龍灰名曲十選
好きになる瞬間は突然やってくる。何かを好きになるのに理由はいらないし、いつどこで何を好きになるかなんて誰にもわからない。人は外見なり、音なり、手触りなり、味なり、匂いなり、五感から何かを好きになる。
お気に入りの曲もラジオや店で偶然聴いたのがきっかけで好きになることが多い。僕にとって自分好みの音楽に出会ったときの喜びは何ものにも代え難く、とりわけ十代の頃は好きなバンドを見つけるたびに大きな興奮を覚えた。
大学生の頃、仲間内で麻雀が流行っていた時期がある。授業をサボって昼間に雀荘で打つこともあれば、バイト上がりに友人宅で夜中から明け方まで打つこともあった。いわゆる徹萬(テツマン)と呼ばれるやつだ。
その頃は夜型の生活を送っていたので、午前2時ぐらいでは眠くならない。3時を回る頃になると少し眠くなってきて、会話が徐々に減り始める。牌(パイ)の音しかしない部屋というのもあまり居心地が良くない。必ず音楽を流すようにしていた。
家主の趣味でB'zやGLAYの曲が多かった気がする。おかげで今も『いつかのメリークリスマス』や『春を愛する人』を聞くと、当時のことを思い出す。
ある日、一人の友人が「このバンドはかっこいいから聴いてみろよ」と得意げにカセットテープを掛けてみせた。
流れてくる音楽はポップスではないが、純粋なロックとも違う。ラップ調の曲があるかと思えば、パンク調の曲もあった。
ミクスチャー・ロックを聴いたのはそのときが初めて。聴いてもすぐにはピンとこなかったが、最後のボーナストラックまで聴いたところでようやく僕の琴線に触れた。
カセットテープに収められた音源の正体はDragon Ash(ドラゴンアッシュ)の「Buzz Songs」。次の日から速攻聴きまくって、いつの間にか長い年月が過ぎていた。
以下、はてなブログ10周年特別お題「好きなDragon Ashの名曲10選」。
①「天使のロック」
ファーストミニアルバム「The Day dragged on」からバンド初期の粗削りな感じが残るロックな曲。
②「Iceman」
"朝焼けが窓に映ったとき 晴れた空に光る銀のピアス"。ピアスデビューを果たしたばかりの田舎の者は歌詞にもシビれた!上述のボーナストラック。
③「陽はまたのぼりくりかえす」
アフロヘアーでギターを弾く10代の頃の降谷少年。深夜番組で初めて見る姿に男前過ぎてホレた。
④「Under Age's Song」
タバコとコーヒーをのみながら、朝にこの曲をよく聴いた。個人的に一番好きな曲。
⑤「Let yourself go,Let myself go」
金髪にサングラス、黒のハットと黒のダウン。白いフォードのマスタングに乗って唄う姿は鮮烈だった。
この頃には若者なら誰もが知るモンスターバンドになっていた。さらに2枚同時に発売した「I LOVE HIP HOP」と「Grateful Days」で人気は不動のものになる。(数年後、違った意味で話題になるとは思わなかったが)
⑥「Viva La Revolution」
人気絶頂の中、名盤となったアルバムのタイトル曲であり、アンセム。
⑦「百合の咲く場所で」
4枚目のアルバム「LILY OF DA VALLEY」の中でもインパクトが強かった曲。"時の流れは激しくて 涙こぼれてしまいそうで 外は月明かりが切なすぎて ここで歌っている"。急激にテンポの速くなるサビがカッコいい。
⑧「Fantasista」
熱狂した2002年開催日韓ワールドカップのテーマソング。音楽界のファンタジスタ登場。
⑨「ROCKBAND」
長いバンド人生を経てロックバンドのカッコ良さを歌い上げた曲。
⑩「Walk with Dream」
バンドの初期メンバーだったベーシストのIKÜZÖNEさんが急逝。IKÜZÖNEさんのラストレコーディングとなった曲。
他にも紹介したい曲はたくさんあるが、お題に合わせてやむなく10曲に絞り込んだ。
当時ギリギリ10代だった自分もKjも、今はもう40代。あっという間にスターダムにのし上がった後の道のりは決して順風満帆なものとは言えなかっただろう。それでも20年以上バンドを解散せず、曲をリリースし続けてくれることは昔からのファンにとって嬉しいことだ。
最近は若い頃のように新しい曲を聴いても敏感に反応しなくなった。それでも、ふとした瞬間に好きな音楽と出会えることをこれからも期待し続けていきたい。
おわり
誉田哲也の『武士道シックスティーン』をまた読みたくなって
「剣道三倍段」という言葉を知っていますか。僕はずいぶん昔に上司から「無手の空手家や柔道家が武器を使う剣道家と互角の戦いを挑むには三倍の段位が必要なんだよ」と教えられました。当時、社内で定年退職する方がいて、その息子さんが警察官、しかも剣道の有段者であるという会話の中から飛び出した言葉だったと思います。
「剣道三倍段」の意味を改めて調べてみると、「武器術において、槍や薙刀を相手にするためには剣の技量が三倍(三倍の段に相当する実力)必要になる」が本来の意味だそうです。どうやら昭和の人気空手漫画「空手バカ一代」の作中にて、剣道初段と空手三段が互角だという意味で使われたことから、本来の意味とは異なる解釈が広まったようです。危うく僕も皆さんに間違った情報を伝えてしまうところでした(間違いというわけでもないんでしょうが)。
話は変わりまして、過去または現在、あなたにはライバルと呼べる存在がいますか。趣味でも仕事でも恋愛でも何でも構わないんですが、自分とはタイプが異なるライバルほど強く意識してしまうものではないでしょうか。自分にはない能力や長所を多く持っている相手ほど、その魅力を妬ましく思ってしまうことがあります。
なぜ突然こんな話をし始めたかというと、きっかけは先日読んだこのニュースです。
学生時代は剣道のスーパーエリートだった星子選手。昨秋、警察官の採用試験に落ちてしまい、大きな挫折を味わいます。しかし、そこから一念発起し、今年に開かれた全日本選手権では現役の警察官勢を退け、剣道日本一の栄冠に輝いたのでした。
大人になった僕は剣道ができる人に「カッコイイ」といった憧れの感情を抱きます。面を外してピシッと正座している姿なんかを見ると、ますます「シブイなぁ」と思ってしまいます。ですが、そもそも剣道とはまったく無縁で、子どもの頃は剣道をやっている友人に「防具がクセェ」など言って馬鹿にもしていました。それが、ある一冊の本との出会いから剣道の見方が変わったんです。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は本を紹介したいのです。本のタイトルは「武士道シックスティーン」。
武士道シックスティーン
最近の作品でもないので知っている方は多いかもしれません。本をあまり読まない僕なので、その辺は大目に見てもらえれば幸いです。
作者は誉田哲也さん。竹内結子さん主演ドラマ「ストロベリーナイト」から誉田作品に興味を持ち始め、気付くと「国境事変」や「月光」などの小説を読み漁っていました。流れで手に取った一冊が「武士道シックスティーン」です。
ドロドロした事件の多い推理小説から一転して、爽やかな青春小説だったのですが、さすが誉田先生です。読み易いし、面白い。すぐ好きになりました。
「武士道シックスティーン」はシリーズもので、のちに「武士道セブンティーン」、「武士道エイティーン」、さらには「武士道ジェネレーション」へと続いていきます。
実は紹介しておいて何ですが、僕はまだ「武士道セブンティーン」までしか読んでいません。小説を定期的に読んでいた頃はなるべく安く済ませるために古本を購入していたのですが、どうしても「武士道エイティーン」の古本を見つけ出せず、そのまま読むのを断念してしまいました。
今となっては「武士道セブンティーン」までの細かな部分を覚えていないため、ケチらずに新品を購入しておけば良かったと後悔しています。
あらすじと感想
文藝春秋のオフィシャルサイトよりあらすじを引用させていただきます。何せ読んだのが10年近い前でして、楽してスイマセン。
日本舞踊をやめ、中学から剣道を始めた西荻早苗。重心を下にした柔らかい動きでみるみる成長するが、楽しさを求め「勝敗」については固執しない性格。一方、三歳から剣道を始め、パワー、スピード、勝負勘のすべてに秀で、勝敗がすべての剣道エリートでしかも武蔵オタク(愛読書は『五輪書』と『武士道』)の磯山香織。深い意味はなく出た中学最後の区民大会個人戦で、香織はなぜか早苗に負けてしまう。そんな二人が高校で一緒になった。
敗れた悔しさを片時も忘れたことのない香織だったが、早苗がそのときの相手だとは気付かない。というのも、早苗の苗字が両親の離婚によって「甲本」から「西荻」に変わっていたため、胴着の垂れ幕の名前が違っていたのだ。部活で香織は先輩を次々と撃破。早苗は香織の無類の強さに驚き、香織は早苗の構えをみて自分を破った相手だと気付く。それ以降、香織は早苗は目の仇にして練習。香織の猛攻と練習態度に辟易した早苗は部活を辞めることを考える。関東大会団体戦を前に香織は早苗の剣道を「チャンバラダンス」と揶揄。口論になった二人だったが、その最中に香織が捻挫。片腕でも試合に出場したのだが……。
全く価値観の違う二人が、剣道を通し深く繋がっていく。
『武士道シックスティーン』:誉田哲也 | 特設サイトより
まとめをすると、上述の最後の一文に尽きます。
性格も、性質も違う。十代の多感な女子二人が反発と共感を繰り返しながら、剣道を通して絆を深めていく物語です。剣道と女子高生という意外に思える組み合わせも、清廉で凛とした剣道のイメージが穢れを知らない女性の美しさと絶妙にマッチしています。
先の東京オリンピックで水泳の萩野公介選手が、涙ながらに「瀬戸大也選手と一緒にまた泳げるなんて、神様がくれた贈り物としか思えない」と応えていたインタビューが印象的でした。
良きライバルとして互いに切磋琢磨し続けた二人の関係は、どこにでもある平凡な友情より熱い絆で結ばれているのかもしれませんね。
✳︎
そう言えば、「武士道シックスティーン」は映画化もされていました。二人を演じたのは鳴海璃子さんと北乃きいさんです。
映画の前には漫画化もされていたようです。
だいぶ遠回しな紹介になってしまいましたが、「武士道シックスティーン」に興味を持っていただけましたでしょうか。僕も自分で書きながら続きをまた読みたくなってきました。
時には爽やかな青春小説に触れて、若かった頃の過去の自分に思いを馳せてみるのも有意義ではないでしょうか。「武士道シックスティーン」。今さらながらおススメです。
おわり
「青春の輝き」でプロポーズを叫べたら
今週のお題「叫びたい!」。
叫ぶと言えば、先日放送していたV6のバラエティ番組「学校へ行こう!2021」の「未成年の主張」を思い出す。
青春の輝き
「学校へ行こう!」は1997年から2008年にかけて放送されていた番組で、V6の解散を前に一夜限りの復活。若いときにハマっていたのが懐かしく、久しぶりに見たくなった。
「未成年の主張」は学生が校舎の屋上から校庭にいる仲間に向かって思いの丈を叫ぶ企画だ。感性豊かな主張は聞いていて面白いし、未成年らしい未熟さが何とも可愛らしい。中には好きな生徒に愛を告白する学生もいて、見ているこちらまでつい恥ずかしくなってしまう。若気の至りなのか、青春の力は恐ろしい。
もちろん恋はいつも成就するとは限らない。「ゴメンなさい」とフラれてしまうときもある。最後はカーペンターズの名曲「青春の輝き」をバックにV6のメンバーが告白した生徒に駆け寄り、励ましてあげるのがお決まりのパターンだった。
ヘタレな僕はフラれて終わることよりも、告白できずに終わったことの方が多かった気がする。人はやって失敗する後悔よりも、やらずに終わる後悔の方が大きく感じるものだ。テレビカメラの前で告白できるぐらいの強いハートが僕も欲しかった。終わった恋を今さら未練がましく言うつもりはないが、ちゃんと伝えれば良かったと今でも後悔していることが一つだけある。
懺悔の念
実は僕は妻にプロポーズをしていない。結婚を決めるとき、付き合っている期間は十分なほど長く、言葉には出さなくても妻が僕に結婚の意思を確かめたく思っていることはわかっていた。わかっていながらごまかし続けたことで、妻を焦らせてしまったのだろう。
僕が結婚の意思を固めるより先に、痺れを切らした妻から最後通告を突き付けられてしまった。
当時どんな言葉を交わしたかは覚えていないが、「どうするの?結婚するの?」と問い詰められ、「そうだよね。お願いします。」みたいなニュアンスで情けない答えを返した記憶がある。だから、豪華な花束や指輪が用意されているはずもなく、サプライズのかけらもない。
女性からしたら最低な男だろう。一生の思い出に残る大事なシーンを台無しにしてしまった。素直に罪を認めるしかない。本当にごめんなさい。
僕としては妻と結婚したくなかったわけじゃないし、結婚に特別な不安があったわけでもない。ただ、いよいよ覚悟を決めようとしたときにギリギリまで独身でいたい気持ちが湧いてきて、どうしてもプロポーズに踏み切れずにいた。そのタイミングで妻から先に切り出されてしまったのである。
最近はさすがに言われなくなったが、結婚してからしばらくはプロポーズがなかったことをずいぶん責められた。今でもドラマでプロポーズのシーンが流れるたび、また責められるんじゃないかとその場から逃げたくなる。いつか子どもたちから「どんな風にプロポーズしたの?」無邪気に質問されるんじゃないかとビクビクしている。これからも肩身は狭いが仕方がない。悪いのは僕だから。
「ちゃんとプロポーズできなくてごめん。結婚してくれてありがとう」
校舎の屋上から愛を叫んだ学生たちのように、僕もこう叫んだら、許してくれるだろうか。今さらそんなこと言って欲しくはないかもしれないし、そもそも"許してもらえる"とかいう発想がダメなんだろう。
もちろん、みっともなくてそんなことはできないが、もし言えるときが来るとしたら、たぶん死ぬ間際ぐらいだ。だから、僕は言い訳がましく、今ここに懺悔の念を書いている。
昨日はこの記事を途中まで書き上げてから、仕事帰りに妻の好きなタルトのケーキを買った。せめてもの謝罪と感謝の気持ちを込めて。
たぶん、これで良いのだ。叫ぶのはブログの中だけにして、言葉に出して伝えられない分は態度に示していこう。
でも、もし今、結婚を考えている人がいたら、ちゃんとプロポーズすることを勧めておく。一生の思い出に残る大事な告白なのだから。
おわり
秋の日本平と徳川家康が眠る久能山東照宮
今回は投稿が遅くなっていたはてなスマホ写真部の活動記事です。テーマは「秋を感じられる あるある写真」ということで、近場の秋を探してきました。
撮影に行った場所は「日本平」。標高300m程度の有度山を中心とした丘陵地で、富士山や伊豆半島が一望できる、地元では有名な景勝地です。
歴史は古く、その名は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が東征の際、賊から草に火を放たれたところを、剣で草を薙払い難を逃れた後、有度山の頂上に登り四方を眺めたという、伝説に由来します。
日本武尊と言えば、子供の頃に必死に集めていた「ビックリマン」のキャラクター・ヤマト王子のモデルにもなった人物。尊が使っていたとされる「三種の神器」の一つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)もまた、子供の頃にハマっていたRPGゲーム・ファイナルファンタジーで登場する剣です。同世代の読者の中にはピンと来る方もいるのではないでしょうか。
山頂に建つ日本平ホテルでは、かつて庭に立派な鯉の池があり、木村拓哉さん主演ドラマ「華麗なる一族」のワンシーンにも使われていました。(近年リニューアルにより、現在は残っておりません)
話は少し逸れましたが、日本平の山頂には展望施設やロープウェイがあり、麓には動物園もあります。せっかくなので写真と一緒に軽く紹介していきたいと思います。
日本平夢テラス
2018年に建てられたばかりの「日本平夢テラス」。長い回廊から景色を展望することができます。
興味のある方はこちらからライブ映像を見ることができます。
久能山東照宮
日本平山頂からは徳川家康が埋葬されている久能山東照宮へとロープウェイがつながっています。
静岡にはミニ四駆で有名なタミヤをはじめ「機動戦士ガンダム」のバンダイなど、プラモデルを生産している会社が多いことから「プラモデルの聖地」とも呼ばれています。
ご当地コーラを発見です。
家康の墓所である神廟です。
神廟の側にある大杉は「金のなる木」と呼ばれています。
日本平動物園
レッサーパンダが有名で、一時期話題になった「風太」の生まれた動物園です。
ホッキョクグマも有名です。
わかりにくいので、過去に撮った写真も。
こっちはアザラシですね。
秋を感じられる あるある写真
で、肝心の「秋を感じられる あるある写真」なんですが、実は写真に収めることができませんでした(泣)ユゥヨ部長、ゴメンなさい。
紅葉には少し早く、秋の風物詩なるものを探したのですが見つからず、単なる秋に撮影した写真になってしまいました(汗)いったい僕は何をやっているのか、本当に不甲斐ないっ。
最後がこんなオチで申し訳ないですが、次回はちゃんとがんばります!
おわり
メランコリックな独り言
意味深なことを書いて、いたずらに他人の同情を引くべきじゃないし、優しい人の心に付け込んで、余計な心配をさせるのは間違った行為だと思う。他人の愚痴を好き好んで聞きたい人なんているわけないし、詳しい事情もわからないのに辛いとだけ言われても聞かされる方は困ってしまう。ブログの向こう側で勝手にメランコリックになられることほど迷惑なものもないだろう。
仕事とプライベートの両方で突然しんどいことが立て続けに起きた。頭の中がワーッとなって、冷静な判断ができない。朝のうちは少しマシなんたけど、疲れてくると心が弱ってくる。思考がすぐにマイナスへと陥ってしまいがちだ。
いやはや参った…。迷惑だとわかっていて、弱音をここに吐きたくなる。口に出せない分、書いて気を紛らわしたいだけかもしれない。今朝は6時を過ぎても起き上がれず、布団の中でゴソゴソ文字を打っていた。
立ち直りは早い方だから週末までにはたぶん元気になっていると思う。でも、今日はまだ楽しいことが書けない。だったら書くのをやめればいいだけなのに、どうしようもないことをつい滔々と書いてしまった。これは悪い癖にならないよう気を付けないとだ。
まぁ、たまにはこんなときがあってもいいだろう。ぶっちゃけ、少し元気も出てきた。さて、今日も行ってきます。
おわり
はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」の巻
はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」。自己紹介はハッキリ言って苦手ですが、せっかくなんでチャレンジしてみようかと思います。質問は10個もあるんでサクサク行きましょう。
- ①ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?
- ②はてなブログを始めたきっかけは?
- ③自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?
- ④ブログを書きたくなるのはどんなとき?
- ⑤下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?
- ⑥自分の記事を読み返すことはある?
- ⑦好きなはてなブロガーは?
- ⑧はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?
- ⑨10年前は何してた?
- ⑩この10年を一言でまとめると?
- 最後に
①ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?
ブログ名『はじまりここから』の由来について書くのは初めてじゃないんですけど、WANIMAの『Are you Coming?』の1曲目に収録されている『ここから』の歌詞が元になっています。
下(↓)にある歌詞の部分ですね。
はじまる ここから 旅立ちにいらない 不安なら
まだまだ これから 笑い飛ばせない日がきたら
ダサいのは今だけだから作詞:松本健太
何を始めるにも失敗を恐れてばかりで思い切りの悪い自分に"ダサいのは最初だけなんだ"と言い聞かせる意味を込めてタイトルに付けました。
②はてなブログを始めたきっかけは?
ぶっちゃけ小遣い稼ぎができると思って始めてみましたが、全然できなくても続けています。むしろ、Proを選んでお金を払っているぐらいで、はてなに上手くやられてしまいました(笑)。今になって思うのは、名前も顔も知らない誰かに自分の考えや気持ちを聞いてもらいたかったのかもしれません。だから、コメントをもらえると嬉しいんです。
③自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?
お気に入りの記事は特にないですが、強いて挙げるとすると、他の記事とは異質という意味でこの記事ですかね。
hajimarikokokara.hatenadiary.com
内容が良かったのか?タイトルが良かったのか?運が良かっただけなのか?理由はわかりませんが、僕の記事の中では瞬間的に一番多く読まれた記事です。どのあたりが良かったのか、誰かに教えてもらいたいです。
④ブログを書きたくなるのはどんなとき?
「これってどうよ!?」みないことを思ったときです。みんなに問題提起したくなるような話題をブログに書くことが多いです。
⑤下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?
お恥ずかしながら0(ゼロ)です。僕のブログはいつもネタ貯金ゼロの自転車操業です。
⑥自分の記事を読み返すことはある?
ほぼないですね。ごく稀に古い記事にコメントをもらうときぐらいです。書き終えると満足してしまうというか、疲れて切ってしまって、読み返す気力が湧きません。
⑦好きなはてなブロガーは?
敢えてです。敢えて普段から仲良くさせてもらっていない方を選びました。『シン・春夏冬広場~楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ~』を書いている月ノ下扉 (id:bluebunny666) さんです。
たぶん、コメントをしたことはなかったと思います。最近は読んでもスターすら付けていませんでした。ゴメンなさい。でも、そのワケは月ノ下扉さんの才能にビビってしまっているからなんです。
このあたりの記事を読んだぐらいから、『文章の才能がある人はこういう人なんだろうな』と思うようになりました。スキルというよりはセンスをビリビリ感じます。もちろんご本人から聞いたわけじゃないですが、喋るのと同じぐらいの速さで文章が書けるんじゃないでしょうか。もしかしたら、息を吐くぐらいの感覚で、思ったことを文字にできるのかもしれません。遅筆の僕からは想像ができない世界です。
『スゲェ、スゲェ』と思っていたら、やっぱり注目の記事にも何度か選ばれていました。僕の見立ても満更でもないようです。
でも、そうなると、僕の中ではもはや一流ブロガーたちと同じ扱いなので、絡みにいくのがなんとなく怖くなってしまいました。こっちに気付かれたら嬉しいけど、恥ずかしいみたいな…。最近の記事によれば、絵も描けちゃうみたいだし、どんだけブログの才能あるんですか!
今回カミングアウトできて良かったです。月ノ下扉さん、勝手に名前を出して失礼しました。
⑧はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?
アプリの機能をもっと充実させてください。パソコンがなくても、スマホだけで同じクォリティの記事が書けたら嬉しいです。
⑨10年前は何してた?
仕事では重要な取り引き先が東日本大震災で大きな被害を受けてしまい、復興に向けて奔走していた時期でした。プライベートでは不妊治療にチャレンジしていた頃でもあります。その年末にようやくその努力が実を結んでくれました。
⑩この10年を一言でまとめると?
一言でまとめるなら、30代にしてようやく大人の階段を登った10年でした。それなりに苦労も多く経験して、身も心も自他共に認めるおじさんになった気がします。
最後に
これからの10年はこのブログと共に過ごせていけたら嬉しいですね。そういうわけで、みなさん、どうかこれからもよろしくお願いします。
おわり
挨拶ができないクソヤロー!
週末はだいたい近所の山にジョギングへと出かける。山を走ると聞いてスゲェと思われる人もいるかもしれないが、畑に続く舗装された農道を走るだけで、ご近所の年寄りの間では定番のハイキングコースになっている。勾配がきつい坂は歩かない程度にゆっくり走り、朝日を浴びながら1時間ほど汗を流す。稀に鹿や蛇が出てきてビビることもあるが、僕にとってはお気に入りのルートだ。
一人の青年
山の入り口から10分ぐらい走れば、街並みを見下ろせるぐらいの高さには到達する。先日もいつものように走っていると、少し小高くなったカーブの先に人影が見えた。つばのある帽子に、小さめのリュックを背負った青年が一人。道路脇で地べたにあぐらをかき、眼下に広がる景色を眺めていた。おそらく成人しているが、年齢よりも幼い少年のように見える。知的障害者という呼び方が適切かはわからないが、雰囲気から彼がいわゆる健常者でないことはすぐに気付いた。
彼は朝早くにそこで何を思っていたのだろう。遠くを眺める姿が妙に周りの自然に馴染んでいて、彼からは優しく、穏やかな印象を受けた。きっと純朴な男に違いない。そう感じて目線を逸らした。
できない挨拶
ちゃんと挨拶をしましょう。僕等は物心がつく頃から挨拶の仕方について教わってきた。最初は親に教わり、学校に行って先生に教わる。社会に出るときも同じように教わり、40歳を過ぎてもなお、挨拶の大切さを学びなおすことがある。
挨拶は他人とのコミュニケーションにおいて基本中の基本であり、社会生活を送る上でとりわけ重要なものである。だが、裏を返せばちゃんと挨拶ができる大人は意外にも少ない。親しい人や利害関係にある人に対してはちゃんと挨拶ができるのに、苦手な人や見ず知らずの人に対してはなかなか挨拶ができない。
僕も同じだ。人見知りではないとは言え、誰にでも気軽に挨拶ができるほど社交的な人間ではない。しかし、山で走るときだけは少し違っていて、たとえ見ず知らずの人であってもちゃんと挨拶を交わしている。すれ違う人の中に自ら声を掛けてくれる人が多いせいなのか、それとも山にいる環境がそうさせるのか、自分でも明確な理由はわからないが、なぜか恥ずかしげもなく挨拶ができるのである。
それなのに、先程の彼を見たときに僕は挨拶を躊躇してしまった。
最低な男
ほんの一瞬、こんな風に考えたんだと思う。
僕が挨拶をしても、彼はちゃんと挨拶を返してくれるだろうか。
知らない大人から突然声を掛けられたら、ビックリしてしまわないだろうか。
声を掛けた後、面倒な絡まれ方をしないだろうか。
障害を持っているだけで人を偏見で見てはならない。わかっている。いや、わかっているつもりだった。でも、実際に僕はわかっていなかった。情けないけど、僕が彼を偏見の目で見たことは紛れもない事実。そんな最低な思考を巡らせている僕より先にアクションを起こしたのは彼の方だった。
彼は僕の存在に気付くと、スッと立ち上がり、僕の方を向いて「おはようございます」とお辞儀をした。不意をつかれ、慌てて彼に「おはようございます」と返す。
でも、立て続けに「ご苦労様です。お気をつけて」と声を掛けられ、僕は言葉を返すことができない。笑顔を作り、無言でその場を通り過ぎるしかなかった。
恐らく、彼が他人とコミュニケーションを取りやすいように、ご両親やまわりにいる人たちが彼に正しい挨拶の仕方を丁寧に教えてくれたのだろう。彼もまたその想いに応えて、忠実にそれを守っている。
僕は自分よりもずっと立派な挨拶ができる彼を下に見ようとしていた。駄目だとわかっていても、彼のような人たちを見て反射的に同情しようとする自分がいた。
本当に賢いのは誰
彼のすぐ後に子連れの親子と老人の2組にすれ違った。僕はいつものように挨拶をして、素っ気ない「おはようございます」が返ってくる。青年の気持ちの良い挨拶とはずいぶん違っていた。
僕は彼よりも多くのことを学んでいる。彼より知識があるだろうし、難しい計算もできる。
でも、人して賢いのはどちらなのだろう。打算的に人を選んで挨拶をしようとする僕と、誰にでも分け隔てなく挨拶ができる彼。人してあるべき姿はどちらなのだろうか。
わかったのは、僕が最低のクソヤローだったということだ。これからはすれ違う人全員に自分から挨拶をしようと思う。間違った偏見を持たず、誰にでも分け隔てなく。僕は青年から挨拶の大切さについて教わった。
正月に山で撮った初日の出の写真。子どもにも彼のようにちゃんと挨拶ができるようになってもらいたい。
おわり