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下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

日本茶と家業を継がなかった男の思い

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今週のお題「好きなお茶」。

僕の実家は日本茶の小売業を営んでいた。家は店舗兼住宅。隣接して工場もあったけど、今は残っていない。会社をたたむときに更地にして一部を他人に売った。残りは駐車場として利用している。

店を閉めたのは一年ほど前になる。小さな会社でもたたむとなれば手続きや整理に時間がかかるらしい。全ての処理が終わり、会社が廃業したのはつい先日のことだ。

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創業者であるひいじいちゃんは僕が生まれると、4代目ができたと言ってすごく喜んだそうだ。その期待には応えられなくて、ゴメン。

これまで何人かの友人に「お前が継がないなら、代わりに俺が継いでやる」と言われた。冗談でも軽く言ってくれる。

日本茶の生産量や消費量は年々減っていて、いわゆる斜陽産業と言われている。売り方を工夫したり、海外に目を向けたり。そのなかでも頑張っている会社はいくつもあるが、僕が子どもの頃に近所にたくさんあったお茶屋さんは、今ではほとんど残っていない。

厳しい業界とわかっていて、敢えて自分の子どもに勧める気にはならなかったのだろう。両親から店を継いで欲しいと言われたことは一度もなかった。

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今さらセンチメンタルな気持ちになることはない。店を閉めるときでさえ、ほとんど感傷的にはならなかった。自分が思っている以上に自分は薄情な人間なんだろう。

けれども、少し前まで頼もしく思えていた両親が、歳を重ねるほど心細く思えて、寂しい気持ちよりも安心の気持ちの方が強かったのだ。

両親の頑張りにより会社は長いこと健闘をしてきたが、近年はギリギリ赤字になるかならないかぐらいの状況で資金繰りも大変そうだった。

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家業を継がなかったことに後悔はない。会社の将来性を憂慮する以外にも、生前の祖父と父親の関係を側で見ていて、仕事は親子で一緒にするものではないと思った。家族経営には良い面もあるが、厄介な面も持ち合わせていた。仕事とプライベートの境界線が薄いのだ。仕事でのいざこざがプライベートにそのまま直結する。一言も喋らず重苦しい空気の中で取る食事は特に苦手だった。

それでも、『もし自分が継いでいたら、今頃どうなっていたんだろうか?』と考えるときがある。今の仕事は嫌いじゃないが、大好きで情熱を注いでいると言えば嘘になる。就職するときにやりたい仕事があったわけではなく、だったら家業を継ぐことをもう少し真剣に悩んでも良かったんじゃないかと、今さらになって思うのだ。『自分に一番相応しい仕事とは何だったのか?』と。

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昨日のこと。息子が夕食の手伝いに急須でお茶を淹れる姿を見て、父親が嬉しそうな顔をしていた。息子と同世代のなかには急須で淹れたお茶を飲んだことがある子がどのくらいいるのだろうか。

なぜだろう?多くの人がコーヒーには高いお金を掛けたり、淹れる手間暇を惜しまないのに、日本茶にはそれをしない。ペットボトルのお茶があんなにたくさん売れるのなら、急須で淹れるお茶だってもう少し売れてくれても良いじゃないかと、理由も考えずに思ってしまう。

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今は店をやめるときに大量に冷凍しておいた茶葉を少しずつ切り崩しながら使っている。

日本茶が素晴らしいモノであると知りながら、日本茶にたくさんの恩恵を受けながら。

それでも真剣に継ぐことを考えなかった自分を今は少し恨めしく思う。

 

おわり