて11年間に溜め込んだファンのパワーだって半端ない。スタジアムは確かに揺れていた。

名残り惜しくも、翌年の東北での開催に向けたメッセージを残し、AIRJAM2011は閉幕した。

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後から雑誌のインタビューやドキュメンタリー映画を見て、あのときハイスタがいかに無理を押して、ステージに上がっていたかを知った。まさに被災地のためだったのだろう。バンドとしては本来の体をなしていないままのステージだった。素人にはわからなかったが、納得のいくパフォーマンスとは程遠かったのもしれない。

状態でいえば、この後の2012や2016、特に2018は良かったと聞く。けれども1ファンとしてはあの日は特別で、今でもあの日を超えて興奮した日はない。アーティストのベストとファンのベストは必ずしも一致しないのだと思う。


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I won't forget
オレは忘れない


when you said to me ”stay gold”
お前が「いつまも金ピカのままで」言ったこと


I won't forget
忘れないよ

always in my heart ”stay gold”
いつも心の中に

 

Hi-STANDARD「STAY GOLD」より
作詞:横山健・難波章浩

『あの日があったからがんばれる』みたいなことは人生で滅多にない。けれども、あの日は自分にとってそういう日だった。

"STAY GOLD(いつまでも金ピカのままで)"

僕のような平凡な男が扱えるような言葉ではない。だが、きっと死ぬまで忘れることない、無敵になるための言葉なのである。

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おわり

日本茶と家業を継がなかった男の思い

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今週のお題「好きなお茶」。

僕の実家は日本茶の小売業を営んでいた。家は店舗兼住宅。隣接して工場もあったけど、今は残っていない。会社をたたむときに更地にして一部を他人に売った。残りは駐車場として利用している。

店を閉めたのは一年ほど前になる。小さな会社でもたたむとなれば手続きや整理に時間がかかるらしい。全ての処理が終わり、会社が廃業したのはつい先日のことだ。

✳︎

創業者であるひいじいちゃんは僕が生まれると、4代目ができたと言ってすごく喜んだそうだ。その期待には応えられなくて、ゴメン。

これまで何人かの友人に「お前が継がないなら、代わりに俺が継いでやる」と言われた。冗談でも軽く言ってくれる。

日本茶の生産量や消費量は年々減っていて、いわゆる斜陽産業と言われている。売り方を工夫したり、海外に目を向けたり。そのなかでも頑張っている会社はいくつもあるが、僕が子どもの頃に近所にたくさんあったお茶屋さんは、今ではほとんど残っていない。

厳しい業界とわかっていて、敢えて自分の子どもに勧める気にはならなかったのだろう。両親から店を継いで欲しいと言われたことは一度もなかった。

✳︎

今さらセンチメンタルな気持ちになることはない。店を閉めるときでさえ、ほとんど感傷的にはならなかった。自分が思っている以上に自分は薄情な人間なんだろう。

けれども、少し前まで頼もしく思えていた両親が、歳を重ねるほど心細く思えて、寂しい気持ちよりも安心の気持ちの方が強かったのだ。

両親の頑張りにより会社は長いこと健闘をしてきたが、近年はギリギリ赤字になるかならないかぐらいの状況で資金繰りも大変そうだった。

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家業を継がなかったことに後悔はない。会社の将来性を憂慮する以外にも、生前の祖父と父親の関係を側で見ていて、仕事は親子で一緒にするものではないと思った。家族経営には良い面もあるが、厄介な面も持ち合わせていた。仕事とプライベートの境界線が薄いのだ。仕事でのいざこざがプライベートにそのまま直結する。一言も喋らず重苦しい空気の中で取る食事は特に苦手だった。

それでも、『もし自分が継いでいたら、今頃どうなっていたんだろうか?』と考えるときがある。今の仕事は嫌いじゃないが、大好きで情熱を注いでいると言えば嘘になる。就職するときにやりたい仕事があったわけではなく、だったら家業を継ぐことをもう少し真剣に悩んでも良かったんじゃないかと、今さらになって思うのだ。『自分に一番相応しい仕事とは何だったのか?』と。

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昨日のこと。息子が夕食の手伝いに急須でお茶を淹れる姿を見て、父親が嬉しそうな顔をしていた。息子と同世代のなかには急須で淹れたお茶を飲んだことがある子がどのくらいいるのだろうか。

なぜだろう?多くの人がコーヒーには高いお金を掛けたり、淹れる手間暇を惜しまないのに、日本茶にはそれをしない。ペットボトルのお茶があんなにたくさん売れるのなら、急須で淹れるお茶だってもう少し売れてくれても良いじゃないかと、理由も考えずに思ってしまう。

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今は店をやめるときに大量に冷凍しておいた茶葉を少しずつ切り崩しながら使っている。

日本茶が素晴らしいモノであると知りながら、日本茶にたくさんの恩恵を受けながら。

それでも真剣に継ぐことを考えなかった自分を今は少し恨めしく思う。

 

おわり

 

 

どっちつかずのI want you な奴

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「どっちつかずのI want you」

高校時代に友人からこんなセリフを言われたことがある。

記憶ではダウンタウンの松ちゃんのギャグを真似たものだったと思う。当時は自分を含め、仲の良い友人3人で行動することが多かった。長い時間を一緒に行動していれば、何をどうするか?で揉めることがある。自分以外の2人の意見が割れると、そのときに出す僕の意見は決まって中立的なものだった。

いつもどっちつかずな態度を取る僕に対して、「お前は自分の本音を言わないズルい奴だ」という意味を込めて言われたのが、先ほどのセリフのである。どちらか1人の肩を持つの嫌で、ついついどちらにも差し障りのない意見を出し続けた結果、自分が2人から責められてしまった(笑)

そんな性格が簡単に変わることはなく、ブログでもいつも無難な意見ばかりを書いている気がする。やはり僕はズルい男なのだ。

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ワクチン証明

しかし、そんなズルい男でもこの問題に関しては無難に答えるのが難しい。渡航用パスポートとしての活用は以前から知られているが、いま話題になっているのは国内旅行やイベント、飲食店での活用についてだ。

評論家をはじめ、一般人のコメントも読んだ。すると、意見が大きく割れているように思える。感覚的には反対意見がやや多いぐらいか。試しに自分の周りで聞いてみても、他の人と僕とでは意見が違っていた。それぞれの主張をまとめるとこんなところになる。

先に反対意見から。

  • ワクチンを摂取したくてもできない人がいるのに摂取した人だけ優遇するのは差別だ。
  • ワクチンを摂取しても感染しないわけではない。気の緩みから感染を広げてしまうリスクがある。

次に賛成意見。

  • ワクチン摂取により重症化リスクを下げた人には活発な消費活動を勧めるべきだ。
  • 非常事態下における摂取者の優遇は差別ではなく区別である。

たぶん、読んでくれている人の中でも意見は割れると思う。自分の意見を表明することで必然的に誰かを残念な気持ちにさせる可能性は高い。とは言え、ここまで書いておいて、それをしないのはあまりに卑怯なので、今回はちゃんと答える。

僕はどちらかと言えば賛成派だ。"どちらかといえば"と前置くのもまた卑怯なので訂正する。賛成派だ。

(どうだろう。不快にさせたら申し訳ない。)

最初は理由もダラダラ書こうとしたけどやめておく。それは何となく求められていない気がした。強いて言えば、以前のような社会に戻るためのリハビリは早く始めた方が良いと思っていて、差別についても非人道的なものでなければ少し目をつぶって欲しいと思った。たとえ、傲慢な考え方だったとしても。

ただ、この問題には絶対的な正解がない気がする。「必ずこっちの方が正解だ」みたいな議論は間違っていて、「こっちの方が少しだけマシ」ぐらいに考えるべきだと思う。

もちろん、その程度の言い方をしていたら、相手を説得させることはできない。けど、言いたいことは、たとえ自分と違う意見だったとしても、相手のことを「なんだよ、コイツ」って憎らしく思っちゃダメなんだ。だって、絶対的な正解なんてないんだから。僕はそんな風に心に留めておきたい。

ん?なんかまた中立的な意見になってきたかな。僕は根っからのズルい奴で、どっちつかずのI want youだ。

 

おわり

書きたいことがないけど今日は書くよ

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書きたいことがないくせに、どうにかして書こうとしている自分がいる。何かを書かないと気持ちが落ち着かない。

これってヤバいよな…と冷静に自分を俯瞰しつつ、以前にある人がSNSを煙草に例えていたのを思い出す。ある人とは、インフルエンサーとは少し違うが、某SNSではちょっとした有名人である。知り合いの女性からSNSの始め方を聞かれて「やらずに済むのであれば、やめておいた方が良い」と答えたときの話を紹介していた。SNSも煙草と同じで身体に悪いと言いたいのだろう。

今、自分に出ている禁断症状は煙草のそれに似ている。誰かから貰える「いいね」のような反応は、まるでニコチンのように中毒性が高く、切れてしまうとまた次が欲しくなる。身体以上に心に堪えるから、SNSをやめておいた方が良いというアドバイスは正しいかもしれない。

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昨夜のこと。読者登録しているブロガーの記事のタイトルが『有難うございました!サヨナラです!』になっていた。思えばしばらく更新されていなかったような気はしたが、突然のお別れ宣告に慌てて記事の中身を開いた。

敢えて詳しいことは書かない。だが、やめる理由はとても残念なものだった。心ない人間から攻撃されるのはSNSでは珍しいことではない。たとえ99%がポジティブなコメントで、残りのわずが1%がネガティブなコメントだったとしても、その1%の方を大きく捉えてしまうのが人間というものだ。

スパッとやめることを選んだのは英断だと思う。自分が悪くないだけに、悩んだ末の決断だったはずだ。しかし、ネガティブなコメントがこの世からなくなることがない以上、たかがSNSで心を痛める必要はない。SNSから生まれる繋がりも貴重なものだか、リアルな生活の方が遥かに重要だ。間違わない方が良い。

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書きたいことがないときに無理矢理書いてしまうと失敗することが多い。中身の薄いことを書けば、他人の反応が悪いのは当然だ。ここ最近は過去の失敗から学び、書きたいことがないときは書くのをなるべく我慢してきた。

でも、今日はなんか悔しい気持ちなので、書きたいことがないけど敢えて書こうと思う。SNSは毒だと言いながらやっていることが矛盾しているが、今日はそれも無視して、特に中身のない記事を投稿することにした。

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先程のSNSを煙草に例えた人は"人類にSNSは早すぎた"という話があることも紹介していた。調べてみると、政治家が悪意を持ってSNSを使えば多くの民衆を恣意的に扇動できてしまう危険性を指摘する記事であった。そして、"SNSがもたらす負の側面は許容範囲を超えており、もっと確実でストレスのない情報伝達の手段が必要なのは明らかだ"と続いていた。

重たい話であるが、決して他人事ではない。負の側面ばかり見ていても仕方ないが、負の側面の大きさはあらためて理解しておくべきであろう。特にこんなようなことを書いている自分は要注意だ。

知り合いのブロガーの皆さんには長くブログを続けて欲しいと思う。その一方で、ストレスを抱え込んでしまうぐらいであれば、そのときはたとえ残念で悔しくてもスパッとやめてもらうことを願いたい。あなたの心と身体が一番大切なのだ。

 

おわり

野良猫に餌をやるおばあさんと口論になった記憶

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今週のお題「爆発」。

つい怒りが爆破してしまい、後味の悪かった日の記憶。

犯罪者のセリフです

動物の日記や記事はブログの人気ジャンルの一つだ。僕が読者登録しているブロガーさんの中にも可愛いペットたちを紹介している人はたくさんいる。いや、"ペット"と呼ぶのは失礼で、"家族"と書いた方が正しいかもしれない。

可愛い動物たちは見ているだけで癒されてしまう。ブログに限らず、ツイッターやYouTubeでも人気が高いのも納得できる。

我が家でも犬好きの妻がいて、しばしば犬を飼いたいと言い出す。

「ねぇ、犬、飼いたいよね?」

あわよくば、子どもたちを仲間に引き入れようするから困ってしまう。

しかし、そこは心を鬼にして断固却下する。僕も実家に住んでいた頃は犬を飼っていた。犬が可愛いのは知っているし、飼いたい気持ちもわかる。でも、ダメなのだ。

ペットを飼うのに適した環境とどんな時も可愛いがってあげる覚悟が、我が家にはまだ足りない。

極端な例えになるが、日本動物愛護協会が制作したACジャパンのCM「犯罪者のセリフ」を知っているだろうか。話題になったCMなので知っている人は多いかもしれない。


www.youtube.com

可愛い飼い犬を捨てようとしている親子。小さな娘の隣で「親切な人に見つけてもらってね」と母親が涙ながらに呟く。その瞬間、「優しそうに聞こえても、これは、犯罪者のセリフです」と流れるナレーションには一瞬ドキッとしてしまう。

そして、身勝手な都合で動物を捨てる人間は身近にもいる。

猫と老婆

今の家で暮らす前は戸建ての借家に住んでいた。隣は月極の駐車場だったが、その駐車場には自転車で毎日やって来るおばあさんがいた。野良猫にエサを与えるためだ。

おかげで家の周りには野良猫がたくさん住み着いていた。鳴き声はどうと言うこともなかったのだが、問題は家の敷地にされる糞だった。たまに嘔吐したようなものまでも…。

猫の糞は匂いがキツい。特に厄介だったのが、砂利の上にされる糞。めちゃくちゃ取りにくい。糞を小石と一緒に燃えるゴミに捨てるわけにはいかないのだから。

糞をされないために悪戦苦闘する日々。水を詰めたペットボトルを並べたり、猫が嫌う忌避剤を撒いたり。それでは効果がないから、一万円を出して超音波発生機を試した。でも全然ダメ(トホホ)。

そのうち、だんだん腹が立ってくる。これはもう元を達つしかないと思って、ある日、おばあさんが来るのを待ち構えた。

「おばあさん、ここで餌をあげるのはやめてくれない」

「いやよ、可哀想じゃない」

「ここは他人の土地だよ。可愛そうなら家に連れて帰るか、余所でやってくれよ」

「頼むよ、お願いだから見逃して」

「おばあさんは餌をあげたら終わり。こっちは糞の後始末をさせられてんの!」

「じゃあ、わたしが取りにくるから」

「いやいや、赤の他人に勝手に敷地に入られるのは困る」

話はずっと平行線。結局、おばあさんはその後も僕に隠れるようにしてエサを与え続けた。しばらくして引っ越したので、今はどうなったかわからない。けれども、引っ越す間際に駐車場を管理している不動産屋が張り紙をしていた。

おばあさんの気持ちが理解できなかったわけじゃない。おばあさんの家の中はこれ以上連れて帰れないぐらいの猫で溢れ返っていたんだろう。なんとなく想像はついた。

一番悪いのはペットを捨てる人間で、おばあさんの行為が人として間違っているとは思わない。

けれども、助ける人がいれば、そこに甘える人は現れる。野良猫も去勢された猫ばかりならいいが、そんなこともない。家と家の僅かな隙間。手入れされていない草むらで子猫が生まれた。悲しい連鎖は続いていく。

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ペットを飼う条件

話を元に戻そう。"ペットを飼うのに適した環境とどんな時も可愛いがってあげる覚悟が、我が家にはまだ足りない"とはどういうことか。理由はいくつかある。

一つ目はまだ新築と呼べる家の中を傷つけられたくない。犬に家の中を少しも傷つけるなどと怒りたくはないが、絶対に怒りたくなる。傲慢な飼い主にはなりたくない。

二つ目は泊りの旅行のときにどうするのか。犬を連れて行くとなれば泊まれる宿は限られてしまう。ペットホテルに預けるにしてもお金は掛かる。家族の一員として、足枷に感じないと自信を持って言えるだろうか。

三つ目は誰が散歩に毎日連れて行くか、だ。自分の経験上、遊びたいざかりの子どもが犬を散歩に連れていくのはなかなか面倒である。飼いたいと願う妻と子どもだけで毎日散歩に連れていってあげられるだろうか。

ペットは可愛いという衝動的な気持ちだけで飼ってはいけない。しっかり可愛がってあげられる環境と覚悟を持って飼うべきだ。今の我が家にはまだそれが足りない。

そんなわけで、犬を飼うのはもう少し待とうと思う。でも、子どもたちが自立して家を出てしまったら、そのときは犬を飼ってわが子のように可愛いがってみたい。きっとそんな風に思うのだろう。

 

おわり