苗場の地(フジロック)が揺れている
音楽には人を救う力がある。
いい歳したおっさんが口にするには青臭くて恥ずかしいのだけど、僕は本気でそう思っている。
救いを求めるのは、なにも死ぬほど辛いときばかりではない。
心にちょっとした傷を負ってしまったとき。嫌なことがあってむしゃくしゃしたとき。理不尽な現実に嫌気がさしたとき。自分ではどうしようもならない壁にぶち当たったとき。
怒りや不満、不安といった負の感情を、時に音楽は昇華してくれる。多くの人が一度はそんな経験を過ごしているのではないだろうか。
とりわけフェスはそれを実現させるための重要な場所であり、決して失われることがあってはいけない場所だと思っている。
事実、震災で甚大なダメージを受けた日本を元気にするために開催されたフェスもあった。
だが今、そのフェスの存在が揺らいで見える。
✳︎
今日、予約していた子どもの陶芸体験が急遽中止になった。新型コロナウィルスの感染に配慮して決まったことだ。仕方がない。
もともとはプールやアクティビティーを備えた大型の屋外施設へ行く予定だった。当然だが、昨年から子供たちを満足に外で遊ばせることができずにいる。
今回は上の子の誕生日祝いを兼ねて、長く外で遊べる場所へ連れて行ってあげようと、ずいぶん前から計画していた。
しかし、1ヶ月ほど前から国内の感染状況はデルタ株の流行により急変。僕の住んでいる地域も最初はまん防が適用となり、間も無くして緊急事態宣言が発令された。やむを得ず計画は中止。代わりに見つけたささやかな予定が陶芸体験だった。
今思うことは「どこに行けばいいのだろう」だけである。家で過ごすべきだ、という意見も聞こえてきそうだが、リスクが低いと思える場所にはなるべく連れ出してあげたい。正しい、正しくないではなく、自分なりの答えだ。
そうは言っても心はモヤモヤしている。どこまでが許されて、どこから先が駄目なのか、状況に合わせて判断をする必要がある。しばらくこのモヤモヤからは解放されることがないのだろう。
けれども、僕のものなど比較にならないほどのモヤモヤが苗場の上空には漂っている。
✳︎
新潟県の苗場スキー場で8月20日から開催されている「フジロック」。日本を代表する歴史あるロックフェスだ。
実はフジロックにはまだ行ったことがないのだが、98年のミッシェルガンエレファントの伝説のステージを動画で見てから、死ぬ前には絶対に行くと心に決めている。
そのフジロックが、開催の真っ最中にも関わらず、開催の是非を問われている。まさかこんな風に世間から厳しい目線を向けられるなんて2年前には想像もできなかった。
きっと反対意見の方が多いだろう。今朝も反対意見を煽ること以外に目的がないような記事がヤフーニュースの見出しに上がっていた。明日以降、更に厳しい批判を受ける可能性もある。
ただ、それでも僕は反対をできない。理性ではなく、感情的に反対ができない。
批判されてもおかしくないし、エゴであることは認める。でも、フェスの楽しさを教えてくれたアーティストや関係者を悪者にはできないのだ。
アジカンのボーカル後藤正文さんが書いたnote。
読めば一人のアーティストの本音が見えてくる。
同時に葛藤や重圧もどんよりと心の奥底にはずっとある。仲間たちともいろいろな話をした。どうしたらいいのか。簡単にキャンセルだと言える勇気も、あとは知らないと逃げ出す無責任さも持ち合わせていない。もちろん、出演することだけが責任というわけでもない。
これまで慎重な姿勢を取ってきた後藤さんが、言葉を丁寧に選びながら綴っている印象を受ける。みんな迷いながら答えを出しているのだ。
一方で、この時期にフェスをやるということが、他の人の人生、生命そのものを危険に晒すかもしれないというのは、もっともなことだと思う。怒っている人がいるのも、その人の切実さや誠実さの表れだと感じる。そういうひとたちを否定するために文章を書いているわけではないということは、ちゃんと記しておきたい。
人にはそれぞれに守ろうとするものがある。立場が変われば、守るべきものは変わる。
開催を決行する人、開催を反対する人。それぞれが正論であり、どちらか一方だけを正しいと言い切ることはできない。
そして、今後もこうした正解なき問題に誰かが白黒をつけるのだとすれば、それはやはり政治家の務めなのだろう。政治に答えを託すことが良策かはわからないが、今のような状況において解決する力を持つのは政治家でしかないのだ。
サイゼリヤの社長が「怒るより選挙に行こう」と発言していた記事を読んだ。今の政治に問題があるとすれば、それは選挙を放棄している国民にも責任がある。だから、選挙には行くべきだと。
✳︎
とにかく今はフジロックでクラスターが発生していないことを祈る。それぐらいしかできない。
音楽には人を救う力がある。それを叶えるための場所が悪者にされてしまうのはあまりに悲しすぎる。
たとえ身勝手な願いだとしても、それしか僕にはできないのだ。
おわり