はじまりここから

下手の横好きではじめたエッセイ風のブログです。平凡な日々の中で感じたことを少しだけエモく綴っています。ジャンルはニュースや音楽など。

ワクチン接種の副反応と差別問題について

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2回目のワクチン接種を済ませてきました。1回目の接種のときも投稿したのですが、あれからもう4週間。時間が過ぎるのは早いものです。

hajimarikokokara.hatenadiary.com

ワクチン接種ではたびたび副反応が話題になりますよね。僕の職場でも1回目のときから「どうだった?ねぇ、どうだった?」という具合にまあまあザワザワしていました。

副反応は若い人ほど出やすいとの話です。ご多分にもれず、若い社員ほど痛みが酷かったり、発熱があったようでした。

そうなると中には逆手に取ったつもりなのか、強く反応が出たことを自慢げに話すご年配もおりまして、「いや、だからと言って『若いですね』みたいにはならないッスよ」と心の中でツッこんでいる今日この頃です。

僕の場合、1回目のときには目立った症状がなかったものの、2回目のときの方が副反応は強く出やすいと聞いていた通り、痛みと倦怠感、そして悪寒がキツかったです。正確には今もキツいです。

昨夜はクーラーのかかっていない部屋でひとり布団にくるまってほぼ眠れない夜を久しぶりに過ごしました。夜中に起きたときはまだ発熱がありませんでしたが、先程起きてもう一度測ってみたらキッチリ38度ありました。゚(゚´Д`゚)゚。

果たして会社に行けるのか謎ですが、用事が入っているので、解熱剤を飲んで「なんとなかなる!」と自分に言い聞かせているところです。

病は気から

さて、この副反応に関しては興味深い記事を読みました。ワクチンが入っていない偽の薬を注射しても、40%の人が同じように倦怠感を訴え、20〜30%の人が頭痛を訴えたという事例があるようです。

"病は気から"と言いますが、それに近いようなことですかね?例えば、ワクチンを打つと必ず頭が痛くなると思い込んでいれば、実際はワクチンによる副作用は起きていないのに痛みを感じちゃうみたいな。もしくは偶然にも接種日に頭痛が起きただけなのにそれをワクチンのせいだと思い込んでしまうとか。

僕の身近にも似たようなことは起きていました。3ヶ月ぐらい前ですが、社内に濃厚接触者が出たんですね。日曜に遊んだ友人がコロナにかかっていたらしく、その友達とは車で一緒に行動していたようです。

火曜の仕事を終えた後に保健所から電話があり、発覚しました。早朝に出社した時には発熱はなかったとのことですが、本人が慌てて熱を測ると38度を超えていたそうです。

その時点ではまだ陽性かどうかはハッキリしておらず、翌日に受けるPCR検査の結果を待つことになったのですが、発熱がある時点で会社としては限りなく黒に近いグレーだと疑っていました。

しかし、翌日に本人から連絡を受けてビックリ。まさかの陰性でした。その時には熱も下がっていたようです。

もちろん陰性に越したことはないんですが、おそらくは思い込みによる発熱だったんでしょう。その後に周りの人間からコロナの症状がまったく確認されなかったことからも検査結果は適正だったはずです。

そんなこともあり、学生時代に友人の彼女が想像妊娠をした話を聞いたことを思い出しました。気持ちが強いと体に影響を与えることはあるんですよね。

2回目を打った後の僕の症状は副反応で間違いないはずですが、必要以上に怖がると余計に副反応が強く出やすく(あるいは感じやすく)なるようです。熱を出している僕が言うのもなんですが、打つ前から心配し過ぎないよう心がけた方が良いかと思いました。

接種者への優遇に対する差別という指摘

もう一つだけ気になっている話をします。ワクチン接種者を優遇することが「差別」に当たるかどうかという問題についてです。

接種者を少しでも多く増やすため、接種者のみに特典を与えるような施策が政府や企業の間で検討されています。こういう施策に対しては必ず「差別」と指摘してくる人がいるようです。身近に言っている人がいるわけじゃないですが、言いそうな人がいることはなんとなく想像つきますよね。

僕個人としては『それぐらい良いんじゃないの』と考えます。誤解のないように断っておくと、既に自分が打ち終えたから言っているわけじゃありません。

ワクチンを打たない人は打つことに対して、『こわい』とか『行くのが面倒』とか、なんらかのデメリットを感じているわけで、そのデメリットを受け入れた人には、反対にどこかでメリットを受けた方がバランスが取れる気がするんです。

もちろん打ちたくても打てない人はいますが、それを言い出すとキリがないです。マスクだって厳密には着けられない人もいますが、マスクを着用しないと入店できないとかはもはや当たり前に掲げられています。

こんなことを書くと冷淡な人間に思われるかもしれませんが、ウィルス対策ソフトがインストールされたパソコンとインストールされていないパソコンの場合、同じネットワークに入れたいのはウィルス対策ソフトがインストールされたパソコンですよね。

ウィルス対策ソフトも完璧ではありません。それでも、インストールされていないパソコンより安全性が高いことは確実に言えます。

ウィルス対策ソフトをワクチン、ネットワークをイベントや乗り物に置き換えると同じことが言えるのではないでしょうか。

ワクチンパスポートだって既に存在するわけですから、打ったことへの特典は認めていくべきだと思います。

ワクチンを打つ、打たないに関しては個人の自由です。しかし、打たない人の中に接種者への特典を妬む人がいたら「気持ちはわからなくもないけど、ちょっとそこは我慢してね」と接種者が堂々と言えた方が良いです。

接種2回目で想定外の副反応をくらった男の独り言でした。

 

おわり

 

飲みに行きたくても飲みに行けない夜は

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暑い日が続きますが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

僕はさわやかにブルーベリー狩りなんぞに行ってきましたよ。いちご狩りやぶどう狩りにはよく行きますが、「ブルーベリー狩り」って珍しくないですか。

僕と息子はなるべく甘いのが好きだったり、妻と娘はちょっと酸味がきいているぐらいが好きだったり。甘さの好みが人それぞれ違うのは面白かったですね。40分の食べ放題。今までの人生で一番多くブルーベリーを食べた一日となりました。

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色の違いがわかりますか?完熟した黒いのが甘い方です

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と、まぁ、そんなことは書きつつ、やっぱり暑いときにはビアガーデンかクーラーの効いた居酒屋で生中をグイっと飲みほしたいのが本音です。サラリーマンたるものお酒を楽しむ気持ちを忘れてはいけません。なんのために炎天下に毎日ジョギングしているかって話です。

しかし、コロナ禍にあって、なかなかそれも叶いません。家で寂しく晩酌を送る日々。そろそろ仲間と一緒に楽しく酒を飲み交わしたいと思っている人は少なくないんじゃないでしょうか。

 

・・・ (・∀・)

 

「ん、ちょっと待てよ」

あることを閃きました。

「だったら書けばいいじゃん」

こんな僕でも一応ブロガーのはしくれ。

ここは飲みに行ったつもりで記事を書いてみようじゃないですか!

ちょっとぐらいは気休めになるはずです。

✳︎

そんなわけで今日は連休最終日だし、ちょっと遊んでみたいと思いました。

"自分でお題を出して、勝手に自分で書く"という荒技をやってみせます。

「普通に書くのとなんら変わらないじゃないか」と言うツッコミは無視してどんどん進めますよ。

決めたお題は「エア飲み」(ジャーン)

あたかも飲んでいるような文章を書きたいと思います。もしかすると過去に似たようなお題がはてなブログの公式から出ていたもしれませんが、そんなことは知ったこっちゃありません。だって僕は読んだことがないですから。僕が読みたいまのを書くだけです。

それではいいかげん前置きが長くなりましたので、始めてみますね。

勝手にひとりお題「エア飲み」

黒い鉄板を挟み、向かい合わせで座った。オーダーを済ませて、さっそく鉄板のスイッチを入れる。エアコンはついても、鉄板の熱で顔の周りが熱い。おしぼりで汗を軽く拭う。乾杯のビールで喉をほんのり湿らせた。

運ばれてきたどんぶりを受け取り、鉄板の脇に置く。熱くなった鉄板の上に薄く油を引き、どんぶりに刺さっていた小ベラはそれぞれの皿に分けた。

まずはちょこんと盛られた切りイカを鉄板の上に落とす。ヘラの先っちょで絡まった切りイカを軽くほどいた後にどんぶりの中の具材を鉄板の上に勢いよく落とした。

ジュワー。鉄板の熱で具材に付いていた汁が音を立てて蒸発する。怯まず、すぐに具材をヘラで炒め、長めのキャベツは食べやすいサイズに刻んでいく。

さて、ここからが腕の見せどころ。

炒めた具材をヘラでつまみドーナツ型の土手を作っていく。できる限り隙間ができないように円を描く。次にダシ汁を土手の中へと流し込むためだ。

どんぶりの中でダシ汁をかき回す。分離しかけた水と粉を再び一つに戻してから、ダシ汁を少しずつ土手の中に流し込んだ。熱でダシ汁にとろみが付くのを確認し、残りのダシ汁も全部流し込む。

ダシ汁が全体的に固まってきたら、ヘラで土手を壊し、全体をこねるように混ぜる。具材がなるべく均等になるように混ぜ、平らに伸ばしたら完成だ。

土手の作りが雑だったり、鉄板の火が弱かったりすると川が決壊したようにダシ汁が溢れる。最終的に混ぜるから決壊したところでさして問題はないが、ササッと土手を作って、丸く薄く広げると何となく格好がつく。

グツグツしてきたら火を弱める。端の方から小ベラで一口サイズにはがし取り、口へと運ぶ。熱くて口の中がハフハフなる。舌が火傷しそうなタイミングでビールを口の中に流し込んだ。

くぅ〜、うまい。やっぱりビールともんじゃ焼きの組み合わせは最高だ。

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✳︎

もんじゃ焼きって関東以外の人には馴染みの薄い食べ物かもしれません。関東の人でも食べたことがない人は珍しくないと思います。

実は僕は学生時代にお好み焼きともんじゃ焼きが一緒に食べられる鉄板焼きのお店でアルバイトをしていました。各テーブルには鉄板が備え付けられていて、お客さん自身が焼いて食べる形式のお店です。お客に頼まれれば、たまに店員が焼くのを手伝います。

お好み焼きと違い、もんじゃ焼きは焼き方を知らない人が多かったですね。注文を届けるときに「よろしければ焼きましょうか?」と言って、「Yes」と返ってくれば、お客さんの前でもんじゃ焼きを披露するんです。初めて見る人はドーナツ型の土手を綺麗に作ると「オォー」とか言って感動してくれました。

それはけっこう快感です。さきほど書いたようにもんじゃ焼きはハッキリ言って、やり方さえ知っていれば失敗は基本的にないから簡単です。むしろ、お好み焼きの方が割れたりする可能性もあるのでよっぽど難しいかもしれません。

 改めて考えると、店員がお客のテーブルで焼いたりするサービスってあんまり無いですよね。焼いている間、初めて会うお客さんと会話したり、話さなくてもお客さん同士の会話を聞いたりするのは楽しい時間でした。

残念ながら店はもう潰れてしまいましたが、今でもたまに鉄板焼きのお店に行きたくなります。オススメのもんじゃは明太子とチーズとお餅のトッピングです。かなりベタですが、僕が知る限り20年以上前から人気のメニューです。

もんじゃ焼きは見た目がそそる料理とは言えません。が、美味しくて楽しい料理です。友達以上恋人未満の人と一緒に行くのも面白いかもしれませんよ。

「こんな下町メニューは食べれない」とか言う人とはそこで別れたらイイんです。お好み焼き派の関西の人も食わず嫌いをせず、ぜひ食べて欲しいですね。

話はそれましたが、そういうわけで僕はお題に対して「ビールともんじゃ焼き」を選んでみました。

さてさて、突然の思い付きで書いてみたお題「エア飲み」。自分を満足させるために書いたのだけど、誰か続いてくれたら嬉しいなぁと思わずにはいられません。

お酒は何でも良いのです。サワーでもワインでもウィスキーでも。なんならノンアルでも構いません。みんなが飲みたくなるような記事を勝手にお待ちしております。

 

おわり

THE FIRST TAKEにアジカンが『ソラニン』で登場

4連休の2日目の夜。みんなの注目はオリンピックの開幕に集まっていたと思いますが、僕には他に気になることがありました。

THE FIRST TAKE。最近流行りのYouTube 番組にASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場。結成25周年の節目に披露してくれた曲は『ソラニン』でした。

この曲は2010年に映画化された浅野いにおさんの漫画作品『ソラニン』の主題歌として使われた曲です。浅野いにおさんが書き下ろした詩にアジカンが楽曲を提供しました。

『ソラニン』はバンドをしながらアルバイトで働く種田という青年とその彼女である芽衣子を中心に描いた物語です。

 

(ネタバレを含みますのでご注意ください)

 

芽衣子の一言により、種田はそれまで逃げていたプロのバンドマンになる夢に本気で挑もうとする。しかし、夢は破れ、芽衣子の前から忽然と姿を消してしまう。

自分には大切な仲間やかけがえのない恋人がいて、自分の人生は幸せなんだと、自分に言い聞せるようとする種田。

バイクで芽衣子の元に向かう途中、葛藤しているうちに涙が止まらなくなり、交差点に突っ込んでしまう。

倒れたバイクの隣に横たわり、穏やかな顔で高い空を見上げる種田だが、悲しいかな、そのまま亡くなってしまった。そんな少し切ない物語。

✳︎

映画の終盤では芽衣子を演じる女優の宮崎あおいさんが俳優の桐谷健太さん、サンボマスターの近藤洋一さんと一緒に『ソラニン』を演奏します。華奢な宮崎あおいさんが、恋人だった種田が生きた証として、ギターを弾きながら熱唱する姿に何度も泣きそうになりました。

とてもとても素敵な曲です。一発録りに込められた演奏にぜひ酔いしれてみてください。


www.youtube.com

ソラニン (1) (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン (1) (ヤングサンデーコミックス)

 

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

 

作詞:浅野いにお 作曲:後藤正文 「ソラニン」より

 

おわり

穴があったら入りたかったあの夏の日の思い出

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向かえの家に新しいバイクが停めてあるようになった。バイクと言っても90ccオーバーの少し大きめな原付。ナンバープレートはピンクに染まっている。

持ち主は山登りが趣味の旦那さん。いつもは三菱のデリカに乗っていて、たしかバイクには乗っていなかったはず。ゴミ出しをしている旦那さんを見つけてバイクの理由を聞いてみた。なんでも職場の駐車場に車を停めていたら、カラスにつつかれるようになったらしい。

「見てよ、これ」指で差したフロントガラスのフレーム部分には遠くからはわからないが、近くで見ると細かな点状の傷がいくつも付いている。大事な車が傷だらけになっては困ると、屋根の下に停められるバイクに変えたんだと。ずいぶん変わった理由だ。

朝6時を過ぎると原付の音が聞こえてくるようになった。エンジンをふかす音ではなく、原付特有のエンジンをかけるときのキュルキュルした音が鳴り響く。原付で颯爽と出かけていく姿を見て、その昔は自分も原付に乗っていたことを思い出した。

暑い夏の日。初めて買った原付を引き取るため、家から最寄りの駅に向かって歩く。大学時代を過ごした街は坂が多いところだった。高校生までバリバリ活躍してくれた自転車もあまり役に立たない。その街では高校生が原付に乗るのも珍しくなかった。ヤンキーでもない普通の高校生が制服のまま原付に乗っている姿を見て、カルチャーショックを受けたのを覚えている。

はじめの頃は我慢していた。けれどもバイクを買う友人が増えるに連れ、少しずつ不便さに耐えられなくなる。バイクのジャンルで言えば、まわりはネイキッドタイプの割合が高かった。中にはホンダのジョーカーやモンキーなどの個性的な原付に乗る友人もいた。

中型免許を持たず、大して貯金もない僕に選択肢は多くない。悩んだ末、ホンダのリード を買った。ボディのサイズが他の50ccよりひと回り大きいところだけ気に入った。

それにしても、なぜ家から遠く離れたバイク屋でわざわざ買ったのだろうか。店へは最寄駅から電車を乗り継いで行く必要がある。近所にもバイク屋はあった。理由は思い出せないが、原因があるとすれば当時はまだインターネットを使えなかった

1999年。一人暮らしの部屋にパソコンとネット環境が揃うのはまだ一年以上先のことだった。おおかたフリー雑誌の広告でも見て選んだのだろう。インターネットが普及していない時代は店の情報が限られた。

✳︎

汗だくになりながら最寄駅にたどり着く。体調は悪くなかった。いつもと同じように階段を降りてホームに立つ。お決まりの場所で電車を待ち、電車が到着する。扉が開く。降りてくる人を避ける。降りる人がいなくなったのを確認し、電車に乗り込もうとする。

ここまでは完璧なほどいつもと同じルーティン。しかし、一歩前に踏み出すと視界が突然大きくズレた。何が起きたのかわからない。一瞬の出来事だったが、長く時間が止まったように感じた。

『俺はたしか電車に乗ろうとしていたはず…』

ようやく自分の状況を理解する。ホームと車両の隙間に落ちたのだ。綺麗なほど真っ直ぐに細い穴に落ちた。芸人がドッキリの番組で落とし穴にハマったときは、まさにこんな気分なのかもしれない。

たびたび車掌が、車両とホームの隙間に気をつけるようアナウンスをしていた。まさか落ちるバカはいないと思っていた。そのときに初めて落ちるバカはやはりいるのだとわかった。

誰かが自分を助けようとしてくれる気配がする。慌ててホームの地面に手を突き、腕の力だけで這い上がる。身長は高くて良かった。そのまま誰にも迷惑をかけることなく、車両に乗り移る。何食わぬ顔で空いたシートに腰を掛けた。

顔は俯いたまま、上げることができない。恐らくまわりにいた人は僕の方に注目していたはず。平常心を最大限装ってみるも嫌な汗が止まらなかった。穴があったら入りたい。穴に落ちたのに、穴があったら入りたかった。

駅を2つ過ぎたところで、乗り継ぎのために降りようとする。ようやく恥ずかしい場所から解放される。そう思いながら席を立ったが、悲劇には続きがあった。

ホームに下りた瞬間、今度は急に視界が変わる。真っ白な世界。まるでホワイトアウトのように目の前が真っ白になっていく。

『どうしたんだ俺…⁉︎』

目が見えない恐怖。万が一、線路にでも落ちたら大変なことになる。下手すれば電車に轢かれてしまうかもしれない。誰かに助けを求めたくても、意識が朦朧として声が出ない。とにかく必死でベンチを探した。どうやってベンチにたどり着いたかはわからないが、なんとかベンチには辿り着いた。

そのまま気を失うではないかと思ったが、時間が少し経つと徐々に視界は戻り始めた。見たことのある景色が広がっていく。先程の落ちた時のショックで貧血にでもなったのだろう。

中学生の頃、クラスで"落とす"のが流行ったことがあった。僕も一度だけ柔道部の友人に落とされたことがある。(良い子のみんなは真似しないように)あのときの状態は"落ちた"ときに似ていた。

僕はどんな様子だったのだろう。白目をむいて、失神しかかっていたわけだけだから相当気持ち悪かったと思う。恥ずかしい。違う意味でまた落ちるなんて。穴があったら入りたい。

そのあとは意外に平気だった。よくそんなことがあった後で無事に家まで帰れたものだ。公道で走ったことも全然なかったのに20km程の道のりを買ったばかりの原付で乗って帰ってきた。

✳︎

かくして僕の大学生活にもようやく原付というアシができた。卒業までの間、ずっと同じ原付を乗り続けた。快適とまでは言い難いものだったが、原付にまつわる思い出は意外に多い。

斜め前を走っていたおじいさんの自転車がフラフラ前に出てきたのを避けようとして派手にこけた。倒れた原付がおじいさんの自転車の後輪に当たる。おじいさんはゆっくり転んだが怪我はなかった。事故のきっかけを作ったのはおじいさんで、怪我をしたのも僕。なのに、謝ったのは僕の方。ハーフパンツを履いていてせいで膝から下が血だらけになった。近所の人が絆創膏を貼ってくれる。その優しさが救いだった。

友達の家に行こうとして、バイパスを走っていたら、デカい暴走族の集団に巻き込まれそうになった。

バイト帰りにエンジンがかからなくなったので仕方なく引いて歩いていたらお巡りさんに職質された。

長い長い下り坂を君を原付の後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていったら、坂の下ではパトカーが待っていた。

原付での思い出は失敗が多い。なのに、なぜか楽しい思い出として記憶されている。

失敗した過去やツラい経験はそのまま苦い思い出のままの場合もあれば、楽しい思い出に変わる場合もある。僕の原付は後者の方だ。

もうかれこれ原付には20年以上乗っていない。社会人になってからは車ばかり乗るようになった。誰かが原付に乗っているをみると、無性にまた原付に乗りたくなるときがある。

けれども、20年前の大学生だったから良かったのだろう。今だったら、ただの事故にしかならないことばかりだ。だから、たぶんもう乗らない方がいい。思い出は思い出のまま。

子どもたちにが原付を乗る歳になったらくれぐれも注意するように言っておきたい。

 

#はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

夏色

夏色

  • ゆず
  • J-Pop
  • ¥407

 

おわり 

 

はてなブログの20周年に思うこと

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はてなブログが20周年を迎えるようです。いや〜おめでたいですね。20周年を記念して特設ページが作られたり、キャンペーン用の特別お題が2つも用意されたり(はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」と「記憶に残っている、あの日」)。いつも以上に運営側にも力が入っているのが伝わってきます。

僕がこうしてブログを書き続けていられるのは紛れもなく、はてなブログのおかげですからこのお祭りにはぜひ参加して一緒に盛り上げていきたいところです。ですが、出されたお題はよく考えるほどに深いテーマです。どうせなら、今度じっくり腰を据えて書いてやろうと思いまして、今回は過去と未来についての話を少しだけ書いてみます。

✳︎

20年前の僕は21歳。今の会社に内定が決まり、ホッと一息着いたときでした。当時は就職氷河期の真っ只中。1人で50社以上受ける友人もざらにいましたから、あの頃の僕はとにかく早く内定をもらい、就職活動を終えたくてなりませんでした。いま振り返ると将来に関わる大事な選択をずいぶん焦って決めてしまったものです。

まるで夏休みの宿題をさっさと終わらせ、早く遊びたくて仕方がない子どものように、残された学生生活を満喫することしか、頭にはなかったのです。

今の生活はそれなりに満たされていますので、その時の選択は決して間違いではありませんでした。けれども、その時にはたくさんの選択肢が存在していたのは確かであって、結果は同じであっても、将来のことをもう少し真剣に考えた上で、今の正解の選択肢を選べれば良かったなと思います。

では翻って、今また20年後の将来を考えられているかというと決してそんなことはありません。人間は簡単に成長しませんね。

20年後の僕は61歳。還暦を過ぎ、今の会社のルールでは定年後の生活をスタートさせるタイミングです。このままで行けば60歳で仕事をリタイアできるほど、お金に余裕があるわけはないので、何らか仕事は続けるとして、自分が将来どんな生活を送りたいのか、ビジョンが持てずにいるんですよね。

ところで『人生の楽園』(テレビ朝日系列)という番組を知っていますか?夫の定年後に自分の故郷で農業を始めた夫婦や、妻の趣味が高じてパン屋を開店した夫婦など、第二の人生を歩む夫婦の姿を取材した番組です。DIYが得意な義父の影響で僕もたまに見るようになりました。

まぁ、「第二の人生」や「セカンドライフ」と呼べるほど大胆なことはできないまでも、やりたいことは今のうちから見つけて準備しておかないと、いざ歳を取ってからでは間に合わないのは明らかでしょう。お金を貯めておくことは大事ですが、何をやりたいか考えておくことも重要なんだと思います。

また一方で、20年後の世界がどうなっているのかも想像できないんですよね。案外、今と大きく変わらない気もしなくはないですが、自分が気付いてないだけで世界は猛スピードで変わっている気がします。

ネガティブなところで言えば、地球の環境破壊によって今まで聞いたことがないような大きな自然災害が毎年のように世界中で絶えず起きています。他人事ではないですが、SDGSなどの取り組みでどこまで進行を食い止められるか、それによって僕らが未来で住む環境も大きく変わってくるはずです。

また、ポジティブなところで言えば、科学の進歩は今も目覚ましく、AIとの掛け合わせなどによって色んな技術が生まれようとしています。

例えば、今は世界一周旅行が最高の贅沢かもしれませんが、20年後には宇宙旅行がその上に来ている可能性は十分あり得ます。それに移動手段も船や飛行機ではなくなっているかもしれません。最近では「高速二地点間輸送」と呼ばれる構想があるそうで、実現すれば宇宙空間を経由することによりニューヨークからパリを30分で移動できるようになるようです。

他にも、微生物が石油の代わりに素材を作ったり、植物から牛乳そっくりの飲み物を作ったり、面白くて信じられないような技術がたくさん生まれてきいて、僕らの未来の生活にそれらが確実に溶け込んでいるわけです。

つまり、今の知識だけであれこれ未来を想像していても、まったく見当違いな世界がやってくる可能性があるわけです。それでは自分の将来を正しく描くことはできません。これからは今ある常識の延長線上でやりたいことを考えるのではなく、新しく生まれてくる技術の知識も掛け合わせていかなくては、輝かしいセカンドライフを迎えられのではないかと思っています。

あなたは20年後の自分と、そして世界を正しく想像できていますか?

✳︎

少し前に義父の畑で野菜を収穫しました。将来、畑を趣味にできる自信はありませんが、生まれてくるだろう孫にも土に触れさせる経験を与えてあげたいと思ってしまいます(笑)。

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おわり

仮面剣士と激突する存在価値

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今回はフィクションについて書く。しかも、ファンタジー。ある剣士の物語を紹介する。それでも構わなければこの先を読んでいただきたい。

✳︎

男の名はD。鋼の肉体と大胆不敵な性格。まさに戦うために生まれてきたような男だった。彼自身も戦いを愛し、強い相手と戦うことを望み続けた。

Dは特殊な組織に属していたが、行動は一人を好んだ。生まれつき孤独だった彼にとって、一人でいることは自然であり、仲間は必要なかった。組織も彼の強さ故、自由を許していたように思えた。

Dは戦いの中で蓮と言う名の剣士に出会った。蓮はDの組織とは敵対する組織に属していたが、二人はいつしか行動を共にするようになっていった。なぜなら蓮もまたDと同じように孤独であり、強さを求めていたからだった。

蓮はDと違い、少し前までは孤独ではなかった。歴史ある崇高な組織に剣士として仕え、同じ志を持つ仲間がいた。しかし、組織の前に一人の不思議な男が現れた頃から少しずつ仲間との関係が変わり始めていった。

その男はおよそ剣士には相応しくないように見えたが、他の剣士には無い特別な力を持っていた。蓮と同じ組織の仲間たちはその男と共に戦うにつれ、次第にその男に惹かれていった。負けず嫌いな蓮はその男に仲間意識よりもライバル心を抱くようになったが、他の仲間たちに倣い、蓮もしぶしぶその男と仲間になった。

やがて事態は急変する。蓮の組織の長は特別な力を持ったその男を陥れようとしたのだ。その男が組織にとって裏切者であると嘘を吹き込み、蓮や仲間たちがその男と敵対するように仕向けた。長は組織にとって絶対的な存在であり、蓮と仲間たちにはその男と戦うしか選択の余地はなかった。

だが、それでもその男は負けなかった。戸惑いながら戦う組織の仲間たちに対し、その男は揺らぎない強い信念で戦い続けた。たとえ自分が裏切者にされても、決して仲間たちを憎むこともしなかった。

そんな男の姿に組織の仲間たちは徐々に自分たちの過ちを認めるようになった。その男を信じ、再びその男と共に戦うことを決めた。でも、蓮は違った。蓮は剣士としての強さを求めるあまり、一人だけその男の強さを素直に認めることができなかった。

そして、蓮は孤独になった。そんなときに出会ったのがDだった。Dと連が一緒にいる意味を理解していかどうかは定かではないが、自分たちがなんとなく似た者同士であることは気づいていたはずだった。

時に一緒にカップラーメンを啜り、時に一人が肩を組もうとして、もう一人が手を振り払う素振りを見せる。まるで友人ような二人。しかし、そんな二人の奇妙な関係も長くは続かなかった。

今度はDの組織の長がDを消し去ろうとした。長はDの存在が目障りになったようだった。実はDは元々、その長が気まぐれに生み出した怪人。生まれた意味を持たないDを消すことに躊躇いなどなかった。

Dはその戦いで致命傷を負った。生まれて初めて死を意識するD。突如として、自分が生まれてきた意味を自分自身に問い質し始める。今まで何人もの戦士を殺めてきたが、今までそんなことを考えたことはなかった。同時にそのときからDは蓮のことが気がかりでならなかった。

Dは蓮に思いを伝えたいが、上手く言葉にできない。苛立ち、焦るD。答えを求め、連の組織の特別な力を持った男に戦いを挑むも、思うように答えが出せない。

ようやく蓮はDの異変を察し、Dの思いに応えるべく、Dに戦いを挑む。Dを倒し、先に進むことを決意した蓮。しかし、Dにまるで歯が立たず、苦し紛れな戦いを見せる蓮。

「そうじゃねえだろう」

怒りを露わにするD。

追い詰められ、逃げ出そうとする蓮。

容赦なく、最後の一太刀を振り下ろすD。

「強さの果てを見たくないか…」

その刹那、蓮はDの言葉を思い出した。

「このままじゃ終われない」

蓮に迷いが消えた。そんな蓮の姿を見て喜ぶD。

「俺は緋道蓮だ」

「俺はデザストだ」

自分が何者であるかを叫ぶ二人。

自分の存在価値をお互いに見せつけ合うように…。

遂に蓮の剣がデザストの動きを捉えた。

苦しみをこらえながら戦いを止めようとしないデザストに最後の止めを刺す蓮。

蓮の剣がデザストの体をを貫いた。

倒れるデザスト。

「お前はそのままでいいんだよ」

その言葉を残し、デザストは霧のように消えていった。

蓮が最後に呟く。

「……楽しかったよ、ありがとう」

 

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デザスト-tv asahi「仮面ライダーセイバー」より-

 

ライダーと怪人との友情も描いた仮面ライダーセイバーもあと少しで最終回。乞うご期待。

 

おわり

突然のフェス中止が、用意したご馳走を捨てるようでツラい

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本来なら一昨日、昨日と開催されるはずだった京都大作戦の2週目が急遽中止(延期)になった。

その少し前には茨城で開催されるROCK IN JAPAN FESTIVALの中止も決まっていた。

中止の理由は地元住民や医師会から開催への懸念の声が上がったからだ。

春には東北で開催されるはずだったARABAKI ROCK FESTも医師会からの要請を受け中止になっていた。

相次ぐ大型フェスの中止を受け、日本音楽事業者協会とコンサートプロモーターズ協会を含む4団体は「コロナ禍におけるライブ活動に関する共同声明」を発表。

ライブエンタメ業界のコロナ禍における窮状とライブ活動を行う権利について辛辣に訴えた。

僕らは今、目の前で起きている事態をどんな風に受け止めたらいいのだろう。

参加を楽しみにしていた人はもちろん、関係者や主催者のことを考えるとやり切れない気持ちになる。

そして、どれだけ多くの人が中止になったイベントに関わり、どれだけの多くの準備が無に帰すのだろうか。

突然の中止は丹精込めて作られたご馳走が食べずに捨てられるのを見るようでツラい…。

仕方がない。本当に仕方がないかわからないが、たぶん仕方がない。そう思うしかない。

何が正しい行動で、何が正しい判断なのか?みんなその答えを知らないのだ。

興味のない人からすれば大型イベントは不安でしかない。懸念の声は理解されるものである。

実際、僕自身も特別な思い入れがないオリンピックは無観客で開催するのが当然ぐらいに思っていた。

好きな音楽のイベントが中止になったときだけあれこれ言うのはエゴでしかないことをわかっている。

が、それでもオリンピックと音楽のイベントを全て同じように見るのはフェアじゃない。

オリンピックを開催するにしても中止にするとしても、その代償を払うのは国民だ。否応なく日本人全員に負担が振り分けられる。開催を判断する政治家やオリンピック委員にだけ負担が強いられるものではない。

対して、音楽イベントなどの場合は一部のアーティストや一部の企業が代償の多くを負担しなくてはならない。それ故に開催を決めるときも、中止を決めるときも、その決断がいかに重く、大変な作業であるかは想像に容易い。

ROCK IN JAPAN FESTIVAL の渋谷総合プロデューサーの言葉を借りれば"音楽を止めるな、フェスを止めるな"そういう思いでみんな頑張ってきた。

コロナ禍において、音楽のフェスは規模を縮小しながらも、きちんと各自治体と協議を重ね、政府や専門家の指導にも従い、できるだけ安全な形を目指してフェスを行ってきた。だからこそ地元住民や医療従事者の理解なくして、フェスは成立できないのである。

ただ、僕らが勘違いしてはならないのは、フェスの開催を反対した人たちを憎んではいけない。主催者たちはどんなに悔しくても、憎むのではなく、自分たちがやろうとしていることへの理解を求めている。強行開催ではなく、中止という苦渋の選択を取ったのはそういうことだ。外野の人間が面白半分でコロナ論争の材料にしては決してならないのだ。

京都大作戦1週目の10-FEETのライブの様子を書いたBARKS(ジャパンミュージックネットワーク株式会社)のレポートがある。 

www.barks.jp

タイトルにはライブ中にボーカルTAKUMAの放った言葉が使われていた。

「イジメ、ネットの噂とか誹謗中傷。その対義語の意味を持つ言葉が、ロックのライブだと思います。よっしゃ、いっしょにやろうぜ!」──TAKUMA

 

アア…早くフェスに行って一緒にロックがしたい。

僕らは誹謗中傷をするではなく、その対義語の意味を求めていこう。

 

10-FEET「Gose On」

作詞:TAKUMA 作曲:TAKUMA

人が海のように大きくなれたら 人が波のように優しくなれたら

この悲しい記憶で照らせる 幸せにいつかは会えるかな
ごまかして偽って笑って いい訳とプライドにまみれて
いくら泣いても時は流れて 意地張っては置いて行かれて
Goes on...

 


www.youtube.com

 

おわり