明智光秀の生存説がデタラメらしくてモヤッとした
昨日のことです。先日見た某バラエティ番組がYahooニュースの記事でバッサリ斬られていました。
番組の内容は、かの有名な明智光秀が『本能寺の変』のあとも別の人物となり生きていたする光秀・生存説の謎に迫るというものでした。
僕は知らなかったのですが、光秀の生存説は今までもテレビで何度か取り上げられることがあったようです。明智光秀を主人公にしたNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回でも光秀の生存説を含ませる演出があったらしく、ネット界隈では少し前にも話題になっていたみたいですね。番組が放送される前から既に盛り上がる下地ができていたわけです。
まぁ、歴史物に限らず、どんなジャンルのドラマでも、死んだはずの人物が生きている可能性を匂わされると視聴者はグッと心を掴まれます。特に続編をやるかやらないか決まってないときにエンディングでやられるのはちょっとズルいなぁと思ってしまいます。
明智光秀は天下人である織田信長に謀反を起こした武将です。主君を裏切ることから悪いイメージを持たれやすいですが、日本人ならみんなが知っている歴史上の有名人です。
『本能寺の変』のあと間も無くして命を落としたはずの光秀が本当は長く生きながらえていたとなれば、当然みんな興味をかきたてられますよね。某番組では不可解な痕跡と称して、いくつかの物証を紹介しながら光秀・生存説を唱えていました。
正しい史実とロマンの虚構
で、僕は上述の記事を読んで何を思えばいいんですかね?やっぱり「けしからん!」ってなればいいのでしょうか。識者でもない僕としては、(本当に番組の話がデタラメなのか判断ができないので)自ら怒りをぶつけるつもりはないです。ただ、今回の話は別としてもデタラメが行き過ぎるのには歯止めを掛けなくてはならないですが、その点で歴史は難しいと感じています。
僕らが学んできた歴史は多くの学者さんたちが研究を長年積み重ねてきた成果であり、由緒ある史料に裏付けされた客観的な事実です。
しかし、何百年前の話である以上、99.9%までは正しいと言えても、100%真実だと言い切ることはできません。例え突飛な話であっても、絶対的に否定はできないのです。
現代だって偽造された公的文書があるぐらいじゃないですか(たぶんですけど)。公的な文書ではないにしろ、世の中にはフェイクニュースが溢れています。
Dr.STONE よろしく、万が一にも文明が突然滅びてしまうようなことがあったときに、間違った情報から真実とは異なる歴史が遥か遠い未来に正しい歴史として認識されるかもしれません。
もちろん、そこまで言い出すと歴史なんて学べなくなるかもしれませんが、故に退屈な真実より、ロマンを感じる虚構の方が好まれやすいのではないかと思います。
歴史物バラエティと子ども
ちょっと話は逸れましたが、僕のような大人はまだいいんです。
最初から話半分で聞いていましたし、言い方悪いですけど、そんなもんだろうぐらいに思っていました。
トラウマとまでは言いませんが、子どもの頃に徳川埋蔵金の番組を観ては、いつも期待させるくせに結局、何も出てこないというのを繰り返し味わってきました。NHKはともかく、民放のバラエティ感満載の番組では話が面白く脚色されることぐらいわかっています。大人ですから。
加えて、某番組は他の番組の人気企画をコピペしたような企画が多く、同じようなミステリー系バラエティと比べてもレベルが数段落ちる印象を持っていました。(でも、嫌いじゃないですよ)
息子のメモ
なので、僕はいいんですが、問題は息子です。僕と違い、息子は某番組が好きです。特にミステリーの回は大好きでして、話が始まるとなぜか話のあらすじを一部始終メモします。最終的にはそのメモを日記帳に写し、担任の先生から感想のコメントをもらうという、謎の遊びを楽しんでいます。
僕は今でこそブログで文章を書きますが、元々は書くのが苦手で、子どもの頃は書くことが大嫌いでした。だからなぜ、自分の子どもがそんな行動を取るようになったのか不思議でなりません。
しかし、話のメモを取り、頭の中で整理しながら文字にする行為は勉強でも仕事でも役に立ちます。いつかブログを書きたいと思ったときも、書くのが下手な親と違って記事をスラスラ書けるかもしれません。
よって、先生には少し迷惑かもしれませんが、放置しています。大事なのは話の内容ではなく、メモを取るいう行為にあります。息子に「この前の話はデタラメかもしれない」言ったところで、無駄にショックを与えるだけかもしれません。かと言って、わかっているのに黙っているのも悪い気がします。
いや〜どうする方がいいんでしょうか。モヤモヤします。マジで何だコレ。ミステリーな番組でした。
おわり
朝活と早起きは三文の徳とは限らない
眠れない。寝たいのに目は冴えている。瞼を閉じる。でも、夢の中には潜っていけない。
明日は早い。なぜ眠れない。考えて憂鬱になる。どうすれば良い?焦る。イライラする。
仕方がない。あれこれ考えて気を紛らそう。明日のこと。週末のこと。心配なこと。楽しいこと。頭の中がグルグルする。少しも眠れる気配はない。
いっそのこと起きてみようか?ダメだ。起きたら負けな気がする。布団をかぶりなおす。
じゃあ、スマホでも見る?バカか!それこそ眠れなくなる。今日日、子どもでも知っている。でも、見る。誘惑に負ける。
興味のないニュースに目を通す。ツイッターのタイムラインを眺める。どっちもあまり集中できない。目だけは覚めた。
観念して瞼をもう一度閉じる。目を開けたいのをひたすらに耐える。ようやく眠れそうになる。なってくる。なった。なったのに、トイレに行きたい…。
どうしよう?我慢する?でも、ムリ。だって、落ち着かない。トイレに行く。また目が覚める。また瞼を閉じる。
いつの間にか眠りに落ちていた。でも、すぐに目覚ましに起こされる。わかっていた。やっぱり眠い。
今週のお題「眠れないときにすること」
眠れないと思ったときにはもはや遅い。早く寝たいともがいたところで、かえって目は冴える。
溺れそうなときはもがくほど溺れる。力を抜き、仰向けになる方が溺れない。わかっている。わかっているのにもがいてしまうところが何なとなく似ている。
"眠れないときにすること"ではない。"眠れないときにしてしまうこと"が正しい。
しかし、以前と比べれば眠れない日もずいぶん少なくなった。理由はたぶん朝活を始めたからだ。
子どもを寝かし付けることから朝活を始めた
かれこれ2年近く、ほぼ毎日夜10時に寝て、朝5時前には起きる生活を過ごしている。たまに寝る時間が遅くなることはあっても、なるべく次の日はいつもと同じ時間に起き、いつもと同じ時間に寝る。そうすることでリズムを崩さない。
朝活を始めたのは子どもと一緒に寝ると決めたからだ。以前は子どもを寝かしつけてから風呂に入り、その後に自分のやりたいことをやっていた。すると、深夜までダラダラしてしまい、朝起きるのが辛い。
子どもを寝かしつけているうちに、気付いたら朝だったという経験を何度かした。朝は忙しくなるが、思いのほか頭がスッキリしていて気持ちが良い。それなら、思い切って自分の自由な時間を夜から朝に変えることにした。
平日の朝は主にブログ、休日の朝はランニングに時間を充てる。朝は夜みたいにダラダラ過ごしてしまうことがない。結果、睡眠時間が削られることはなくなる。健康的な生活が手に入った。
早起きは誰にでもお勧めではなかった
とは言え、この朝活を誰かにお勧めしようとまでは思わない。「早起きは三文の徳」ということわざがあるように早起きは良いことで、特に子どもの頃は早起きするべきだと教わってきた。でも、実はこれは必ずしも正しいとは限らないらしい。
人を朝型と夜型で分けることがある。どちらのタイプになるかは年齢と遺伝で決まるそうだ。
人は年を取ると早寝早起きの傾向になる。実際に20歳前後をピークに夜型から朝型に徐々に変わっていくそうだ。自分の感覚からもこれは正しいと言える。
問題は夜型の人が無理に朝型の生活を送ろうとするとかえってパフォーマンスが落ちる。つまり、夜型の若者は基本的に朝活には向かない。海外では学校の始業時間を1時間遅らせることで子どもの成績が上がった実例もあるようだ。そう考えると学生の朝練などは体のメカニズム的には本来望ましくないのだろう。
そして、年齢以上に遺伝の影響を受けるらしい。遺伝というのは生まれつきということであり、個人差を意味する。遺伝の部分を努力で変えるのは難しい。生まれつき夜型の人は無理して朝活をすべきではないということになる。
ちなみに約3割の人は朝型と夜型のどちらかに強い傾向があるようだ。もし朝活に憧れて生活習慣を夜型から朝型に変えてみたけど、いまいち向かないと感じている人がいたら、無理して朝活は続けない方が良いかもしれない。
今週のお題「眠れないときにすること」(リターン)
こんな感じで睡眠の話は奥が深い。本や記事を読むことで自分にとっては意外な事実を知る可能性もある。
眠れないときはどうしたら良いか迷うけど、逆手に取るつもりで、睡眠について学んでみたらどうだろうか。案外有意義な時間を過ごせるかもしれない。
おわり
正義のブタと正論を振りかざす男
日本人なら好きなアニメヒーローの一人や二人いても不思議はない。昭和の頃から世代ごとに愛されてきたヒーローがいる。
ただし、ヒーローと一言でいっても性格や精神性は様々だ。昭和の孫悟空と令和の竈門炭治郎ではタイプが違うし、平成の碇シンジのように特殊なタイプもいる。
憎めないブタ
今まで誰にも話しことはないが、僕は『クレヨンしんちゃん』に登場するぶりぶりざえもんが好きだ。子どもと一緒にアニメを見ているうちに、彼の魅力にハマってしまった。
知らない人のために説明しておくと、ぶりぶりざえもんは主人公の野原しんのすけが考案したキャラクターである。設定は『救いのヒーロー』。見た目は紫色のタイツを穿いたブタだ。
実はぶりぶりざえもんはおよそヒーローには相応しくない。性格は極めて自分本意で金にがめつい。"常に強い者の味方"が彼のポリシーであり、ピンチになれば平然と仲間を裏切る。最低のブタ野郎だ。
それでも彼は類い稀な強運の持ち主で、意図せず敵を倒し、ヒーローさながらトラブルや事件を解決してしまう。どんなに憎らしくても、結果にはコミットするブタなのだ。
憎らしい男
先日、社内で営業を集めた会議が開かれた。システムの入れ替えに伴い本社の人間から大事なお願いがあるとのことで管理職は参加が義務付けられた。オンラインではあったが、かなりの人数が集められた。
それにも関わらず、事前の説明や資料は不十分で、とにかく段取りが悪い。始まってみれば議論はたびたび本題から脱線し、ついには一部の営業からヤジまで飛ぶ始末。
「ムリでーす。そんな暇じゃありませーん」ガキみたいなセリフがスピーカーから聴こえてくる。みっともない。地方の中小企業など所詮はこのレベルかと思いながら聞いていたが、大企業でもたぶん同じなようなことは起こり得るのだろう。政治家を見てればわかる。肩書きが立派でも、心が大人とは限らない。
とは言え、原因をつくったのは本社側の人間だ。そもそも主催した2人の男は営業からの評判がすこぶる悪い。やることは三流のくせに態度だけ一流な男と、やる気がなさ過ぎて人に仕事を押し付けることばかり考えている男。2人からのお願いでなければ、会議があれほどまでに紛糾することはなかったはずである。
そして、事件は翌日に起きた。会議中にヤジを飛ばしていた男の一人が、本社の人間に対して痛烈な批判メールを送りつけたのである。メールは会議の参加者全員にも送られ、事態は場外乱闘戦へともつれ込んだ。
『どこを見て仕事をしている。客の方を見て仕事をしろ!』正義のヒーロー気取った男が皆の意見を代弁してやると言わんばかりに正論を振りかざす。
だが、僕は彼が決してヒーローなんかではないことを知っていた。彼はいわゆる劇場型営業により、これまでも幾度となく社内の人間に同じ行為を繰り返してきた。つまり常習犯である。自分のミスは棚に上げて、他人のミスは容赦なく非難する。単に人前でマウントを取りたいだけの憎らしい男なのだ。
正論とは
彼の芝居じみた行動に周りの人間はうんざりしていたが、なぜか本人だけはそれに気付かない。今回は特に多くの人数を巻き込んでいだけに、なおさら気合が入っているようにも思えた。しかし、この戦いは案外早くケリが付くことになる。
本社側の人間はすぐさま手持ちの中で一番強いカードを切った。劇場型男がメールを送ると、返してきたのは送った相手ではなく、相手の上司だった。劇場型男よりも上位の人間である。メールには丁寧な言葉が並べられていたが、明らかに彼の言動を戒めるような含みを持たせていた。
さて、劇場型男はどうする?人前で啖呵を切ったのだ。どうせなら一回ぐらい抵抗してみせてほしい。が、あまりにアッサリと振り上げた拳を下げてみせた。潔く「承知しました」と、吐いた唾を飲み込んだのである。
そう、それはまるで「私は常に強い味方だ」と言わんばかりに。プライドもへったくれもあったもんじゃない。所詮、自分を良く見せるために正論を振りかざす人間はその程度だということだ。正論とは人を傷つけるために使うものではない。人を守るために使うものである。
もし彼がぶりぶりざえもんなら類い稀な強運でこの状況を打破していたであろう。だが、もちろん彼はぶりぶりざえもんではない。せめてアニメのような笑い話になれば良いが、笑いは笑いでも起きたのは苦笑いだけだった。
今週のお題「肉(にく)」。にくらしい男より、にくめないブタが僕は好きだ。
おわり
写真と捨てにくいオモチャの捨て方
少し前にブログ仲間のユゥヨ (id:byte0304)さんがはてなブログに新しいグループを作りました。
その名も『スマホ写真部』。活動内容は毎月発表されるテーマに沿ってスマホで写真を撮り、記事を書くこと。
書くネタに困った経験やブログ仲間を増やしたいとの思いから、ユゥヨさんが悩み抜いた末にたどり着いた答えの一つが部活動だったようです。
正直なところ、僕はまめに写真を撮るタイプではありません。ただ、普段からダラダラ長めの文章を書いてしまう癖があるので、写真がメインの文字が少なめな記事をたまに書きたいと思うことがあります。
グループを自ら立ち上げるというユゥヨさんの男気に敬意を評し、僭越ながら入部させていただくことを決意しました。部員は募集中とのことですので、興味がある方はぜひ一緒にご参加ください。
teawase-brog430.hatenablog.com
近況
そんなわけで今日は写真を少し貼ってみるんですが、子どもの写真ばかりですね。
別に"子煩悩な優しいお父さん"をアピールしたいわけじゃないんですよ。スマホに保存されていたのがほぼ子どもの写真ばかりで、他に自慢したくなるような感動的で魅力的な写真を持っていなかっただけなんです。
ちなみに全て今年の夏に撮った写真です。写真を見返してみると、人混みを避けつつ必死で外出しようとしていたのがよくわかりますね。
最近は仕事でも家にいることが増えて、休みの日まで家から出れないかと思うと息が詰まりそうになります。もともとアウトドア派でもないんですが、気付けば自然を求めている自分がいます。(おそらく似たような方はたくさんいますよね)
いつになったら気兼ねなく遠くへ出かけられるようになるんでしょうか。あゝ、早く旅に出たい。そしたらきっと、素敵な写真もいっぱい撮れるはずなんです。
思い出の切り取り
そう言えば先日、子どもたちのオモチャを整理しました。上の子が小さい頃に遊んでいたオモチャもずっと取っておいたんですが、子どものオモチャって年々増えていく一方です。
いい加減しまっておく場所もなくなってきたので、誰かにあげられるものはあげて、それ以外のものは思い切って捨てることにしました。
ですが、思い出が詰まっているオモチャを捨てるのはつい躊躇しがちです。人形とか生き物のカタチをしたものを捨てるのは特に気乗りしません。オモチャ以外にも子どもが描いた絵や工作なんかもそうですが、捨てにくいけど、いつまでも取っておくわけにはいかないですよね。
そんな時に気休めになるのが写真です。写真にして思い出を切り取っておきます。記憶を記録に変えておけば、目の前からは消えてしまっても、完全には無くなることはありません。
そんな風に考えていると、写真は外だけではなく、家の中にも撮るべきものが案外多くあるかもしれませんね。(我ながら上手いこと言ったな)
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そろそろ文字が多くなってきたので、今回はここまでにしておきます。では、幽霊部員にならないよう、せいぜいガンバリマス!よろしくね、部長。
おわり
映画『水曜日が消えた』がブロガーを風刺しているようでゾクッとした
暇つぶしにAmazonプライムで見た映画が何気に面白かった。
タイトルは『水曜日が消えた』。2020年6月に公開され、主演は中村倫也。
概要
まず、タイトルが意味不明で惹かれる。何年も前にバカリズムが『週刊SPA!』で"タイトルから勝手に話を想像して、見るかどうかを判断する"みたいなコラムを連載していたのを思い出した。真似して脳をフル回転させてみたけどまったく想像がつかない。
あきらめてあらすじを読むと、どうやら多重人格(解離性同一性障害)の話らしい。多重人格と言えば、ジキルとハイドのような表と裏の二重人格を描いた物語が多いけど、そのありがちなパターンとは少し違うようだ。
(以下ネタバレを含みます)
あらすじ
主人公は幼いころの事故の後遺症によって、7人の人格が日替わりで現れるようになっていた。朝に起きると人格が切り替わっており、記憶は人格に合わせて再生と停止を繰り返す。
途切れる記憶を繋ぐため、7人の人格は一つのルールを守っていた。それはその日にあった出来事をノートに残し、伝言を付箋にメモすること。記憶のリレーにより、主人公は何とか生活を送っていた。
1人の体を7人の人格が順番にシェアしていると考えてもらえればわかりやすいかもしれない。1人の人格が生きられる曜日は決まっていて、1人の人格は1年の間に僅か52日しか生きられないのである。
性格や趣味は人格ごとにまったくのバラバラだった。月曜は俺様なバンドマン、火曜は几帳面な青年、水曜はスポーツマン、木曜はイラストレーター、金曜は植物の愛好家、土曜はゲームマニア、日曜は釣りバカ。
1人で暮らすには広すぎるはずの一軒家には人格の数だけ椅子が並べられ、それぞれの趣味のモノで家中埋め尽くされていた。
見どころ
物語は火曜の人格から始まる。好き勝手に趣味に生きる他の曜日の人格と比べ、真面目な火曜の人格の役目は主治医から脳の診察を受けること。火曜は週に一度の通院日であり、行きたい図書館はいつも定休日。退屈な火曜日に、火曜の人格である僕(ボク)はうんざりしていた。
ある朝、火曜の僕が目を覚ますとその日はいつもの火曜ではなく、水曜の朝だった。動揺しつつも喜ぶ火曜の僕。今まで行けなかった図書館に行き、女性司書との恋を楽しむ。
しかし、その頃からたびたび脳に異変を感じるようになる。火曜の僕はようやく手にした火曜日以外の生活を続けるため、まわりに異変のことを隠そうとするが、彼の障害を知る女性、一ノ瀬もそんな火曜の僕のことを心配していた。
最初の頃は楽しんでいた火曜の僕だが、やがて、それぞれの人格にはそれぞれに歩んできた人生があり、同じ1人の人間であっても、自分以外の人格の代わりにはなり得ないことに気づく。
そして、ある曜日の人格が自分と同じように他の曜日を生きていると知り、恐怖する。もしかして、次は自分(の人格)が消えるかもしれない。
はたして7人の人格は1人の人格を残して他は全て消えてしまうのか?そのときに残る人格は?そもそも事故が起きる前のオリジナルの人格はどの曜日の人格なのか?物語は急展開していく。
多重人格とブログ
この映画はフィクションであり、多重人格(解離性同一性障害)を患っている人は現実世界にきっと僅かしかいない。ほとんどの人が自分と多重人格は無縁と考えるはずだが、必ずしもブロガーはそうとは言い切れない可能性がある。
なぜならブログを書くという行為自体が、本来の自分とは違う別人格を意図的に作り上げようとしている風に思えてならない。
理由の一つが、匿名性だ。匿名にすることで、本来の自分を隠しながら、別に作った自分を他人に見せることができる。僕自身、普段は恥ずかしくて言えないようなこと、言いにくいこともブログでは平然と書いている。つまり、それは現実の世界では叶えられない欲求を満たすために、ブログの中では別人格を通じてそれを可能にしているのだ。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、本来の自分とブログの中の自分がまったく同じ人格と言い切れる人はどれだけいるのだろうか。恐らくそれが言えるのは匿名ではなく、実名で投稿している人だけである。最たる例が裏垢で、本垢と裏垢はまさに現代版のジキルとハイドなのだろう。
ブログをやっている人の中には複数のブログを掛け持ちしている人もいる。ブログごとに別々の趣味やテーマが設定されており、対象となる読者も基本的には異なる。仮に自分にそのつもりはなくても、読者からは別人格に見えているかもしれない。
問題は、上手くコントロールできている間は良いが、別人格に熱中し過ぎるのはリスクがあるように思えた。本来の自分は別人格からも影響を受ける。いつか別人格がトラブルを起こせば、本来の自分の生活を脅かしかねない。本来の自分と別人格のギャップが大きい人ほど反動は大きいだろう。
そんなことを想像していたら、背筋がゾクっした。もう1人の別人格に飲まれないよう、皆さんも気をつけていただきたい。
おわり
輝きを忘れるな!2011年 AIR JAMから10年
もしかしたら俺は将来スターになって輝かしい人生を歩むかもしれない。それは夢と呼べるようなものではなく、子供の頃に抱いた根拠のない幻想に過ぎなかった。生まれつき何かの才能があるわけではなく、人並み外れた努力をする根性もない。そんな男に特別な未来が訪れることはなく、待っていたのは平凡な日々。
My life is a normal life
オレの暮らしは何の変哲もなくてWorking day to day
毎日働きづくめで余裕なんてないNo one knows my broken dream
俺にも叶わぬ夢があったなんて誰も知らないI forgot it long ago
もうずっと昔に置き忘れてきたけど
Hi-STANDARD「STAY GOLD」より
作詞:横山健・難波章浩
この曲を聴くと心がハイになる。まるで自分が無敵になったような気分だ。頭がおかしいと思われるかもしれないが、案外そうした経験は誰にでもあるんじゃないだろうか。
音楽に限らず、スポーツもそうだし、絵を描いているときや本を読んでいるときもそうかもしれない。大好きなことに熱中していると、一瞬でも現実から切り離され、別世界に入ったような感覚になるときがある。
2011年9月18日。東北にエールを届けるため、ハイスタが開催したAIRJAM2011。
今年でちょうど10年が過ぎた。平凡なりに色んなことがあった10年だったが、あのときほど無敵感を味わった日はない。
✳︎
当日は9月中旬だというのに真夏のような暑さだった。でも、ノープロブレム。なにせ11年振りに復活するハイスタが見られる。朝からテンションはMAXだ。
会場の横浜スタジアムに着くと、自分と同じような格好をした元若者たちで溢れている。短パンにバンドTシャツ、そしてスケボーシューズ。野球のスタジアムとはおよそ似つかわしくない。
「KYONO(THE MAD CAPSULE MARKETS)はWAGDUG FUTURISTIC UNITYで出るんだろ?」
「オイオイ、あいつ(シャカゾンビの)オオスミじゃね?KGDR(キングギドラ)のTシャツ着てるし 笑」
すれ違った4人組が大柄な男を指して茶化していた。一般人はわからないマニアックなネタが共通言語のように飛び交う。同じ世代に生まれ、偶然にも同じような価値観を持った名前も知らない仲間たち。まるで同窓会に来たような懐かしさがそこにはあった。
オークションで手に入れた一枚二万円のプレミアムチケット。ポケットの中で軽く握りしめ、入場の列に向かった。
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AIRJAMの開催が発表されたのは震災から僅か1ヶ月後の4月。もはや関係は修復不能に思われたハイスタの3人が一緒に写った写真をTwitterに投稿した。
話題になるのは当然のこと。しかも、復活に用意されたステージは活動休止前の最後のライブとなった2000年と同じAIRJAM。チケットの事前予約には3万人分の席に対して20万件以上の申し込みが殺到したらしい。
当時はまだチケットの不正転売に関して法律が整備されておらず、システム的にも十分な対策が施されていなかった。(翌年からはすぐに不正転売を防止するための措置が取られることになる)
オークションにチケットが出回るのは自然な流れで、出品者の「行けなくなったのでお譲りします」という言葉を信じ、友人の分と合わせて2枚のチケットを購入した。
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開演間近になりステージの上に難波さんが登場する。
"俺はこのフェスが、ラウド・ロック/ラウド・ミュージックで日本最高峰のイベントだと思ってます。"
マジで「ウォー!!!」だった。興奮で腹の底から雄叫びを上げる。
ウグイス嬢のアナウンスに合わせてスタジアムの電光掲示板に当日のアクトが表示された。すると会場は再び歓喜の雄叫びを上げる。
スタジアムのマウンドに目をやれば、巨大なバンクか設置されていた。スケーターやBMXライダーとのコラボもAIRJAMの魅力の一つだ。
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トップバッターはHUSKING BEEのイッソンとNUMBER GIRLの田淵ひさ子の磯部正文BAND。過去にも出演経験があるメンツではLOW IQ 01 & MASTER LOW、WAGDUG FUTURISTIC UNITY、SCAFULL KING、BRAHMAN。
他には2000年以降に頭角を現してきた10-FEET、the HIATUS、マキシマム ザ ホルモン。
参加したバンドの中ではルーキー的位置にいたFACT、Pay money To My Pain。
ラウドロック以外からはKGDR、TURTLE ISLAND。
海外からもMurphy's Law、NOFXのファット・マイク弾きいるMe First and the Gimme Gimmesが参加した。
ラインナップが豪華過ぎて、休んでいる暇がない。それぞれのバンドが被災地へのエールとハイスタへの思いを込めて最高のパフォーマンスを見せてくれた。中でもBRAHMANのTOSHI-LOWさんのMCは印象深い。彼が話している間、スタジアムは静まり返り、観客全員が彼の一言一言を聞き入っていた。
「諦めなくて良かった。おれ、諦めねえよ。被災地に笑顔が戻ってくることも、放射能の街に家族の団らんが戻ってくることも、諦めねえ」
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ついにハイスタの出番。観客のボルテージは上がり、スタンド席ではウェーブが巻き起こる。司会のブライアンが名前を叫ぶとついに3人がステージ上に現れた。
MY HEART FEELS SO FREE
SUMMER OF LOVE
CLOSE TO ME
etc …
何度も聞いた名曲がスタジアムに鳴り響く。言うまでもなく、ハイスタのライブは最高だった。飢えに飢えて11年間に溜め込んだファンのパワーだって半端ない。スタジアムは確かに揺れていた。
名残り惜しくも、翌年の東北での開催に向けたメッセージを残し、AIRJAM2011は閉幕した。
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後から雑誌のインタビューやドキュメンタリー映画を見て、あのときハイスタがいかに無理を押して、ステージに上がっていたかを知った。まさに被災地のためだったのだろう。バンドとしては本来の体をなしていないままのステージだった。素人にはわからなかったが、納得のいくパフォーマンスとは程遠かったのもしれない。
状態でいえば、この後の2012や2016、特に2018は良かったと聞く。けれども1ファンとしてはあの日は特別で、今でもあの日を超えて興奮した日はない。アーティストのベストとファンのベストは必ずしも一致しないのだと思う。
I won't forget
オレは忘れない
when you said to me ”stay gold”
お前が「いつまも金ピカのままで」言ったこと
I won't forget
忘れないよ
always in my heart ”stay gold”
いつも心の中に
Hi-STANDARD「STAY GOLD」より
作詞:横山健・難波章浩
『あの日があったからがんばれる』みたいなことは人生で滅多にない。けれども、あの日は自分にとってそういう日だった。
"STAY GOLD(いつまでも金ピカのままで)"
僕のような平凡な男が扱えるような言葉ではない。だが、きっと死ぬまで忘れることない、無敵になるための言葉なのである。
おわり
日本茶と家業を継がなかった男の思い
今週のお題「好きなお茶」。
僕の実家は日本茶の小売業を営んでいた。家は店舗兼住宅。隣接して工場もあったけど、今は残っていない。会社をたたむときに更地にして一部を他人に売った。残りは駐車場として利用している。
店を閉めたのは一年ほど前になる。小さな会社でもたたむとなれば手続きや整理に時間がかかるらしい。全ての処理が終わり、会社が廃業したのはつい先日のことだ。
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創業者であるひいじいちゃんは僕が生まれると、4代目ができたと言ってすごく喜んだそうだ。その期待には応えられなくて、ゴメン。
これまで何人かの友人に「お前が継がないなら、代わりに俺が継いでやる」と言われた。冗談でも軽く言ってくれる。
日本茶の生産量や消費量は年々減っていて、いわゆる斜陽産業と言われている。売り方を工夫したり、海外に目を向けたり。そのなかでも頑張っている会社はいくつもあるが、僕が子どもの頃に近所にたくさんあったお茶屋さんは、今ではほとんど残っていない。
厳しい業界とわかっていて、敢えて自分の子どもに勧める気にはならなかったのだろう。両親から店を継いで欲しいと言われたことは一度もなかった。
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今さらセンチメンタルな気持ちになることはない。店を閉めるときでさえ、ほとんど感傷的にはならなかった。自分が思っている以上に自分は薄情な人間なんだろう。
けれども、少し前まで頼もしく思えていた両親が、歳を重ねるほど心細く思えて、寂しい気持ちよりも安心の気持ちの方が強かったのだ。
両親の頑張りにより会社は長いこと健闘をしてきたが、近年はギリギリ赤字になるかならないかぐらいの状況で資金繰りも大変そうだった。
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家業を継がなかったことに後悔はない。会社の将来性を憂慮する以外にも、生前の祖父と父親の関係を側で見ていて、仕事は親子で一緒にするものではないと思った。家族経営には良い面もあるが、厄介な面も持ち合わせていた。仕事とプライベートの境界線が薄いのだ。仕事でのいざこざがプライベートにそのまま直結する。一言も喋らず重苦しい空気の中で取る食事は特に苦手だった。
それでも、『もし自分が継いでいたら、今頃どうなっていたんだろうか?』と考えるときがある。今の仕事は嫌いじゃないが、大好きで情熱を注いでいると言えば嘘になる。就職するときにやりたい仕事があったわけではなく、だったら家業を継ぐことをもう少し真剣に悩んでも良かったんじゃないかと、今さらになって思うのだ。『自分に一番相応しい仕事とは何だったのか?』と。
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昨日のこと。息子が夕食の手伝いに急須でお茶を淹れる姿を見て、父親が嬉しそうな顔をしていた。息子と同世代のなかには急須で淹れたお茶を飲んだことがある子がどのくらいいるのだろうか。
なぜだろう?多くの人がコーヒーには高いお金を掛けたり、淹れる手間暇を惜しまないのに、日本茶にはそれをしない。ペットボトルのお茶があんなにたくさん売れるのなら、急須で淹れるお茶だってもう少し売れてくれても良いじゃないかと、理由も考えずに思ってしまう。
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今は店をやめるときに大量に冷凍しておいた茶葉を少しずつ切り崩しながら使っている。
日本茶が素晴らしいモノであると知りながら、日本茶にたくさんの恩恵を受けながら。
それでも真剣に継ぐことを考えなかった自分を今は少し恨めしく思う。
おわり